第七話 腋毛契約

 夜、狭くて暗めの密室、カラオケボックスで、二人きり。非日常が俺たちを包んでいる。

 シートに座り、机を挟んで向かい合う。草壁のつっこみも止み、帰ろうともしてない。とりあえず、俺の行動を怒らずに受け入れてくれたようだ。

 よしよし、後は小粋なトークでムードを和ませよう。

「草壁、とりあえずボーボボのオープニングとか歌っていいぞ」

「歌わないから」

 やっぱちょっと怒ってんな。


「じゃあ俺からだな」

 デンモクを取る。歌に頼ろう。ちょっと重い機械を操作しながら俺は言う。

「カラオケって不思議な場所だよな。人と来ても話すんじゃなくて、歌うのを聞く。それって対話じゃない。一方通行だ。個人作業じゃない」

「なに急に」

「歌うってのは曝け出すことだ。曲の趣味とか歌い方。日常では見せないような真剣で無防備な姿を見せる。そういう儀式だと思うんだ」

「……それはそうかもしれないけど」

 曖昧な同意。少しは感心してくれたのかもしれない。その様子に満足して、俺は曲を送信する。ピピっという電子音の後、モニターに大きく、歌手名が表示される。


『久石譲』


「歌う気がない!」

 再び大声のつっこみが来た。


「この人の曲、だいたい歌詞ないから」

「これから話をするにあたって、いい感じのBGMで説得力を増そうと思ってな」

「なにその姑息な戦法」

 呆れる草壁、その背後からピアノの優しい曲調が流れている。


「というわけで、話をしよう」

 俺は宣言する。戦闘モードだ。もう、止まらない。


「草壁の腋毛が、頭から離れないんだ」

「離れていい」

 早速横槍が入ったが、無視して続ける。


 「自分の腋毛を見る。意味不明な行動だ。

  そういうときは、共通点を探る。

  俺が草壁の腋毛を目撃したのは、委員会決めの後、公園、そしてクラス会。

  共通してるのは、他人に対して完璧なことをしてるってことだ。

  完璧後の腋毛。不潔で変態的な行動。激しい落差。同一人物とは思えない。

  しかし思った。その二つは表裏一体。腋毛は、完璧の反動なんじゃないか?

  草壁は完璧であることから逃れようとしている。

  腋毛は清潔な世界において不要とされているもの。

  だからあえてそれを確認する。そういう儀式なんじゃないか?」


 俺は語り終えた。共通点を見出してそれを原因と決め打つ。推理とも呼べないようなシンプル考え。しかし人間、意外とそんなものかもしれない。


 俺の言葉を聞いて、草壁は黙り込んでいる。

 そもそも答えてくれるのかもわからない。

 それでも待っていると、草壁はゆっくり口を開いた。


「大正解」

 わーい大正解だった。


「いや大正解なのかよ。どんなリアクションだ」

「だってそうだから」

 めっちゃあっさりだった。


「なんでそんな変なことを考えたんだ? それが聞きたい」

 腋毛を抜くことにより完璧な自分から逃れるとか、正気じゃないぞ。


「……それは」

 話すか迷ってるのだろう。自分の心理、それを他人に話すのは、怖い。それでも待つ。静かに盛り上がる曲の中で、草壁はゆっくり口を開いた。


「本当の自分って、なんだと思う?」

 よくある悩みだ。


「それを探して、腋毛にたどり着いた」

 よくない答えだ。

「その間になにがあったんだよ」


「自分、それは周囲の環境によって形成されるもの」

 草壁は息を吸って語りだした。今度は草壁のターンのようだ。


「例えば現代、誰もがネットで繋がり発言権を持つ。しかし裏を返せば、どんな意見も他人に否定され、なにをしても叩かれる世界。誰もが互いに影響され、削り合い、自分の意見を持つことが難しい時代。

 その結果、人は客観的にわかりやすく正しいことを主張するようになっている。

 あいまいな道徳が強化される。世界はどんどん清潔になっている。

 そんな空気を、人は無意識にトレースする。自分たちが吐き出した清浄な空気を、自分たちで再び吸い込む。その循環を繰り返す」


 なんか難しい話してんな。


「だから私はずっと、完璧に過ごしてきた。

 なぜならそれが正しいのだと思ったから。正しさを盾にした完璧の奴隷となっていた。

 しかしある日、私に腋毛が生えてきた」


 草壁は声色を変えた。突然の腋毛が登場した。


「初めは抜いたり剃ったりした。そういうものと思っていたから。

 しかし痛みと共に、虚しさがあった。

 毎日生えてくる毛、それを無駄と断定し、剃る。自分の整備を、毎日毎日繰り返す。

 なぜこんなことをしなければならないのか。そういう気持ちが芽生えた。

 この世界は不毛。そう思った。

 私は剃刀という剣を置いた。

 その時から私は戦士となった。孤独な戦いが始まった」


 表現に厨二病が混ざってきた。語ってて気持ち良くなってるな。


「ジョンラスキンの話。絵画のヌードは理想化された綺麗な体。でも現実の人間には毛が生える。私も当然、そう。にもかかわらず毛はずっと否定されて、ないものとして、理想という嘘をつかされている」


 そういやそんな話をされてた。考えてもなかったけど、意味のあるエピソードだったらしい。


「私は現実に存在する人間なのに、それを自分でも忘れそうになる。

 だから私は腋毛を触り、完璧ではない自分を確認していた」


 草壁の行動の理由、そこに戻ってきた。ようやく語り終えたようだった。

 うん。異様な話だったが、わかった。草壁の思い。大方俺の推理通りと言える。

 残る問題は、一つ。

 この話を聞いて、俺は、なにがしたい?


「一つ、答えてほしい」

 リアクションを考えてる俺に、草壁は尋ねてくる。

「無藤はどうしてそんなに、私が気になるの?」

 草壁の質問、それはまさに俺が今、考えてることだった。


「同級生の秘密を握る優越感?」

「違う」

「完璧な私の弱みを握って脅したい?」

「違う」

「ただの性欲?」

「それはあるかも……待て、引かないでくれ」

 ここが勝負所だ。俺はなぜ惹かれているのか。俺と草壁を繋ぐものを、言いたい。俺はとっておきをぶつける。


「女の裸、初めてググったのは、その言葉だった……」


 小さい頃から見てきた裸、それがいつしか現実にあると思えなくなった。この世界から現実感が消えた。人がなにを考えてるのかわからなくなった。そんな悩みを語った。


「だから俺と草壁は似てるんだと思う」

 俺の言葉を聞いて、草壁が考え込んでいる。たまに頷いて咀嚼している。そして口を開いた。


「なにその気持ち悪い話。どこが似てるの?」

 全然伝わってなかった。


「つまり、この世界はくだらない嘘にまみれてる。清潔感って言葉がまさにそうだ。でも草壁の腋毛を見て、なんか超えるものを感じたんだ。だから美しいって言ったんだ。自分では理解できてなかったけど、直感でわかってたんだ」

 必死に挽回を試みる。伝わってくれと思いながら言葉を連打する。


「……そう」

 草壁はそれだけ言った。沈黙が流れる。BGMはとっくに終わっていた。画面からはカラオケにありがちな、よくわからんうるさい番組が流れている。


「そうなんだ」


「ああ」


 無意味な相槌を交わす。

 一気に話した反動で生まれた微妙な間。そんな伸びた時間の後に、ぽつりと草壁は言った。


「あなたは非常識」

 急にディスられた。


「面識ない人間を尾行するし教室で気持ち悪いことばかり言ってるしみんなの前で私を連れ出すし」

 正論すぎて言い返せないな。


「でもだからこそ……完璧から逃れたい私には、必要なのかもしれない」

 草壁はそう言った。

 それは肯定だった。

 初めて、俺の存在に頷いたのだ。


「契約しよう」

 突然の固い単語を言われた。なんだ?


「私達は同志。この不毛な世界から逃れるための。私は腋毛で本当の自分を確認している。あなたは腋毛に現実を見ている」

「そうだな」

「私はこれからも休み時間とかに腋毛を触りたい衝動に駆られることがあるだろう」

 さらっとすごいことを言ってるなこの人。


「だから私は腋毛を抜く。無藤は腋毛を抜いている私を見るという契約」


「…………いや、どういう契約だ?」

 つっこみを入れざるを得なかった。

「互いの主張を合わせると論理的にそうなる」

「もうちょっと工夫できるんじゃないか? 俺は横で立ってるだけか?」


「やればわかる」

 草壁はブレザーに手をかけて、一気に脱いだ。そのままシャツのボタンを外していく。どんどん服を外していく。上半身は下着姿になった。女の裸、それが目の前にある。

 もう何回か見た動作。

 しかし今回ははっきりと、俺に見せつけている。


「み、見て」

 うわずった声で言う。緊張と興奮がごちゃ混ぜになった感情が伝わる。俺も草壁も、おかしくなっている。

 当然だ。今まで溜まっていた心の奥を曝け出すような会話をしているのだから。


「美しいな」


「それ言ってれば私が喜ぶと思ってない?」

 そうつっこむ顔は恥ずかしそうに赤くなっている。暗いカラオケボックスでもそれがわかる。そして、少しの沈黙のあと、始まった。

 

 草壁が腕を持ち上げる。腋が露出する。腋毛が見える。さらりとした、それでいて温かみのある森 照れる反応。そして指で一本をつまむ。偶然に選ばれたそれが、ピンと張る。


「……んっ」

 一瞬のうめき声の後に、ぷちっと抜ける。草壁の肉体から離れる。開放される吐息。そして指には、役目を終えたようにくるんと丸まった一本の毛があった。


「はい」

 俺の手に乗せられる。草壁の腋毛。ふわりと。飛んでいきそうなそれを握りしめる。気まずさとも照れとも違う沈黙が重なる。人生の重大な場面が過ぎ去ったような緊張感があった。


「……少しだけ、軽くなった気がする」


 ぽつりと草壁が言った。よくわからないが、俺にはわかった。


「生きてるって感じがするな」


 俺たちは契約を交わした。

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