第十三話 俺達は生えていく
思い出の場所に到着した。
時間は指定していなかったが、すぐに草壁も現れた。
「よう」
ぎこちなく挨拶をする。久々の会話。当然、気まずい。
「……その」
躊躇いながら、草壁が言う。
「どうしてここが思い出の場所なの?」
ここ、俺たちがいる場所、学校から帰る途中にある公園だ。周囲には誰もおらず、街灯と月で互いの姿が明るく見える。
「草壁が逆上がりをする子どもと話した後、腋毛を見て俺に見つかったからな」
「……それってそんな大したイベントだった?」
「場所は重要じゃないんだ。外だったらどこでもよかった」
「やはりあなたは滅茶苦茶。帰っていい?」
「いいよーって言うわけないだろ」
とりあえず会うことに成功した。あとは心を動かすだけ。
「話をするぞ」
俺は宣言する。戦闘モードだ。
「この世界は不毛、最初に俺と腋毛契約をしたとき、草壁はそう言った。無駄なことやってる世の中と、腋毛を生やしてる有毛な自分との対比で上手いこと言った感出してる表現だ」
「詳細に解説しないで」
「つまらない現実が嫌だった。そこに俺たちは一致していた。でもそこで本当の自分とか本当の現実を探したのが間違いだったんだ。草壁の言った通り本当の自分なんて嘘。そんなものはないんだ」
最初の勝負だ。俺たちの目指すべき道筋、それを示す。
「俺たちは、不毛でいいんだ」
俺の言葉を聞いて、草壁は少し考える様子を見せる。見慣れた動作だ。
そして少しして、口を開く。
さて、なんと言うだろう。
「その理屈はおかしい」
普通に否定だった。
「なら私達の行動の意味は何? この世界が嫌なのは前提。前提が結論になるような議論は間違っている」
ぺらぺらと言う。議論慣れしてやがる。
「どんな世界でもいいとは言っていない。世界から逃げられないことを受け入れて、その上で自分なりに生きればいい。その方法を俺たちは、とっくに見つけてる」
俺と草壁を繋ぐもの。それにふさわしい言葉を告げる。
「腋毛だ」
「…………」
リアクションが帰ってこないのでもう一度言う。
「腋毛こそが、俺たちの全てなんだ」
草壁は目を伏せる。そして低い声で呟くように言う。
「だからそれは何回も話したこと。腋毛はファッションであり……」
「ファッションでいいんだ。ファッション、他人との違いを求めて虚しくぐるぐる回るもの。腋毛でアンチファッションを気取ってもそれもファッションになる。どんな無意味も、意味になる。だからこそ、それを受け入れて、前に進むんだ」
「だからその腋毛の可能性が、今の私にはもう、見えない」
「俺には見える」
俺は強く、堂々と正面から否定する。面食らう草壁に、俺は畳み掛ける。
「俺たちの腋毛は清潔感でもかっこつけでもない。ありのままの姿とか自然なのがいいとかでもない。そんな単純なものじゃない」
ここだ。いよいよ切り札を使う時が来た。
「これを見ろ!!」
俺はポケットから取り出す。
写真のフィルムとかを中に入れる、口にチャックが付いてる小さなパックだ。
もちろん中身は、フィルムではない。
それを大量に手に持って、掲げる。
「なに? 暗くて見えないのだけど……え?」
草壁は目を凝らして、唖然としていた。
俺の透明な袋の中に入っていたもの
それは一本一本小分けにされた腋毛だ。
「これが俺たちの思い出だ」
「な、なにそれ? なんでそんなもの……」
動揺が見える。それは心の動きだ。すかさずに、告げる。
「まず、この公園で俺が拾ったはじめの腋毛。だからここは思い出の場所なんだ」
「次、カラオケで初めて契約をした時の腋毛。俺と草壁の気持ちが一致した瞬間だ」
「これは伊達先輩と屋上に行った時の腋毛。屋上は自由じゃないが達成感の味がした」
「等々力を捕まえるために一本吊りしようとした腋毛。二人で敵を倒す快感があった」
「草壁がプールで等々力にブチギレて抜いた腋毛。怒りという感情がこもっていた」
「お前がとち狂って腋毛弁当に本当に入ってたやべー腋毛。お前は変人だ」
「そしてこいつらは、お前がラブホテルで剃った腋毛たち。お前が去った後も残らず全部、必死で拾い集めたんだ」
俺は腋毛袋を扇のように広げる。どれも当時の本物だ。
今までに草壁から得た腋毛、俺はそれら全てを持ち帰って保存していた。だから部屋を見られるわけにはいかなかった。
それが最大の武器。役に立つときが来たのだ。
「どれもパッと見ではただの腋毛。それは現実だ。でもどの腋毛にも意味がある。ただのムダ毛じゃない。俺たちは俺たちだけの意味をつけられるんだ!」
「き、気持ち悪すぎる」
「気持ち悪くてもいい! 俺たちが作ってきた人生だ」
高らかに宣言する。
「それを見せたくて呼び出したの?」
「これがダメならもう無理な覚悟だ」
「……はぁ」
草壁はため息をつく。どういう感情だろう。響いてくれたのだろうか。
緊張しながら様子を伺っていると、躊躇った様子でもぞもぞと体を動かす。
制服を脱ぎ出したのだ。
ここは外だぞとか、そんなん今更だ。俺もおかしいがこいつも狂ってる。
上半身下着姿の、腋毛契約で見慣れたスタイル。そして大きく左腕を持ち上げる。
腋、それが露わになる。しかしそれは今までずっと見てきたものとは違う。
「これを見て」
さっき腋毛達を見せた俺と同じセリフを、草壁が言う。
「今の私にはもう、腋毛がない」
圧倒的な光景。白い肌、それだけがあった。
「ラブホテルで剃った後、たしかに、少し後悔した。私たちの思い出。それを消してしまったと。
あなたの言いたいことはわかった。
でももう、腋毛はない。ならどうする?」
悲しそうな声だ。
でもそんなの、問題ない。俺は笑い飛ばすように言う。
「だから、不毛でいいんだ」
「それはただの言葉遊び」
「違う」
堂々と否定する。悲しそうに見せてきた腋、それを俺はじっと見つめる。
草壁は恥ずかしそうにしている。毛を剃った腋、生まれたままの状態、今までと異なる羞恥があるのだろう。そんな姿に俺は言う。
「腋が綺麗ですね」
「……は?」
心の底からの疑問の声がした。だが俺は続ける。
「腋毛は剃った。だがこれは終わりじゃない。この腋に、俺たちはたどり着いたんだ」
腋の表面を触る。チクチクしている。雑な処理、あんな急に剃刀で剃ったから、そうなる。でもそれすら愛おしい。
俺は呟く。
「まるで月みたいだな」
「どうして急に月?」
訝し気な草壁に言う。
「月と同じと書いて、腋なんだ」
「それは胴。今そういうネタいらないから」
すいません。
「月の夜と書いて腋だ」
「だからなんなの?」
「今の草壁の腋、本当はゴツゴツしている月だ。それは本当の、とてつもない現実。
でもここからなんでもできる。
自由に意味をつけられる。それが美しいってことなんだ」
俺の言葉に、草壁は少し困った様子で、口を開く。
「腋の部首であるにくづきは肉の漢字が由来だから空の月は関係ない」
今上手いこと言って気持ち良くなってんだから黙れ。
「腋毛が生えて、切られて、また伸びて。世界は常に動き続けている。その変化に向き合うことが、生きるってことなんだ」
伝われ。ただそれだけを思う。
「……わかるような、わからないような……」
伝わらなかった。
「つまりやっぱり、一周回って、腋こそ世界そのものなんだよ。そしてそこで儚く散っては生える腋毛こそ俺たち人間なんだ」
「無藤、すぐネタに走らないで。ずっと言ってるけど」
草壁は呆れたように言う。ふざけてしまう俺への失望。俺に課せられた課題。しかし俺はその言葉を、待っていた。
「確かにネタに走ってるかもしれない。でもこれが俺の本気なんだ」
「開き直らないで」
「いや、開き直る。開き直りって自分を受け入れること。成熟ってことだからな」
「開き直ることを開き直ってる……」
ぼそぼそつっこんで言い返せない草壁。最後の一押しだ。
「ギャグってさ、世界をおかしくして、自分につっこみを入れることだ。それって相対化。自分で自分を俯瞰して見ることだよな。
世界の中で、自分の立ち位置を確認することだ。
予定調和を裏切って、壊して、許すことで、自分の存在がわかる。
それって不条理だよな。
でもそんな笑いに、救われるんだ。
俺は世界に現実感がないとか言って、ずっとふざけて、目を背けてた。でも現実感がなくても、俺たちは現実を生きてしまってるんだ。
だからその、ふざけてしまう俺すらも、この現実なんだ。
ようやくわかったんだ。なんで自分がこんなんなんだってことが。
それは、自分探しだった。
草壁と同じことを、俺はずっとやってたんだ。
だからわかる。俺たちは、不毛な世界でも、生きていけるんだ」
俺は語り終えた。
長い語りの後には、長い沈黙があった。草壁の表情を見るのが怖い。それでも時間は流れる。待つ。そして、口が開かれる。
「……わかった」
わかったらしい。よかった。草壁は言葉を続ける。
「あなたの言ったことが正しいのかは、わからない」
……あれ、わからんの? ダメそう?
「でも、私はずっと、正しくあろうとしてた。そこを抜けようと腋毛を生やしてからも、正しさに固執してしまってたのかもしれない」
ん、流れ変わった?
「不潔でも、変態でも、不真面目でも、正しくなくてもいい。ずっと抜け出せなかった悩みのループを、あなたのおかげで、ようやく受け入れられる気がする」
お、いけそうか?
「私も、不毛な世界で、生きてみる」
いけた。
草壁が俺を見る。目が合う。
脳が達成感に満ち溢れる。
俺はやりきったぞ。
草壁とわかりあうことができた。
腋毛の素晴らしさ、俺たちがやってきたことの意味、本当の自分ってことの不毛さ。これからの生き方、考えて考え抜いて、なんとか言えた。
これでいい。
やっぱり、思う。好きとか叫んで解決するのは間違ってる。
相手の感情をねじ伏せるみたいで嫌だ。俺はあがきたかった。
腋毛は、人間は、世界は不毛で正しくなくていいんだって、正しさに訴えかけて伝えたかった。それで充分なんだ。
だから、俺は言った。
「草壁、好きだ」
ポロッと、そんな言葉がこぼれ落ちた。
「理由とか知らん。本当の自分も知らん。ただなんか、気が合うんだ」
口が、体が、俺が勝手に動いてる、
「……………………はぁ」
草壁は今日一番の、大きなため息をついた。
「最初から、それだけでよかったのに」
「俺たちずっと、不毛な会話してたか」
「そうね」
そして、笑った。
「でも私たちは、それでいいと思う」
草壁の言葉。それは契約じゃない。
不毛で不自由で不純で不条理な、会話だった。
月が輝く夜の公園、気づけば草壁は上半身裸で、俺は両手に腋毛を抱えている。
誰から見ても異様だ。
でもだからこそ、そうやって生きていく。
俺と草壁の世界が、始まった。
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