第一章 ~世界的中立機構~ 1
「今日からガベル第六支部に配属になりました、フィルネ・アノールです。これからよろしくお願いします」
席を埋め尽くされた食堂に、元気な声が広がる。
「アノール君は本日付でこの第六支部に所属することになった新人だ。皆、まだ至らない所もあると思うがしっかりとフォローするように」
フィルネの隣にいる、頭一つ大きい男性が彼女と然程変わらない声量で言った。
「アウロイ支部長。彼女のパートナーは誰ですか?」
どこからともなくせっかちな質問が出てきた。
アウロイ支部長と呼ばれた男はふむ、と一つ間を置いてから答えた。
「シースだ」
瞬間。ぴたりと物が擦れる音さえ止んだ。
「シースだって?」
「まじかよ」
「よりにもよってあいつかよ」
「死んだな。あの新人」
「おい、滅多な事言うもんじゃねぇぜ」
「でもよ、あいつは」
「馬鹿。ビュアネさんがいるんだぞ」
「あ」
いままで何人かはこそこそと話している様子はあった。しかしこれほど大きな話し声で物騒なことを言われると人は不安になるものだ。まして彼女はここに来たばかりでまだここにいる人たちの人となりを知らないのだ。それはいかほどの物か。
「静かにしろ。すっかり萎縮しちまってるじゃねぇか。言葉には気を付けろ」
アウロイ支部長が言うと、騒ぎは一応の収拾を見せた。
「いいか、これはもう決まったことだ。お前らがなんと言おうと変わる事はない」
「しかし支部長」
「黙れ。この人選は上が決めたことだ。第一欠員が大量に出た第四支部に今年は試験に受かった大部分が行くはずだったのに、なんでこの欠員が今年一番少なかったここに来たと思う。上がそうしろと言ってきたからだ」
普通は言わないであろうことを平然と晒すのは彼が並々ならぬ度胸の持ち主だからか。
「それにシースは以前にパートナーが死んでからずっとシングルでやってきた。そろそろペアでやってもらわなければと思っていたところだ」
まだ納得のいかない者が大半のようだったがこれ以上何を言っても無駄と言うことは理解したようだった。小声で何か言っていても聞き取れるほどのものではない。
「以上で新人紹介を終わりとする。解散」
がやがやと席を立つ多数の者たち。出口は一つしかないのでしばらくは混雑しそうだった。 フィルネはアウロイ支部長に許可をもらってまだ席を立っていない人たちと話をしようと近寄った。
「あの、初めまして。フィルネ・アノールです」
彼女が話し掛けたのは女性グループの一つだった。メンバーは全員温厚そうな出で立ちである。
「初めまして。フィルネさん」
口々に自己紹介をされた後、彼女たちは同情の言葉を掛けてきた。
「あなたも大変ね。あのシースと組むことになるなんて。しかも上の命令だから絶対にパートナーを変えられないし」
「それで、シース《さや》さんてどんな人なんですか。名前もちょっと変ですし、なんかずいぶん酷い言われようですけど」|
彼女たちはそれぞれに顔を見合わせた。言おうかどうか迷っているようだった。
代表して最初に自己紹介をした女性が口を開いた。
「まず、あいつの本名は支部長以外誰も知らない。これはどういうことか、面白半分で調べ上げた奴の言ったことなんだけど、ここに出されてる名簿にはしっかりとシースと書かれてるんだけど戸籍には名前の欄が消されてたそうだ。そんでもって更に深く踏み込んだんだけど何の情報も手に入らなかったそうだよ」
そこで一旦口を閉じられた。再び顔を見合わせる彼女たち。
今まで出たことにはとてもここまで嫌われるような内容はなかった。せいぜい気味の悪い奴ぐらいにしか思われないことだった。ということはこの口篭もっている内容が嫌われる理由なのだろう。そして自分が死ぬとか言われる理由でもある。
「あいつが嫌われてる理由は人と関わろうとしないこともあるけど、それ以上にあいつのやり方が、ね。とてもやばいんだ」
話を要約するとこういうことだった。
シースと言う男は冷酷無慈悲な無表情無愛想な奴だと言うこと。依頼を果たせばこれまで護って来た人たちがどうなろうと構わないし、仲間が何か手助けをしても礼の一つも言わないということが彼らの反感を買っている。
「でもそれで死ぬなんて言われるほどでもないし。どういうことなんだろう」
「フィルネさんと言いましたね。彼には気を付けた方が良いですよ」
不意に後ろから声が掛かった。
振り向くとそこには二人の男の人が立っていた。
「失礼。私はビュアネと言います。こちらはゴロイ。私のパートナーです」
ぴちっと隊員服を着こなした男が丁寧に紹介をした。
ゴロイと言われた方は静かに頭を下げた。背は小さく頭は丸まっている。雰囲気は凄く落ち着いた感じで人に安心感を与える。
「彼はパートナーのことを気にしませんからね。自分で気を配っていないと任務中に痛い目を見ることになったりしますよ。それからもう分かっていると思うのですが、彼は人に嫌われています。だからあなたも何かと大変な目に合うでしょう。あまり始めから気を張っていると、倒れてしまいます。過労死などには気を付けて下さい」
フィルネはそれで理解できた。つまり彼と組むということは援護やフォローをしてくれないから一人でやっているのと変わらないし、しかも周りからの
確かに現実的に考えると彼と関わることによって友人は出来難い、味方は少ないとなると色々と負担は大きくなるだろう。しかも自分は教習所から出てきたばかりの右も左も分からないひよっこ。考えれば考えるほどこれはやばいと頭に警告が鳴り響く。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
ビュアネさんが心配をしてくれた。
「大丈夫です。ちょっとこれからのことを考えただけですから」
「はあ。まあとにかく何かあったら言ってください。できるだけ力になりますよ」
「ありがとうございますビュアネさん。あ、もうそろそろ戻らないと。皆さん、色々ありがとうございました」
彼女はアウロイ支部長の元へと戻った。
「それでは君をパートナーの下へ連れて行こう」
「はい」
三分の一ほどしか残っていない食堂を後に、二人は歩き出した。
「もう知っているとは思うが、君のパートナーになるシースという者は一筋縄ではいかない性格の持ち主だ」
歩きながら彼は切り出した。
「それで異例のことだが彼は私の直接の部下ということになっている。もちろん彼のパートナーになる君も私の直属の部下ということになる」
「えっ?」
そんな話は全く聞いていなかった。
「なんだ、それは話していなかったのか。……まあいい、ともかくそんなわけで先に彼には言い含めておいたから、君が聞いたほど難しいことにはならないだろう」
フィルネはずっと思っていたことだがこのアウロイという人が支部長であることに違和感を覚えていた。
支部とはいえ仮にもそこの長である人間がちょっと気難しい人にしか見えなくて良いのかということだ。
だがそんな心配は無用とばかりに事実として彼が五年もこの支部を確りと切り盛りしてきたという実績がある。仕事には役職に合った威厳と言う物が必要だという考えは間違いだということを彼は証明していた。
「さて、着いたぞ。入りなさい」
そこは個室だった。しかし私室ではない。多くもなく少なくもなく、適度な位置に配置された調度品が存在する支部長室だった。
部屋には当然のことながら先客がいた。
前髪が瞳に掛かるほどに伸びた髪。
こちらを見る感情の希薄な目。
身長は平均的で彼女より頭一つ高い。
鼻筋はそれなりに整っている。
口元は結ばれていたが先に述べたように意思の強さは感じられない。
一言で言えば神秘的に少しの生意気をプラスしたような印象だ。
「シース。彼女が今度のパートナー、フィルネ・アノールだ。アノール君、彼がシースだ」
ほとんどおざなりな口調で紹介をし、二人を並ばせた。
席の前で座らずに立ったまま、アウロイ支部長は話を始めた。
「シースは先程はいなかったがそれは彼がまだ終わらせていない書類の提出を優先したからだが、私としてもこうして大勢の中から見るのではなく互いに話せる状態で合う方が良いと私も判断したのでそれを許した。これを不快に思わないで欲しい」
実際は彼があの場にいると大変なことになったからだろう。もしかしたら彼の方から大勢が集まる場所に居たくないと言ったのかもしれない。
「それと早速で悪いのだがもう君たちに仕事で外に出てもらわなければならない。これも上からの命令なので拒否はできない。すまないな」
さっきの食堂での集まりもそうだったがどうにも上、上と支部長は簡単に言ってしまって大丈夫なのだろうか。どう考えても普通はこんなにも連呼しないだろう。
「ま、仕事のランクとしては低い方なのでそれほど心配もいらない。これで彼女に実践で注意すべきことを教えるようにしろ。シース」
それで本題は終わった。後はこれからする仕事についての資料と簡単な説明がされただけで終わった。
部屋を出て、シースと二人廊下を歩く。
どちらも声を出さなかった。
フィルネの方は時々シースの方を盗み見ていたがシースの方はただ前を見て歩いているだけ彼女の方を一瞥さえしない。
誰とも擦れ違わなかったのも拍車を掛け、フィルネにとって重い沈黙が続いた。
今向かっているのは外へと出る為の場所だ。
今回の仕事は、と言うよりも大体において組織配給の制服で行う。少し動き易さよりも見た目を取っているがそれでも機能は良い。
通気性・揮発性が良く高地や火山帯の所でもこれだけで大丈夫で、危険な仕事も十分にこなせるだけの耐久力も持ち合わせている。見た目には分からないが。
だから二人はそのまま任務に就くことができた。武器は必ずしも必要ではないということもあり携帯武器だけで行くことになった。
確率は低いって言っても怪虫が出るんだからもう少し装備を充実させてもいい気がするんだけど。
所持している携帯武器は配給されたもので、長さと形を調節できるという優れ物の剣だけ。これでは怪虫を相手にするのに心許ないと言わざるを得ない。
フィルネは嘆息した。
するとそれを視界の端にでも捕らえたのかやっと声を出した。
「怖いのか」
だがそれは彼女の心中をまったく理解していない一言だった。
「教習所では怪虫を本でしか見ないからな。標本でもいいから実物を見せればもう少し新人の練度が上がり楽になる」
シースは淡々と言葉を続けて行った。
内容はちょっと人を馬鹿にしたものだったがこちらを嫌っているわけではないことを確認できただけよしとしよう。
フィルネはコミュニケーションを取る為にここぞとばかりに話し掛けた。
「まだちゃんとお互いに自己紹介していなかったわね。私はフィルネ・アノール。出身はレコランジェロで家は商いをやっているわ」
「シース。それ以外にはない」
きっぱりとそれきり口を閉ざし、再び自ら口を開くことはなかった。
フィルネは根気強く話を続けた。
本人が話そうとしないのなら本名はおろかどこの出身かとかここに来る前は何をしていたのかということは訊いても何も答えないだろうと思い、いままでにどんなことをしてきたのかを訊いた。
「外に出て依頼を果たした。それ以外に何もした覚えはない」
諦めず次の質問を投げ掛けた。
「仕事をしているときに何か印象に残ったことはあった? 例えばどんな怪虫に出会ったとか珍しい植物を見つけたとか」
「知らない。あったのかもしれないがそういうところに目を向けはしない」
めげずにもう一度挑戦した。
「それじゃあここに来てからあった良い事は? ご飯が美味しかったとか何かイベントがあったとかは?」
「食事は、美味しいと言えば美味しいし不味いと言えば不味い。イベントにはいままでずっと参加していない」
取っ付きがないとはこのことを言うのだろう。
ここまで話すことがないとなるともう会ったばかりの彼女には他に話題がなかった。こんなんで大丈夫なのだろうかと思いながらも話題探しに辺りを見やる。
廊下には誰も現れず静かなままだ。それとも余計なことに関わるのが嫌で誰も出てこようとしないのだろうか。
そんな被害妄想まで出始め、フィルネは心の中で頭を抱えて喚いた。
誰かどうにかして。
その心の叫びは誰にも届くことはなかった。
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