第一章 ~世界的中立機構~ 4

 二人が第六支部に無事帰った次の日、フィルネは一人で調節剣の使い方をマスターしようとしていた。

 正確にはこれの使い方は養成所で習得している。いま練習しているのは変形に掛ける時間を短くしようとしているのだ。


「フィルネさん、こんな時間から稽古ですか? 依頼を終えた直後なのですから体を休めないと持ちませんよ」

「ゴロイさん、こんにちは」


 ゴロイもあいさつを返し、フィルネは再び調節剣の能力を使った。

 ダガーの状態で習った型をなぞり、振り終わると同時にロングへの変化を試みる。


「あっ」


 取り落とした。先程から何度やっても素早い剣の変化ができないのだ。


「そんなに急いでやると上手くできませんよ」


 丸い頭を下げて落ちた剣を拾う。彼はダガーにしてから返した。


「でももっと早くできないと実戦で使えないじゃないですか。皆さんあんなに早く形状を変化させられるのに」

「誰と比べて言っているのか知りませんが、大抵は戦闘中に剣の変化などできませんよ。やったとしても間合いを十分に取ってからしかしませんしね」


 フィルネは驚いた。


「ビュアネさんもあれだけのことができたのでてっきり皆できているのかと思っていました」「彼がああなるまでには多くの時間と努力が必要でした。第一支部や第二支部ではどうかは知りませんが、調節剣を使いこなせる者は一握りしかいませんよ。私から見たらあなたは新人にしてはかなり優秀です。焦らずに努力すればきっと望んだ結果が出せるでしょう」


 ゴロイは静かな声でフィルネを励ました。見た目通りの温和な性格のようだ。

 フィルネは顔を赤くして恥じた。

 自分はどれほど背伸びをしていたのかと。


「昨日は私のパートナーが迷惑を掛けましたね。最初に謝らなければいけなかったのにすみませんね」


 昨日行われた彼女の歓迎会でちょっとしたアクシデントがあったのだ。その時にビュアネは短絡的と取られてしまう行動を取ったがそれは自分に被害が出ないようにするためだった。


「いえ、ビュアネさんのおかげで私は無事だったんです。こちらの方が感謝しないといけません」

「本当に良い人ですね。あなたのパートナーも少し感化されているのかもしれません……」


 ゴロイは宿舎に目をやった。そこは全ての隊員が寝泊まりしている。


「しかし根は深い。あなたが考えているよりももっとずっと。ですがきっとあなたは彼を救ってくれるのではと思っています」

「ゴロイさん?」


 彼は自分の考えに更け込んでいるようだった。彼のような人物が目の前の人間を無視してしまうなどそうそうあることとは思えなかった。それだけに彼の考えていることがとても重要なことだと知れた。


「失礼しました。少々気になることがあったものでして、何、命に関わるようなことではありませんからそうお気になさらずに」


 そしてゴロイは中庭から去って行った。

 しばらくその後ろを追っていたフィルネだったが、今できることはないだろうと思い再び稽古に励んだ。

 それを宿舎から見る者がいた。

 ビュアネだった。彼は一つの小さな中庭で頑張っている彼女を優しく見ていた。


「何をしている?」


 冷ややかな声が背中を撫でた。

 声のした方に体を向けると、そこには思った通りこちらを感情の少ない目で見るシースがいた。


「お前が彼女に注意を向ける理由はないはずだが」

「理由がなければ見てはいけないのかな。君の言っていることはとても独善的だよ」


 シースはビュアネを睨んだ。

 ビュアネはどんなことにでも対応できるよう、シースを観察した。


「上が何を考えているのかは知らないけど、君の元に彼女を置いておくのは危険だ。近いうち別な誰かと変えてもらうよう申請したよ」

「上が受け入れるとは思えないな」

「だろうね。なにせ君は上のお気に入りだ。感情のない機械。目的の為には手段も選ばない最高の駒」


 内容とは裏腹にその言葉にはシースに向けた感情はないように思われた。

 あるのは行き場を失った怒り。そう、憎しみでも憎悪でもなく誰にも向けることのない怒りだけがあった。


「〝災厄の蹂躙〟(カラミトウストランプル)君には彼女を任せられない」


 シースは眉を少しばかり吊り上げた。といってもよくよく見なければ分からないほどだったが。

 〝災厄の蹂躙〟(カラミトウストランプル)とはシースに付けられた二つ名だ。この名で呼ぶのは侮蔑を含めた畏怖の対象としてか、同等かそれ以上の実力を持つ者が興味本位で言う以外には、立場的に上の者がたまに言うぐらいのものだった。

 しかしビュアネはそのどれにも当て嵌まらない言い方をした。まるでこれから何かを起こすかのような印象を、シースは受けた。


「僕は証明する。君が――」

「ビュアネ」


 彼の言葉を、聴かなければならない本人が止めた。

 目だけで彼の後ろを指す。ビュアネは後ろを向き、自分のパートナーの姿を確認した。


「何を話していたのですか」


 ゴロイは穏やかに訊いてきた。


「昨日のことを話していたんですよ、ゴロイ。もう少し彼女に気を配れと注意していたところです」

「そうですか。しかしビュアネ、あなたも気を付けなければいけませんよ。あれはあなたにも責任があるのですから」


 窘め、シースの方に向き直った。


「あいさつが遅れましたね」


 ゴロイは頭を下げた。


「先程も同じ失態をやらかしてしまいましたがまあよくあることです。必要なプロセスの前に礼節はしばしば忘れられるものですから」


 それはシースとビュアネの話を聞いていたということだろうか。


「さて、私はこれで。仕事が入ったものですからね。ゆっくりしていられないのが残念です」


 去り際、ゴロイはビュアネとシースにそれぞれ言葉を残した。

 ビュアネは口を固く結んだ。シースには何を言っているのかは聞こえなかった。


「過去は何一つ清算できません。しかしそれを悔い新たに先へ進むことはできます。自分を見失わぬように」


 それは彼の過去をあたかも知っているかのようだった。それを知っているのは第六支部でアウロイだけだというのに。

 シースは思わずゴロイの方を見た。

 すでに彼は自分の部屋へと向かう通路に入っていた。



                ◇◆◇◆◇



 世界的中立機構、通称ガベル。木づちを意味する名のその組織の実態は、六つの巨大な大陸からなる世界の国々の全てから独立し、いくつもの支部を展開する人材派遣の組織である。

 本部は組織の運営を行い支部へと命令を通達する機関。つまり本部とは全ての情報が集まる場所でしかなく実際の人材の派遣は支部のみが行っている。

 第一支部から始まり、現在十六の支部を世界に持っている。第一支部は当然ながら人材の最も良い支部でありそれゆえに最も危険な土地に配置されている。なので二番目に有能な人材のいる第二支部が本部近くに存在し仕事をこなしながら有事に備えている。もちろん有事とは本部強襲である。

 どの国からも独立し、依頼料さえ払えば暗殺など世界の力関係に影響を及ぼすこと以外は請け負うこの組織。当然ながら所有する力はどの大国よりも上。それを手に入れんとする輩は後を絶たない。

 だからこそ世界的に大きな力を持っていながら中立である必要があった。国と戦って負ける気はしないとはいえ、元となる人材の大多数は各国から来る志願者なのだから。

 この組織を作ったのは複数の国々からだが、今はもうその国は滅んで存在しない。存在したとしてもその国に従うことは決してなかったが。

 組織は今も拡大している。世界の面積に対して組織がカバーできる範囲は半分にも満たないのだ。全世界をカバーするには最低でもあと二十以上の支部の建設が必要であるとされている。当たり前のことだがそれに伴い人材は増やさなければならないのだが今のところ十六しかない支部にさえ欠員補充の行き届いてないところがある。

 通常は第一支部と新しくできた支部の方だけだが近頃あった怪虫大発生の所為で第四支部に大きな被害を齎(もたら)したために更なる人材の確保が必要となっている。

 怪虫を生身で倒せる者の数は少なく、手傷を負わして退散させることしかできない。それでも舞い込む依頼の数は絶えることがない。事実として退散させられるだけでも有り難いことなのだから。

 人々は希望を胸にここを訪れる。自分たちを怪虫から救ってくれることを願って。



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