第三章 ~軽震~ 4

「わわわっ。ああぁぁ」


 フィルネは逃げていた。

 自分を狙う敵から。

 相手は見たこともない装備で遠距離から攻撃を仕掛けてくる。あれだけ離れていれば大したことはないだろうと思っていたが、頭の横を何かがもの凄い勢いで通って行ったら逃げ出すのは当たり前だろう。

 場所は荒野。辺りには岩や何でできたのか知らない穴がありなんとか隠れながら逃げることができた。しかしそれももう限界だ。そもそも荒野に隠れる場所があるなんて幸運以外の何物でもない。だからこれほど多くの隠れ場所があったのは次の人生の運までも使ってしまったのではと思うほどだった。


「はははっ。死ね死ね死ねぇぇっ。ガベルのくそがぁっ。この〝災厄の墓場〟で殺してやるぞぉ。ここはてめぇらガベル共が全滅した曰わく付きだぁっ。俺は負けねぇっ」


 敵の声の半分は轟音(ごうおん)で聞こえなかった。近くで何かが打つかって破壊音を奏でている所為だ。 フィルネは穴の一つに身を隠しそれらをやり過ごした。


「どうしよう。まさか大物の方が引っ掛かるなんて思ってなかった。なんで商売人の方じゃないのよっ」


 彼女は仕事を見事に果たした。下調べをし噂を辿り、以前から懇意にしていた信頼の置ける情報屋を使って目的の商人を探し出した。が、強力な武器は自分だけが持てば良いという男が彼女を待ち伏せし、街中で追い詰められ、ぼろを出してしまった。しかし相手が出した一瞬の隙を突いて街の外へと脱出した。

 それなのに相手は闘志を燃やして彼女を追い掛け回し、現在の状況に陥っていた。

 彼女が人生を三回ほどその場で悔い改めていたとき、それは起こった。

 破砕音。

 数メートルしか離れていないところにある岩が跡形もなく砕けた。

 何かが放たれる音と壊される音は休むことなく続き、フィルネを精神的にも追い詰める。

 そして、突然の閃光と爆音、悲鳴。

 悲鳴は彼女もしたが他の人間のものも混じっていた。

 そしてそれきり静まる、音。

 何も動かないから何の音もしない。自然の摂理に従った結果のこと。

 けれどそれでも彼女は身動(みじろ)ぎ一つしなかった。

 それからどれくらい経っただろう。

 結論から言うと相手の攻撃の正体は砲弾だった。

 小型化され、片手で岩をも砕く威力を持った兵器。手の甲に付けられた発射口から背中まで伸びたコードは背負われた機械に繋がっている。

 他にも顔の部分は硬い物で覆われ見えているのは目と口元ぐらいなものだ。右手に装備した強力な破壊兵器とは異なり左手には何も装備されていなかった。最低限自分の身を護る篭手を着けている程度だ。

 背中の機械は生み出す者(アーティネイター)と言う。ガベルのある科学者が作り出した兵器の失敗作である。

 これは画期的な機構を持つ破壊力に富んだ兵器だが、いかんせんその機構によって最大の欠点を持つに至った。

 それは暴発率と使い勝手の悪さである。

 弾を機械に装填(そうてん)しておけばその弾数だけ打ち出せるのだが、その弾を打ち出すのにとても希少な火薬ではなく熱を発生させる物質によって圧力を加え、吐き出させる。つまり打ち出すのに膨大な熱を必要とするのだ。

 しかしこの方法では装備した発射口は固定されたままなくてはならず、動きの早い怪虫と遭遇した時に仕留めることが難しく、また冷却装置(ラジエーター)の小型化はできなかった為に発生した熱は放置されている。

 一発撃つごとに増え続ける熱量とそれに伴い膨張する体積、中の弾が圧力に耐えかね二発目や三発目で爆発してもおかしくはなかった。

 だが、この男が装備している物はそれにいくらか改良を加えたものであるようだ。連射さえしなければ十分に戦力として考えられただろう。

 だから連射をしてしまった今、いつ武器が爆発してもおかしくはなかった。そして遂にやってしまったというわけである。

 フィルネが顔だけを覗き出してみると、男は無残に転がっていた。

 暴発した弾は男に当たることだけはなかったようだが――そうでなければ破片しか残っていなかっただろう――衝撃を受けるほど近くには命中していて腕や足が変な方向に曲がっていた。

 もっとも、一番酷かったのは機械を背負っていた背中だが。

 暴発と同時に周囲に拡散された熱量が男を襲ったためである。頭部は着けていた物が溶けて張り付き、服のほとんどは焼け焦げていた。


「う、ぐあぁあぁ」


 観察が終わらぬうちに男が蠢(うごめ)いた。

 びくぅっ、とフィルネは反射的に身を隠した。

 しかしいつまで経っても他に動きがなかったから、もう一度覗き見た。

 男はその場から動いていなかった。当然だ。原形を留めて生きているだけ暁光というものなのは明らかなのだから。


「大丈夫、ですか?」


 フィルネはゆっくりと近付き声を掛けた。命を狙ってきたと言っても流石にこの状態では同情を禁じ得ない。


「あ、ぐぁあがぁ」


 呻き声だけで答える。

 とりあえず生命力だけは人一倍ありそうだとフィルネは断じ、街からも然程離れてないから今の閃光を見た誰かがここらを見に来るだろうと当たりを付けた。

 持っていた応急手当の道具で最低限の治療だけをすることにした。


「いま助けますからね。て言っても応急手当だけですけど」


 せっせと薬を塗り、傷の酷いところには包帯を巻く。それが終わる頃には男はもうたどたどしいながらも話せるようにはなっていた。


「あんた、いい人だな」

「へ? え? あ、ありがとうございます」


 あまり言われたことのない言葉を自分に向けられ、途惑うフィルネ。


「俺みたいな、相手殺して喜んでるような奴にこんな、こんな……!」


 感極まって涙する男。

 その後もつらつらと懺悔(ざんげ)を続けた。


「ちくしょ、なんで、なんで俺はこんなっ、ごぼごっ、ぐ、く」

「無理しないでください。重症なんですから」

「いや、言わせ、てくれぇ。実は、俺は、始めか、らあんたを殺す気だったんだ。俺んとこに手紙が、来て、そこに、あんたのことが詳しく書いてあったんだ。ガベルの、人間だって事は書いてなかったけどな。んで、いつどこに現れるかも書いてあって、俺はそこで待ち伏せてただけなんだ」


 ぶるぶると震える腕で懐から紙片を出し、フィルネに差し出した。


「これが、そうだ。誰があんたを殺そうとしてるのかは知らねぇ。だが、調べた、限りじゃあんたの知り合いの可能性が高ぇ。ここまで調べ上げるなんて、短期じゃ無理だからな」


 フィルネは受け取った紙をその場で広げ、確かにとても短い間に調べるのは無理だというほどの内容が幾つも書いてあった。


「もう、行ってくれ。もしかしたら、今この場にもそいつがいるかもしれない。早く逃げてくれ。きっと、俺以外にも刺客はいる。俺みたいに何も知らないのを使うのは今回限りだろうから」


 男は最後の気力を振り絞るようにして起き上がった。


「だから、だから、十分に気を付けてくだせぇ」


 それが、男の最後の言葉になった。


「ひっ」


 首から突然、剣が出てきた。それはいまさっきまで存在しないものだった。明らかな異質にフィルネは慄(おのの)いた。


「どうして、そんな」


 誰が、誰がこんな酷いことを。

 フィルネは呆然と首から生えた剣を抜き、手に取った。


「なんで、これなの」


 それは、ガベルの支給品(ブラインド)だった。

 どこから飛んできたのかも、誰がやったのかも分からなかった。

 急いで辺りを見渡すも、人の姿は見えなかった。


「あっ」


 視界で影が動いた。ここからでは影しか見えなかったが、それで十分だった。


「あの方向は、確か」


 影が消えたのは、ガベル第六支部へと繋がる道筋だった。

 恐ろしい考えが彼女の中で次第に脹(ふく)らみ、泡(あぶく)となって上へ上へと昇っていった。



                ◇◆◇◆◇



 人が感知できない遥か上空。

 そこに一人の少年が浮いていた。

 ぶかぶかの服を着て、楽しげな顔を常に浮かべる彼は、下の光景を愉快そうに見ていた。


「〝かくて全ては一つの結果に集約する〟。だれが言ったのかは知らないけど、これは暗闇を表す良い言葉だと思わない?」

「決められた干渉値を超えてるわよ! どうするつもりなのっ?」

「問題ないさ」


 少女の怒りに少年は澄まして答えた。


「なぜなら僕が干渉した相手はあの男。場所もあそこから遠く離れたここ。しかも八年前が最後の干渉。どこに落ち度があるってのさ?」


 少年――ポイト――の言葉にビローは更なる言及を行った。


「直接殺したじゃない。あれが赦されることだとでも思ってるの!?」


 それさえも、ポイトは予測済みといった顔で得意気に切り替えしてきた。


「知ってるかい? あの男がこれまで何人殺したか。いったい、どれほどの心無い男か。奴はね、あの剣で彼女を刺し殺すつもりだったんだよ」

「そんなのいいわけにもならないっ」

「それがなるのさ。なぜなら僕は彼に干渉しただけなんだから。僕はあの剣を誰にも見えないようにしただけ。それをあの男が馬鹿をやって結果、死んだ。それだけの話」


 ビローは歯噛みした。

 何が姿を見えなくしただけなものか。しっかりとそれをした後に元の場所に戻すようにして投げたのは誰だ。

 ポイト。

 その言葉を、ビローは飲み込むしかなかった。見なかったことにするしかなかった。

 言えば彼は死ぬことはなくても長い間酷い目に合うことは目に見えていた。それにこんな言い訳でも一度くらいならどうにかなる。

 あとはただ彼がこれに味を占めないことを祈るだけだった。


「あとはただ待つだけだよ。どんな結末に向かうのか。もう僕らは干渉することができないんだから」


 残酷な子供は、無邪気に遊びを享受(きょうじゅ)する。少しくらいのズルは許されると。


「他の子がやってるからって、私たちまでやってどうするのよ。ばか……」


 小さく、儚く、消え入るように言葉を流した。



「ご苦労だったな。フィルネ・アノール」


 らしく(・・・)、彼は言った。


「どうにも危険な目に遭わせてしまったようだな。任務を果たせなかったのは残念だが、取引相手の一人を減らすことに成功したそうだな。特別手当を出しておこう。後で書類にサインをしておいてくれ」


 渡された書類は、薄い紙切れ一枚だった。

 人の命は、これ一枚で話が着いてしまうほど軽いものなのか。フィルネはそんな自虐的な考えを頭に浮かべた。


「どうした? 顔色が優れないな。フェレン医師に診てもらおうか」

「いえ、体は何処にも異常ありません。ただ、ちょっと疲れただけです」


 アウロイは目を細め、目の前の少女に優しげな口調で語り掛けた。


「精神的なことでも同性の、それも一応は医師である彼女と話をするだけでも変わるものだ。行っておきなさい」

「これは、同性だからとかそういうことで言える話ではありませんから」


 フィルネは頑(かたく)なに首を振った。

 それがアウロイの不安を煽(あお)った。

 お節介とは知りつつも、直属の上司に当たる彼からすればここが見せ場でもある。重要なことなら少しは彼にも話をして欲しかった。また、純粋に彼女のことを心配してもいた。それが最初に来たあの書類から始まったものだとしても。


「私に話せることだけでも、断片でもいいから言いなさい。全てを背負うのはつらいことだ」


 フィルネは俯(うつむ)き長い間返答をしなかった。

 辛抱強く待つアウロイにも、彼女にも、この時間は一秒一秒が長く感じられた。

 しばらくして、ゆっくりと、彼女が面を上げた。


「断片なんかじゃありません。全部、全部聞いてください。支部長なら何もかも分かりますよね?」


 今にも泣き出しそうな顔で彼女は切り出した。

 十分後、アウロイは来るべきものが来たことを静かに悟った。

 監視員は付けていた。しかし、あの状況で見つからずに追い掛けることは困難であり、また相手の火力を考慮すれば一介の隊員如(ごと)きの監視など命を賭けてするものではない。当然の結果として、彼が聞いていた内容は街中のみだった。

 アウロイは考え込むような態度を止めて彼女の顔を見た。

 彼女とこれからどうするのかを、彼女の今の考えを訊かなければならない。


「しばらくは信用の置ける者を君の傍に置いておく事にしよう。まずは君のパートナーであるシース、それから――」

「待ってください」


 フィルネは珍しく他人の話に途中で割って入った。


「彼とは、組みたくありません」


 躊躇(ためら)うように、しかしはっきりと、きっぱりと告げた。


「それは、シースが怪しいということか? それとも、私を疑っているということか?」


 フィルネは黙った。

 しかしすぐに口を開いた。


「その……シースさんとは、まだ仲直りと言うか、そういうの全然してませんし、どうしても、駄目なんです」


 嘘(うそ)、だった。

疑ってないわけがない。

 最初の仕事、滅多(めった)に現れないところで行きにも帰りにも現れた怪虫。仕事で彼女が民衆の波に巻き込まれても放っておいたこと。そして絶えない悪い噂。

 疑わないでいられるほうがおかしかった。

 だから、まだ離れていたかった。

 疑いが、現実にならないように。

 なっても、自分は気付かないように。

 死にたいわけじゃない。むしろ逆。

 でも、どうしても拭(ぬぐ)えないこの思い。

 耳に挟(はさ)んだ噂から、彼の今までの行動から、自分がどうとも思われてないことが怖かった。 自分を殺しても、自分が殺されても心痛まぬというのが恐ろしかった。

 会ってまだ一月と少し。最近は顔を合わせてさえいない。最後に会ったのは病室。彼の告げたたった一言が、彼女をなんとか最悪の行動を取らせないでいた。

 一度だけ見舞いに来て、ただずっと黙って立っていて、顔も見せずに去った。おそらくフェレンさんがあの時来なければ聞けなかった言葉。たった一つの。


「話しはしたの? その様子じゃ、してないのね」


 ため息を吐いたフェレンさんは少し大きめの声で言った。私にも聞こえるように。


「体の様態を訊かなくていいの?」

「……」

「彼女は大丈夫よ。どこにも、傷はないわ」

「……」

「あなたは何をしに来たの? 彼女を見舞うためじゃないの?」

「……ええ」


 フェレンさんはそこでなぜか動きを止めてしまった。でも後の言葉を聞いて納得がいった。


「あなたが素直にそういうことに頷くなんて初めてね」

「別に……。いままではここにそういうことで来る必要を感じなかったからだ。俺の答えはいつもおかしいらしいし……」

「拗(す)ねた子供ね。まるで。そんなふてくされた顔してないで、ちゃんと彼女を見舞いなさいよ」 彼はそれきり一声も発することなく部屋を出てしまった。だけどフェレンさんが来て、私に彼のフォローをした。


「ごめんなさいね。あの馬鹿は人の見舞いに行ってもいままで煙たがられてたから、心配で来ても会うなんてできなかったのよ。自分が何言われても大丈夫なくせに、心配した相手に無碍(むげ)にされることがダメなのよ。分かってあげて、彼は心がないんじゃないの。心が育ってないのよ」


 その後にも何か言葉が続くような気がしたけど、フェレンさんは口を噤(つぐ)んで彼が出て行った扉を見ていた。

 私には何か他に言いたいことがあるんですか、とは訊けなかった。

 私にはまだそれを聞く資格がない。

 前にフェレンさんが言おうとして止めた、そのときから自分は変わっていない。

 だから訊くのは止めにした。

 彼を嫌いになりたくないから。

 フェレンさんは私の体調を訊いた後、くれぐれも下手なことはしないようにと釘を刺して行った。

 見舞う為に来た。それを肯定した言葉が心に残った。

 フィルネは回想を振り払い、できる限り厳然とした面持ちで言葉を告げた。

 どうか、彼とだけはいましばらく会わないようにしたいんです。それを許してください。

 アウロイは静かに考え事をした後、フィルネに答えた。


「いいだろう。だが、私が知る信用できる者はフェレンぐらいしかいない。彼女は非戦闘員だ。仕事先に赴(おもむ)くことはない。仕事はどうする気だ? また休養というわけにも、もういかないだろう」


 フィルネは言った。

 たとえ一人でも仕事はできます。この件は私が片をつけます。迷惑は掛けられません。

 アウロイがこの申し出を受けたのは、一分後のことだった。


「彼にやってもらうしかないか。まだ彼がどちらの立場にいるのか分からないが、どちらにせよ彼を彼女に近付けるしかない」


 フィルネの退出後、独り言葉を紡(つむ)いだ。

 疲れた表情で、未来のことを案じていた。

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