終章 ~カーテンフォール&カーテンレイザー~
「あっはっはっはっは。それでかい君の顔にあるその痣(あざ)は! てっきり僕が無意識のうちに一矢酬いたものと思ったよ」
正面で顔に手を当て、大笑いする男。
その横に自分で淹れたコーヒーを音も立てずに啜(すす)る禿頭の男。
場は、良い雰囲気で酔わせてくれた。
「笑い事じゃない。なんで殴られたのか、あれから三日立った今も分からない」
「いやその前にビンタも喰らったんだろ? それに殴られたんじゃなくて――」
シースに睨まれてビュアネは言葉を控えた。
無様に蹴散らされたのは記憶に新しい。いつか逆転してやるが。
「はあ」
シースは溜息を吐いた。
どうにも、あれからシースの周りにこいつらが寄ってくるようになった。
その初日はお互いに何も話さなかったが、二日目にビュアネから声を掛けて来て、すったもんだの挙句に大立ち回りを演じた。最後にはシースが勝ったが。
それから一日がたった今日、その昼に気が付いたら普通に喋っていた。
そしてこの話になったのである。
「いやあ、それにしても見たかったな」
ビュアネがニヤニヤ笑いを向けてくる。こいつ、こんな奴だったかと疑問に思い、止めた。
また面倒事になる。そうしたらアウロイとフィルネに何かと言われるのだ。前はこんなことは無かったのだが、どうやら誰かが要らぬ知恵を貸したらしい。それがフィルネなのかフェレンなのか、それとも他の誰かなのかは知らない。
「で、今はどうなったんだ?」
こいつはどうしてこんな風に接してくるのだろう。
シースには分からなかった。
彼がビュアネの婚約者を盾に生き残ったことには変わりないのだから。
後でそれをゴロイがそれとなく教えてくれた。
「恨んでてもいけないと思ったのでしょう。それに、実際に戦ってみて、あなたを正面から見て、悩み抜いた挙句に出した答えなのでしょう。しかし決して許していないのも、事実です。ですが今は、このぬるま湯に浸っているのも悪くはないでしょう。上手くすればそのうち、うやむやのうちに終わるでしょうから。……それが例え、いけないことなのだとしても」
どこか悲しい顔をして彼は言った。シースも最後の方には賛成だった。十中八九、ビュアネとは生死を分けた決別が待っているだろう。
「それでも、今は今を。あなたにはそれが必要です」
これだけはなんとなくも分からなかったが。
「ふふん、君は彼女をどう思ってるのかな?」
頬杖を付いて尋ねる。その顔は普通だったが、目は笑いが抑えられていなかった。
「どう思ってるといわれても……な」
「怪しいね、ゴロイもそう思うだろう?」
こくりと頷くゴロイ。彼は、日常ではあまり語らない。
しかしその穏やかな雰囲気は、その場にいる全員を見ていることを確信させている。目敏くではなく、親が子供を見守るように、温かな目で。
それからもビュアネはシースが返答に困るようなことを幾つも言い、最後は喧嘩(けんか)になる。もっとも、昨日の今日で手は出なかったが。
口喧嘩と昼食の悪戯(いたずら)という応酬で身を乗り出す。
その時、かさりと胸ポケットの中で音がした。
いまだ、彼はあの子にクッキーを渡す為に夜な夜な作り続けている。
最早そのことは七不思議として支部全体にまで広まっていた。
「フィルネ」
テーブルを跨(また)いで掴み合いに掛かった時、シースが気付いて声をかけた。
もちろん、ビュアネから手は離してある。ビュアネもばつが悪そうな顔をして手を引いた。
そのときのシースの顔が素直に嬉しそうだったからである。
「シース」
フィルネが近寄ってくる。
「アウロイ支部長が呼んでいるわ」
告げる。
二人の間にわずかだがしこりのような物が残ったが、前と比べれば断然に良いだろう。しかし、それもまた問題の先延ばしに過ぎないことをシース以外の誰もが知っていた。
だけれども今はぬるま湯に浸ろう。
……そのときが来るまで。
ジ・エンド・オブ・ザ・テイルズ
長き物語に終わりの一時(ひととき)を
№170 インスクライブ~inscribe~ 心に刻む物 秋坂綾斗/ちんちん亭スナック庵 @AkisakaAyato
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