第二話 怪人・腋毛サイクロン登場


「この問題わかるやついるか?」


「はい……っ」

 授業中、教師の問いかけに対して、草薙がすらっと手を上げる。いつもの光景。

 しかし意味が違う。

 腋から堂々と、毛が見えていた。

 教師が一瞬ぎょっとするのがわかる。クラスメイトが息を呑む音が聞こえてくる。

 回答など頭に入ってこない。優等生の象徴だった挙手は、腋毛のアピールと化していた。



「ねえ、見た?草壁さんの」

 授業が終わるとすぐに、近くの席で噂話が始まった。各所でひそひそ声が聞こえる。

 草壁を見る。今すぐ話したい。そう思った。しかしみんなから注目されまくっていて、話しかけるのは困難だ。

 こんなときは、あれしかない。

 俺は腋をあげて右手でパコパコした。秘密のサインだ。


「……あ」

 草薙と目があった。気づいたようだった。

 そして草薙も腋をあげてパコパコした。サインの交換だ。

 教室がさらにざわついた。腋をアピールするその謎動作。ただでさえ注目の的なのに変な動作で釘付けになった。

 しまった。もっと普通のサインにしとけばよかった。



 廊下に出る。開口一番、俺は尋ねる。


「おい、大丈夫か?」

 突然の出来事。シンプルに心配の言葉が出た。

 草壁は少し息を切らしている。焦って見えるが、草壁のことだし夏服になって腋毛が見えることも考えてたのか? 


「やばい」

 全然考えてなかったようだ。


「……どうしよう」

 悩んでいる。こうして話してる間も、生徒からの視線をちらちらと感じる。

 当然だ。忘れていたが草壁は対外的には完璧キャラ。それがいきなり、腋毛を露わにしたのだ。


「草壁さん……あれ……幻滅……」「なんで無藤と……まさか変な趣味で……」「やべ……ちょっと興奮……」

 噂が飛び交っている。言われ放題だ。これが続くと思うとダルい。

 草壁はしばらく黙り込んだ後、顔を上げた。そしてぼそっと呟いた。


「……これは使命なのかもしれない」

 その声色は、予想外に強いものだった。


「今までは腋毛を隠して自分を探してきた。しかしもう隠す必要はなくなった。ちょうどいい機会かもしれない。伊達先輩にも、等々力さんにも私は勝利した。腋毛の強さを、そろそろ広めるフェイズ」

「すごい勢いで思い込んでるというか、自分のミスを正当化しようとしてるな」

「たしかに夏服に気づいたのは今朝だった。でもそれは違う。無意識に、見せようと思ってたところに夏が来た。これは運命」

「一時間前の歴史修正しようとすんな」


「この不毛な世界を、腋毛で叩き潰してくれる」


 草壁はそう宣言した。その気になってしまった。本当の戦いが始まった。


 ★


 それから、草壁の腋毛は加速していった。

 授業中の質問にはすかさず手を挙げ、授業が終わったらあー疲れた感を出して両腕を持ち上げて伸びをしてみたり、無駄に黒板の上の方を綺麗に消したりと、腋毛アピールを繰り返した。


 ある時、女子生徒が遠慮がちに声をかけた。

「ね、ねえ草壁さん、あの、み、見えてるよ」

 なにと言わなくてもわかる。口に憚られるそれを、女子生徒は指摘した。教室に緊張が走る。その中で、草壁は堂々と言った。


「ああ、腋毛ね」

 単語を口にした。公式声明だ。ひるむ女子生徒、そこに畳み掛けるように言う。

「腋毛は人間には自然に生えるもの。それを無いことにする必要はない。清潔というファッションから、人は逃れるべき」

 俺は百回聞いたような腋毛礼賛の言葉を、堂々と口にする。

「そ、そうなんだ」

 対応に困ってるようだ。困惑が教室に充満した。草壁は満足そうに頷いた。

 それだけでは終わらなかった。



 ある日、登校してきた草壁に視線が集中する。

 違和感があった。夏服だがどこか違う。

 腋毛が普通に見えるようになっていた。半袖をさらにまくっていたのだった。ノースリーブ。イエスヘア。わんぱく小僧みたいになっていた。

「あー暑い」

 そんな言葉を連呼して、アピールを繰り返した。

 それだけでは終わらなかった。



 ある日の体育後。着替えを終えて男女が教室に合流する。暑くて眠くなる時間。そこに現れた草壁。視線が集中する。

 違和感があった。夏服。しかしどこか違う。

 草壁の肩が盛り上がっていた。

 見ると襟になにか異物が入って、カクカクしている。

「……なにやってんだ?」

 俺が近づくと、ゴオオオという音がした。袖から風が出ている。

 目を凝らすと、わかった。ハンディ型の扇風機を、肩に入れているようだった。


「いやほんとになにやってんだよ」

「腋毛の通気性を良くしようと思って」

 肩がボコンと盛り上がってロボみたいになってる草壁は平然と答えた。

「人間加湿器。地球に優しい」

「クラスメイトには優しくないからな」

 ゴオオオ。つっこむ俺の声に、風の音が返ってきた。


「もう腋毛のアピールとか超えてるぞ。なんでそんなことやってんだよ」

「腋毛の思想を伝えるため」

「思想とかじゃなくて単にキモいからな」

「キモい?……ふふっ」

 草壁はなぜか笑って、そして言った。


「キモがられる、清潔な世の中に歪みを生む。それこそ、私の勝利だから」

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