第一章 ~世界的中立機構~ 3

 夕焼けが景色を赤く染める。

 あれから更に二日が経ち彼らは目的の町・ポリクストに到着した。

 もともと危険度が少なかったため、二日目の襲撃以外にこれといって危険はなかった。

 強いて言えば子供たちがシースに包丁を投げたことぐらいだろう。理由は知らないが二人は泣きながら怒っていた。

 ほとんど喚いてるとしか思えない声を出してシースに向かっていくその姿は何か大切な物を護ろうとしているかのように見えた。

 幸いシースが目前で投げつけられたそれを躱せたので大事には至らなかったが、色々と子供たちに言われた彼は何もどうしてそうなったのか話はしなかった。

 今は自分たちの家である第六支部に戻るところである。馬車で揺られ、時折溝か石にでも打つかって跳ねるのが沈黙を最も重いものへ変えるのを防いでいる。

 雇われ御者も面倒なことに首を突っ込むのを嫌がってもくもくと仕事をこなすのみだ。

 フィルネは外の景色を見ているシースに目を向けた。

 彼はあそこを出てから態勢を変えていない。ずっと遠くを見ているようにも以外にもすぐそこを見ているようにも取れる位置に頭を固定している。


 ーーガタン。


 また跳ねた。荒野は道が悪い。当たり前のことだがそれがこんなにも気になったのはここ数日で初めてのことだった。

 フィルネはため息を吐いて俯(うつむ)いた。

遠く、獣の咆哮が聞こえてきた。

 外の景色はただただ植物の少ないこの地を何の惜しげもなく晒していた。

整ってなどいない溝と石がそのままの道。

 小さな丘と大きな石とほんの少しの植物がここにある荒野という背景の全てだった。

 太陽はもはや沈むのも時間の問題で、夕日が最後の抵抗とばかりに光を放っていた。

 風は運良く強くなく、もちろんそれに合わせて砂が飛んで来る事も少ない。

 最後の一線を越えてしまった土地。それが荒野。取り返しのつかない枯れた土地。

 シースはゆっくりと息を吐いた。

 そして思い出す。今日起こった子供たちとのことを。

 あれは、最後の食事を作っていた時のこと。

 順番に料理ができる者――シース、フィルネ、依頼人とその御者――で食事を作ることにして、最後がたまたまシースになったのだった。

 依頼人の方にまで食事を作ってもらうのは派遣されたのが自分たちだけであることと、食べ物が口に合わなかった時のことを考えてのものだと最初にフィルネと依頼人たちに言った。


「それぞれに都合があるから食事を作るのは当番制にする」


 どうもそれだけでは伝わらなかったようでしばらくなんやかやと依頼人たちから文句があった。前のときはそんなことはなかった、と。

 仕方が無いので一番初めに食事を作って食べさせたら随分と素直になってくれたものだった。特に都合という言葉の意味を。

 それにしてもなぜかあれから食事を作るのが回ってこなくなり職務責任を感じていたところに粘った結果か最後の食事を任せてくれた。別に味は少し彼らの口に合わないようにしただけだったのだが……。サソリは効き過ぎたか?

 ともあれ今度はまともな食事を作っているところに子供たちが現れたのだ。

 じっと見ている彼らに一瞥をくれただけで追い払うことはしなかった。興味がどういうものか知るのに一役買うかと思ったからだ。

 だが予想に反し彼らは突然声を掛けてきた。てっきりどう料理するかに興味があると思っていたからだ。


「俺はただのあいつのパートナーだ。それ以上でもそれ以下でもない。解任の命を受ければいつでもパートナーではなくなる。その程度の関係だ」


 訊いてきた内容はフィルネと俺がどうして一緒にいるのかということだった。それは当然と言えば当然の疑問だった。

 誰とも合うことのない性格をした俺が誰かと組む。そんなのは俺と同じ、相手が誰であっても良いという者か前パートナーのように俺のことを理解しているという者だけだろう。その点において彼女はまだ新人であり性格的には全く違うタイプ。どちらの条件も満たしているとはいえない。たとえ条件を満たしていても俺のような者が誰かと一緒に行動するというのは誰から見ても奇異に映ることは経験上知っていた。

 だから正直な子供が大人が黙っていることでも訊くというのはよくあることだった。はっきり言って見る度に変だという視線を送られるのも嫌だが訊かれるのもこういうことは答えるのが面倒なので嫌だった。でも後者は一度で済むのでまだ良いと言えた。


「だったらもう二度と姉ちゃんに近付くな」


 兄の方が言ってきた。子供なりに俺と関わるとどうなるのか感付いているようだった。

 妹の方は震えて兄のにしがみ付いている。それでもここに来たのはやはりそういう意思を伝えるためだろう。


「言ったのが聞こえなかったようだな」


 難しい言い方をしたという自覚はあったが子供たちに内容が全く分からないとは思っていない。小さいからと言って何も知らないわけでも考えられないわけでもない。常に必死で考えている。大人よりもよっぽど。


「命令があったから彼女といる。俺を彼女から離したくければそういう命令を出せる立場に立てば良い。俺はお前達の命令を聞く気はない」


 実際は命令にあった内容と違うが、事実として彼女といるのは命令だからだ。

 その辺りを敏感に感じ取ったか、妹の方は首をふるふると振った。兄が言葉を投げ掛ける。「違う。兄ちゃんがいたいから姉ちゃんといるんだ。いやなめいれいだったらいやだって顔するもん」


 それは衝撃だった。いままで気に掛けたことのなかった表情というもの。それが自分にもはっきりあるのかということを考えさせた。


「俺はそんなに顔に出していたか」


 それは大人なら肯定として受け取っただろう。無意識のうちに出た言葉だった。


「兄ちゃんが言いたいことがあるのに上手く言えないって時に姉ちゃんが話したら嬉しそうな顔したじゃないか」


 妹の方も頷く。


「料理……」


 人見知りの激しい性格か、ほとんど最初の単語しか聞き取れなかった。


「姉ちゃんが作った飯を食べたときも全部喰ったじゃないか」


 そういえば彼女が作った夕食を残す者は多かった。上手くも不味くもないと思っていたが。「兄ちゃんほんとは分かってるくせにそれをしらないふりして誤魔化すなんてっ」


 そこで何がどうなったのか兄の方が涙を流し、わあわあ言いながら突っ込んできた。

 その途中にあった調理器具に脚を引っ掛けて転ぶ。そしてその拍子にまな板に置いていた包丁が落ちた。

 反射的に手を伸ばしそれを弾く。包丁は後ろの方へと回転しながら消えた。

 それによって騒ぎを聞きつけた他の者たちが集まり、事態は収拾がつかなくなってしまった。子供の弁明をすれば話していたことを多かれ少なかれ言わなければならない。

 それが躊躇(ためら)わせた。

 結局子供が突然得体の知れない相手に神経質になってしまってそれで包丁を自己防衛のために投げつけた。それで話は終わった。

 シースは出発してから動かさなかった体を静かに動かした。

 相棒の方を見ると眠っていた。初めての任務に気を張っていたからだろう。しかも行きには怪虫が現れたのだ。緊張するなと言っても無理がある。

 そこで周りの異常に気が付いた。

 先程聞こえたあの声は獣の咆哮ではないことに。

 幌を退けて外を見る。右も左も、後ろも前も。

 見える範囲に動くものはなかった。しかしだからといって安心はできない。獣一匹で満足できる相手ではないのだから。


「ん、ううん」


 空気が動いたのに気が付いたのか、フィルネが目を覚ました。


「あれ? 私眠って」

「黙っていろ。狙われている」

「え?」


 相棒を置いてきぼりに、馬車から飛び降りようとする。しかしそれは服の袖を掴んで離さないフィルネによって防がれた。


「シースさん何の武器も持ってないじゃないですかっ」


 シースは舌打ちした。

 普段、剣を必要としない戦い方をしているせいで数日前に予備も含めた調節剣を全て失ってしまっていたことを忘れていた。


「予備はあるな」


 確認を取る。フィルネは頷いた。

 シースはフィルネから剣を一つ受け取り、今度こそ馬車から出ようとした。


「馬車を止める必要は無い。先に行け」


 ふと自分に課せられたことを思い出し手短に言うべきことを言っておいた。でなければ彼女は近くに馬車を止めて戦いが終わるまで待つか余計な手出しをしてくるはずである。


「そんなっ。どうやって支部まで帰るんですか」


 片道だけで四日も掛かったのにまだ帰りは一日目なのだ。馬車で三日掛かる荒野の道程を歩いて行くなど無謀でしかない。


「明日の朝までには追い付く。気にせず先に行け」


 彼女の手を振り払い、シースは空中に身を躍らせた。

 走る馬車から飛び降りるのはそれなりに危険が伴う。受け身を取れなければ骨折してもおかしくはないのだ。

 片手で前転を行い、転がって衝撃を流す。ごつごつした地面が体に触れる。


「……待ってます。また後で会いましょう」


 自分たちを狙っている敵が怪虫だと知っていたならば、彼女は決してシースを置いて行ったりはしなかっただろう。

 元々の出現頻度の低さ、行きに一度あっているという油断、状況を判断するための経験と材料の不足が彼女を安心して行かせた。


「また後で……か。嫌な言葉だ」


 シースは顔を顰(しか)めた。思い出したくもない記憶が頭を過ぎったからだ。

 最悪な記憶。最低な記憶。

 前にそう言った相手は、最悪な形でそれを果たした。そして気付く。


「そうか……同じなんだ。あの時と」


 遠い過去。だけど十年も経っていない昔。更に深く記憶が闇を引き摺り出した。


「そうだ。同じだ。違うのは、これが自分の意思かそうでないかということだけで……」


 そこで暗がりに向かっていた記憶と思考を現実に戻した。

 彼らが現れたのだ。

 一体は小高い丘の上、一体は岩の陰、一体は右奥、一体は回り込むように移動している。

 気のせいかそのうちの一体、丘の上の駈虫に見覚えがあるような気がした。だけど彼らの姿を見分けることは専門家でもない限りまず無理なので気の迷いだろう。今し方平静を少し保てないことがあったのだから。


「悪いが俺は機嫌が悪い。急いでもいる。お前らを片付けるのに時間は掛けられない」


 静かに告げた。駈虫にではなく、自分に。


「行くぞ〝ミケイナ〟」


 日が沈み切る少し前。

 虐殺が行われた。


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