第三章 ~軽震~ 1

 フィルネはゆっくりと体を起こした。

 誰かが部屋に入る気配を感じたからだ。


「その様子だと大丈夫なようだな。いや、話は聞いていたが実際に見てみなければ本当の安心はできないからな」


 いい訳めいた事を言い、アウロイはベッドの横に椅子を持ってきて腰を下ろした。


「これからどうする? 私としてはしばらく養生させたいと思っているのだが、どうも君はそれを断るそうだね」

「すみません」

「謝ることじゃない。ただ、私が負う苦労が増えるだけだ」


 アウロイはそこで笑い、フィルネも微笑んだ。


「さて、ここからが少し真剣な話になるが、いいかな」


 アウロイはお見舞いの品を適当に取り、それを眺めた。


「三日後に一つ、今までより簡単な依頼をしてもらう。君一人で、だ。別に命の危険はない。することも一つだけ」


 フィルネは思いの他意味深な支部長の言い回しに頭の中で警告が告げられた。

 自然、強張った体が拳を作る。


「何でも屋の少女に怪しげな道具を流している者を調べて欲しい。これは外からの依頼ではなく中からの依頼だ」


 アウロイは見舞い品を元の場所に戻した。


「その何でも屋の少女が使う道具の中に個人が持つには強大な力を持った物があるらしい。それの回収は別途、他の者が行う。だがそれを彼女に与えた者を調査する必要がある。彼女が拠点にしている街から一番近いのがここ、第六支部だ。そして、君が適任だと私が判断した。どれほどの時間を掛けてでも探し出すんだ。ただし、それ以上の介入はしなくていい。余計な混乱が起こるだけだからな」


 強めの口調にフィルネはたじたじとなった。

 まさかこの人物にこれだけの真剣な話ができるとは思ってなかったのだ。

 彼女の印象はどこか緩い所のある人、だったから尚更(なおさら)だ。


「ま、そういうわけだからじっくりと仕事をこなしてくれ。期限は一ヶ月以内だから心して掛かるように」


 ここで軽めの口調にするのが彼の悪いところであり、美徳でもある。

 フィルネはアウロイ支部長が出て行くのをゆっくりと目で追って、出て行くときに少し頭を下げた。

 アウロイは仕事だと言ったが、その真意は彼女を休ませることにあったと気付いていたからだ。



                ◇◆◇◆◇



 気だるげに右手を顔の前にまで上げる。

 掌は外側に向け、指の間から先の光景を見る。

 昔、何もすることが思い付かなかった時にやった遊びだ。特に意味はない。

 シースは手を下げ、ため息を吐いた。

 どうにも調子が出ない。あれから仕事を幾つかしたがどれも本調子とは言い難かった。


「理由は、なんとなく分かるが……」


 どうやら思ったより気を許していたらしい。いままでのパートナーは誰もが初めは彼を近寄りがたく思っていて、そこから二つの結末にしか行かなかった。

 即ち、別れるかある程度妥協してパートナーであり続けるか。

 妥協した方の中にはそれでも少しは理解しようとしていた者がいた。その一人が前のパートナーで最も彼にあれこれと言ってきた相手でもある。もうこの世にはいないが。

 しかし今回パートナーとなり支部長から彼女を最優先で護るよう言われるといういままでのない事態となり、しかもパートナーであるフィルネ・アノールはあまり物怖じしないタイプなだけでなく自分に関しての情報にも疎(うとい)い。

 やり難くはあったが新鮮で、嫌いな性格でもなかったので思ったよりのめり込んでしまったらしい。

 シースは円形テーブルの上に置いてあるブラインドを手に取り、一瞬でロングソードへと変化させた。そしてそれを何の気なしに振るう。

 軌跡は横から斜めに、それから縦へと移り次に弧を描く。足も少しだけ剣の軌道に合わせて位置を変える。

 それがどんどん激しくなり、部屋全体を動き回るようになると、最早ただの素振りではなくなっていた。

 移り行く軌跡は煌(きらめ)き、窓から入る光と合わせて綺麗に映る。くるくると円運動を続ける体は止まることを知らず動き続ける。まるで何かの舞台劇の一場面のように見えるそれは、人を引き込む。

 流線の美技。

 そう呼ぶに相応しい動きだった。

 最後にシースは剣を袈裟懸(けさが)けに振り下ろし、肩から腕までが真っ直ぐになる位置で止めた。 息を吐(は)き剣を下ろす。再び持ち上げたときにはダガーの形になっていた。


「少しは楽になったか。いや、気休めに過ぎない、か」


 いま気が楽になってもまたこんな風になるだろう。どうしても拭(ぬぐ)うことのできない感情にシースは途惑い、しかしまたどこか嬉しい感じがあるのはなぜだろうか。


「そうか、やはり似てるのか」


 容姿でも、雰囲気でもない。自分が受ける感情が、あの時と似通っているのだ。彼女に感じていた感情と。

 それがどういうことなのかはよく分からない。大体、彼女に抱いていた気持ちさえいまだによく分からないのだから答えようがない。

 シースは一息吐いて円形テーブルについている椅子に座った。

 トントン。

 誰かが見計らったように戸を叩いた。無視するとまた二回、叩かれた。


「気のせいじゃなかったか」


 てっきり空耳かと思っていたのだ。彼を訪ねる人間はまずいないから。

 ドアを開けるとそこにはシースを驚かせるに足る人物がいた。

 ビュアネだ。

 ビュアネはこちらの断りを待たずに部屋へと入りシースに拒否の選択を与えなかった。


「不甲斐ないな。ここまで不甲斐ないとは思ってなかったよ」


 開口一番、ビュアネはシースを貶した。


「意味が分からないな。いきなり来ていきなり何の前置きもなく言われても、理解できる者は少ない」

「でも僕が何のことを言っているかはもう分かっているだろう?」


 シースは眦(まなじり)を片方だけ吊り上げた。


「まさか彼女をなくてもいい危険に晒すなんて思ってもみなかったよ。君はなぜか彼女に対しては、他のパートナーに比べてだが気を使っていたからね」

「まるで見ていたような言い方だな」


 シースは特に思うところもなくそう言った。だが対するビュアネの反応は違った。


「ああそうさ。見ていたよ。それが僕の仕事の一つでもあったからね」


 思いも掛けない告白にシースは黙らざるを得なかった。

 ビュアネは独白にも似た言い方でシースを揺さ振りに掛けていた。


「ふ、僕はね、シース。君のどうしようもない、本当の姿を彼女の前に出してみせる。君が嫌がることを僕はする。つまらない男だと思うか? でもそれが僕にできる君への復讐だ。どんなに時間を掛けてでも僕は君を……また邪魔が入ったか」


 首を振ると部屋の外に出ようとする。その時ビュアネは一つ、シースに言葉を残した。


「単純だけど、でもよくある復讐法じゃないからな」


 ふっと、ビュアネは最後に笑ったような気がした。


「なんだったんだ。結局は」


 シースは狐に摘まれた様な――おそらく生涯最初のわけが分からないという――顔をした。

 昇った太陽はそろそろ下降しようとしていた。



                ◇◆◇◆◇



 アウロイという男を一言で言うなら、有能だが命令を聞かない扱い難い駒と上の人間は言うだろう。では下の人間は彼をどう言うだろうかというと、どこか緩みのある上司と言っただろう。そして同じ階級に立つ者たちは、できれば関わり合いになりたくない人間ナンバーワンと口を揃えて言う。

 それほど、見る立場によって印象の変わる人間だった。


「やはり秘書でも付けた方がいいか」


 アウロイは山のように積まれた書類を前に呟いた。


「支部長、それじゃ秘書がかわいそうです。絶対全部押し付ける気でしょう」


 たまたまそこにいた事務職員の一人が異議を申し立てた。手の中にはダンボール箱が存在しているがあまり目立たない。


「だいたい、これは支部長があっちこっち行ってサボってた間に溜まったんですよ。自業自得以外の何物でもないですよ」

「そうは言ってもな。なぜか他の部署に比べて明らかに多くないかね」

「そんなの当たり前でしょう。なんたってあなたはここの最高責任者なんですから」

「いや、そうではなくてな。第一、第二支部よりも多いのはどうかと思うぞ」

「それですか……。まあそれはしかたないんじゃないですかねぇ。なんたってあんな問題児を抱えてるんですから」


 職員はダンボールを運ぶ手を休めた。


「問題児、か。そんな歳ではないと思うのは私だけかな。というよりも問題児の一言で彼を表すのは初めての見解だな。なかなか見所があるんじゃないか?」

「まさか。そんな風に言えるのはミーシャさんのおかげですよ。なにせあの天下の問題児も彼女には頭が上がりませんからね。もちろん、私たちもですが」

「ははは、まったくだ。なるほど、今度から皆(みな)の前でその姿を見せればあの問題児の嫌な噂が少しはなくなるかもしれんな」

「本気で検討しないでください。我々の恥まで一緒に公開するようなものじゃないですか」

「男限定でな」

「分かってるなら止めてくださいっ」

「ま、今ではないから安心したまえ」

「ちょっと。それじゃあいつかやるんですねっ? やるんですよねっ。そんなことするなら全男性陣総力を挙げて抵抗しますよっ!?」


 必死な男性職員の姿に、アウロイはよっぽどばれて欲しくない秘密を彼女に握られているのだろうと知った。


「わかったわかった。実行はしない。私も今いやなことを思い出した」


 それは嘘ではなかったが別にばれたらばれたで、程度の物だった。


「本当ですか?」


 疑わしげな視線を歯牙にも掛けず受け流し、アウロイは再び現実へと目を向けた。


「やはり、秘書が欲しいな」

「駄目ですってば」


 男性職員の呆れた声が返ってきた。



                ◇◆◇◆◇



「こんにちは」


 それは不意に聞こえてきた。


「初めましてだよね?」


 声は何処からともなく耳に入る。

 それはまだ声変わりしていない男の子の物に思えた。

 周りに目を向けるが声の主は見当たらない。自分以外には今いるはずもないのだから人の姿がなくて当然なのだが。


「ここだよここ。上だよ」


 素直に顔を上に向けると、薬の棚の上に幼い少年がいた。


「フィルネ・アノールっていううんだよね? 僕はポイト。人じゃあないよ」


 何てことないものだという風に彼は言ってのけた。フィルネは声が出ない。


「ふふふふ、いいねえその感じ。ほんとに良いよぉ。だけど浮かない顔だね。どうしてかな。あのお兄ちゃんのことかな」

「どうして、知ってるの?」

「んー? だって僕ずっとここにいたんだもん。ただ気付かれなかっただけでさ」


 ひょいっ、と少年は棚から降りてフィルネのところまできた。


「お姉さんたち面白いからこれからも来ようかな。ね、いいよね」


 フィルネはこんな小さな子に駄目と言えるわけもなく、頷いてしまった。


「ありがとう。また来るね」


 それを最後に目の前から消えてしまった。視界から外れたのではない。本当に見えなくなってしまったのだ。

 白昼夢。

 今のをそう言うしかなかった。何もいまいた少年の存在を証明するものはなく、突然消えたぶかぶかの服を着た男の子が本当にいまいたのかは分からなかった。

 ただ彼女が起き上がっていたということだけが、事実としてあるのみだった。



                ◇◆◇◆◇



「それはあれね。神出鬼没の妖精とも精霊とも言われるものよ」


 フェレン・アノガリーはフィルネにそう答えた。


「つまり……全く分からないんですね」


 妖精も精霊も同じなんじゃないだろうかと思いながらフィルネは核心を突いた。


「そう。どこにでもいるようでいない。だけど突然何もかもを見透かしたような言い方をして現れる者たち。中には〝アイレーンの災禍〟や〝終焉を告げる者〟と言っている者たちもいるわ。逆に、〝始まりの聖夜に生まれる者〟、〝根底の根源〟と言うのも、ね」

「凄い名前ですね。なんか他にもありそうで怖いです」

「あら、じゃあこれはどうかしら。〝和(な)ぎの小鳥〟病院にいる重症患者の前に現れた彼らは、穏やかな終わりか新たな命を与えるという話から出てきたの。助からない人が最後に見たい物を見せてもらったとか、まだ生きていてと言われたとか、探したらまだまだあるわね」

「良いのか悪いのか分からんな」


 いままで静観を決め込んでいた人物が二人の間に入った。アウロイだ。


「いいんですか? また仕事が溜まりますよ」


 フェレンが言った。


「もう溜まっている。……誰か優秀な秘書を紹介してくれぬものか」


 ぼやく彼に誰も構わない。二人の女性は自分たちの話しに集中している。


「ま、結果から言うと何でもありの相手ってこと。気にする必要は無いわ。また会いに来るって言うなら本当にまた来るんでしょうけど」

「そうですね。ところで支部長は何をしに来たんですか?」

「現実逃避だ。だが、余計に傷付いた」


 何か悟ったような物言いに気になる女性二人だが彼は変わらず書類にサインを書いている。

 現実逃避と言うわりに書類の束を携帯しているのは彼の責任感から来るものだろうか、それとも逃避しすぎて自分が何をしているのか分からなくなっているのか。どちらとも取れる行動にあえて言及せず無視を決めた二人の判断は良かった。

 おそらく言ったら混乱か傷付いた心にさらにひびが入って支部内を彷徨(さまよ)っていただろうから。


「ふう、そろそろお暇(いとま)させてもらおう」


 しっかりと書類を手に持ってどこかへと向かう支部長を気に掛ける者はここには誰もいなかった。


「それにしても、何を話していたのだろうか」


 すでに彼は周りの声が聞こえなくなるほどの現実逃避に入っていた。


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