第四章 ~災厄の蹂躙者~ 3

 いくらなんでもやり過ぎだろう。目標組織(スネークスケイル)を捜査段階で潰すなど。

 シースは一つ、ため息を吐いた。

 始めから敵意を出していたこと。いきなり相手のアジトに乗り込んだこと。しかも正面から。アジトを目茶目茶にして後の調べが大変であろうこと。等々、反省点は挙げればきりがない。

 それなのになぜこんなことをしてしまったのか。


「それにしても、本当に頭の悪い奴らだったな」


 まず組織名からしておかしい。蛇に鱗は無いとアウロイから聞いたことがある。もし違ってもそれはアウロイのせいだ。

 アジトの場所も考えられてない。目立つわ使い勝手は悪いところだわちょっと崩せば自分たちがその下敷きになるような酷い建物だわと、とてもじゃないが長いしたいところではなかった。

 シースが一人でこの勢いに乗った振興勢力を倒せたのはそのためである。

 まず適当に外にいた奴らを倒して進入したら明らかに崩れたら困るだろうところを―剥き出しになった鉄骨とか―を破壊して倒壊に巻き込まれないように逃げる。その後運良く残った五人の人間を立ち直る前に三人倒し、残る二人のうち一人は自滅―剣を抜いて走ったら足を取られて転び自分の体に剣を突き刺してしまった―最後の一人は一度も打ち合うことなく切り捨てた。

 歯応えがない。この辺りを牛耳るほどではないがそれなりに恐れられていた割に弱い。

 質の悪い数だけの組織だったようだ。

 わざわざガベルが出向くほどの相手じゃなかった。

 シースは言い訳の主点をそこに置くことにした。


「せいぜい小言になるくらいだが……」


 こんな失態を冒(おか)したのはいったいどれぐらい久しぶりだろう。


「あいつは本当に狂わしてくれる。っ!」


 油断した。

 仕舞っていた武器(ブラインド)を取り出し身構える。

 敵意や殺意はないが気配は消されている。先程微妙に感じ取ることができたのは運が良かったからだ。

 舌打ちし、駆け出す。ここは場が悪い。今いるのは身を隠す場所もなく足場も悪い。相手にその気があれば殺すまでとはいかなくても怪我を負わせることはできただろう。

 近くにあった壁に身を寄せしばらく気配を探る。


「いない?」


 念の為もう少し待ってみるが何の反応も無い。警戒しながら出るもそこには誰の存在も―意識のない者は除く―なかった。

 シースは物騒な物を仕舞ってからその場を後にした。

 もうここに用はない。今の気配も手を出す気が無いのなら気にする必要はない。

 帰り道には死屍累々とした有様が存在はしない。誰も殺していないし深手も負わせてはいない。一番酷いのは自滅した馬鹿だ。全治二ヶ月と見た。


「よう。よく生きて帰って来れたな」


 すでにない組織との境界となっていた場所まで来るとあの男が変わらずにカップを持って立っていた。


「蛇は抜け殻」

「あん?」


 シースは笑った。


「見てくればいい。どういうことか分かる」

「遠慮しとくよ。やばい目に遭いそうだ」

「そうか」


 数歩進んでから思い出したように振り向いた。


「そのカップを中身ごと貰えるか?」

「止めとけ。まともなもんじゃねえよ。それに」


 男はぐいっと一気飲みをした。


「もうない」


 肩を竦(すく)めるシースと男。

 男は大いに笑った。

 シースは声を出さずに笑った。



                ◇◆◇◆◇



「まさか気付かれるとは思ってなかったなぁ。慢心も侮りもなかったんだけど。思ったよりやるってことかな? それならそれで楽しめそう」


 壊滅した組織の跡地に、一人の少年が現れていた。

 ぶかぶかの服を着た少年は、ポケットに手を入れて辺りを見回す。


「それにしても、こんなことを派手にやるなんてねぇ。ほんと、〝見学〟に回っても楽しめるなぁ」


 傍観、ではなく見学というところが抜け目が無いと言うかなんと言うか。

 傍観なら手を出すのはまず御法度だ。しかし見学なら試しに手を出して見るということが許される。何かあれば即座に手を加える気なのはその言葉から覗える。

 ぱらっ。

 瓦礫の山が動いた。

 埋もれていた人間が出てきたのだ。


「く、そ。あの野郎め。ぜってぇ探し出して八つ裂きにしてやる」


 にかっ、と少年はそれを見て笑った。


「ダメだよ。あれは僕の物なんだから」

「あ――」


 何を言おうとしたのか、それは結局分からず仕舞いだった。


「ふふん。つまらない相手。全然面白くないよ、ほんと」


 物言わぬ者に興味は無いとばかりに彼は反対側を見やった。

 そこには他のまだ生きている人間がいた。


「さて、ビローが来る前に片付けないとね。君たち邪魔だし」


 恐怖で引き攣った顔しか後には残らなかった。



                ◇◆◇◆◇



「酷い」


 現場はその一言に尽きた。

 フィルネは生きている者が誰も存在しない壊滅させられた組織の跡地に来ていた。

 明らかに人外のものによる手が下されたと分かる死体の山(ワールシュタット)。一番初めに殺された者以外、皆恐怖を味わったことが目に見えて分かる。

 彼女がここに来たのはポイトがこれを起こしてから約一日が経過していた。

 まだ誰も他に来た者はいないようだ。でなければこんなものはとっくに人の目に触れないようになっているはずだ。


「ガベルも動いてないの?」


 いまガベルはこの街の設定レベルの再調査を行っていた。それは自分に責任があったが不問にされていた。なにやら上の方で策謀が巡らされているらしい。それが関係して強く叩かれなかった。


「動いてないんじゃないの。動きを止めてるの」

「誰?」


 ふわり。傘を差した少女が舞い降りる。その場をフィルネは見たわけじゃないがそう思った。


「ここは危険よ。もうすぐ見世物(ショー)が行われるから」


 少女は簡潔明瞭とは程遠い、抽象的な言い回しで退去をするよう言ってきた。


「時に危険から逃げることも大切よ。こういった場合は特に」


 落ち着いた声音で――普段の彼女とは違う――伝えた。


「私を捕まえる餌にわざと残されてるの。馬鹿な人間たちに教える必要があるわ。私たちがその気になればどうなるか」

「何を言ってるの?」


 少女は傘を閉じ、先端をフィルネに向けた。


「去って」


 ふっ、と何か花びらのような物が現れて真っ直ぐに、無遠慮に、舞うこともなく通り過ぎたように感じた。

 気が付くと彼女はどこともしれない場所に佇んでいた。


「いったい、今のは」


 なんだったの? という言葉は出なかった。

 目の前に探していた人物がいたからだ。

 夢? それとも幻?

 不可思議な白昼夢に出会い、現実に戻るとそこに目的の人がいた。混乱しないわけがない。


「え? えっ?」


 彼はこちらに気付くこともなく人波に呑まれ、見失ってしまった。


「あ……」


 急いで追い掛けたが結局見つからなかった。

 そもそもあれが本当にシースだったのかどうかも今では判然としない。


「どうしよう」


 やっと見つけた手掛かり――彼女は組織の協力を受けていない――らしきものが触れることさえできずに失われてしまった。

 時間が掛かることは覚悟していたがこうもあっさり見逃すとは思ってもいなかった。


「でもそれよりも、ここは」


 キルクノーア、であることは間違いないようだ。見たことのある店がある。

 ただ腑に落ちないのは自分がどうやってここに来たのか覚えてないことだ。

 思い当たることはあるが違うだろう。さっきの事はやはり白昼夢だ。普通、突然人が現れたのなら誰かが気付いて驚くはずだ。まして人通りが多いここではなおさら。

 それがないということは自分の足で来たことになる。覚えてないだけで。

 白昼夢を見ながら歩ってたのかな。

 だとしたらよく大事に至らなかったものだ。

 意識がはっきりしてくるとどうすれば良いかも分かってくる。とりあえず通りの真ん中で立ち止まっていては迷惑だ。フィルネは脇に退いた。

 それから辺りをよく見渡して決断した。

 探索を諦めて今日の宿を取る。もう夕方が近い。街から人一人を探し出すのに一日では、いや半日では到底足りないだろう。


「安くて最低限の安全を保障できる宿」


 それはどこだろう。前は組織に指定された宿で寝ていた。当然シースと任務をしていたときは何日も街に留まるような仕事はまずなかった。あってもシースがそこに着く前に宿を手配していた。

 つまり、彼女にとってこんな条件の宿を探すのは初めてのことだった。組織が指定したところは組織の経営する表向きには知られていないものだったが。

 今は使えない。組織とは関係のないところで動いているのだから。

 そんな彼女には金がない。知識もない。


「本当に駄目だなあ」


 物悲しい目で呟く。


「嬢ちゃん一人か?」


 大きな袋を背負った男性だった。


「迷子か?」


 それはどんな判断基準なんでしょうか。

 フィルネは警戒も露(あらわ)に睨むように見つめた。


「泊まるところがないのならうちに来い」


 どうしてそんなことが分かったのだろうか。

 思わず問うと整えられていない中途半端なひげを生やした男は答えた。


「この街で捨てられた子犬や子猫のような目をしてるのは迷子か宿無しだ」


 なるほど。確かにこの街では民家よりも裏世界のものとか工場とか人に言えないものが多く存在している。一人で所在無げにしているのはそんなのだけなのだろう。しかもぼーっとしているのはここでは明らかに目立つ。そういう危ない世界なのだから。

 袋を背負った男をフィルネはじっくりと観察した。

 こういう裏世界に属する部分が深い街で親切心が頭を擡(もた)げてきて、なんて幻想もいいところだ。何か裏があるに違いない。

 フィルネはそれを探るために――自分にどれほどの害を与えるのかを知るために――不躾ながらまじまじと見るのだった。

 背が高く意外と引き締まった筋肉をしている。顔の彫りは深く精悍という印象がある。また、服は立派ではないがみすぼらしいという印象を与えるものではなく適度に存在を無視されしかしきちんとした服という感じである。

 他の場所で出会えばあまり怪しむことなく話を受け入れていそうな人物だ。頭一つ分以上の背の違いというのは身近にいないが――決して彼女の背がとりわけ高いわけではない――気後れや威圧感といったものは感じない。


「いいんですか?」


 信用できる。

 とフィルネは判断した。

 だが後でシースやビュアネ、フェレンに果てはアウロイからもこういう人物こそが最も危険なのだと言われるはめになる。


「ああ、構わない。ただ、あまり良い寝床とは言えないから覚悟していてくれ」


 そして背を向けて歩き出した。

 フィルネは慌ててそれに付いて行く。

 はたとそこで気が付いた。まだどちらも名乗っていないということに。


「私、フィルネ・アノールって言います。これからよろしくお願いします」

「ドーアン」


 それだけを伝えて後はその口が開くことはなかった。

 フィルネの言葉を聞いているのかすらも怪しいほどに動きがなかった。

 恐ろしいほどに無口らしい。彼女がこれまで出会った中でも特に。しかし決して冷酷というわけではない。それは雰囲気からも分かった。シースには何もしていなくても冷たいと思ってしまう時があるというのに。

 着いた家は、普通ではなかった。

 どこがどう、というわけではない。ただ、なんとなく普通ではないと思っただけだ。

 中に入るとそれがどうしてか分かった。

 生活感が微妙な欠如の仕方をしているのだ。


「汚くもないし乱雑でもないんだけど……」


 掃除の回数は多くされているようだが細かいところにまで気を配ってはいない。確りと清掃されているのは何かしらの作業場と思われる部分だけ。

 そして生活空間と言うべき場所にはあまり物がなかった。

 本当に、必要最低限の物しか置かれていなかった。それなのに殺風景という印象を与えない。芸術的なまでに寂しさを感じさせない配置になっていた。

 薄ら寒いのは気のせいではない。徹底的なまでに生活の場はこのような状態だった。

 まるでそうしないと何か大変な事が起こるのだというように。


「ここだ」


 ドーアンが示したのは奥まった所にある一つの部屋。他と同じく横に引く仕様になっているが洋風のこの家の景観を壊すような物ではなかった。つまり洋風の引き戸。

 扉が前後ろに開くのは作業場とそこに繋がっているのだけ。明らかにこれは故意にやっていることだと分かる。何の為かまでは分からないが。

 部屋に入ってみると意外にも広かった。

 てっきり奥まった所にあるものだから――それと彼の言った内容から――こぢんまりとした部屋だと思っていたのだ。

 部屋は流石に少し埃っぽかったが問題にはならない。

 ここは物置みたいに使われていたのか置かれている物が多い。ほとんどジャンクな物品ばかりだったが。

 軽く物を退けるだけで寝るのに快適なスペースは確保できそうだ。


「良い部屋ですね」

「そうか。ありがとう」


 無表情ではない。真っ直ぐにこちらを見て真面目な顔で彼は言った。


「う、うん」


 赤面したのを自覚した。こんな反応をされるとは思っていなかったのだ。せいぜい頷くのより少しましな程度かと。

 こんな風に臆面もなく恥ずかしく思ってしまうようなことを言われるとは思っていなかった。

 たった一言、ありがとうという少し外れた返事でこんなに頭が働くなるなんて。


「工房にいる。用があるなら来ていいが入ることはするな。後は好きにするがいい」


 フィルネは口を開くと何が起こるか分かったものではないので身振り手振りで返事を返した。

 ドーアンはフィルネが動揺していることになど気付かずに部屋を離れた。


「どうしてだろう。誰かに言ってもらいたいことの一つを別な人に、それも会ったばかりの人に言われただけなのに」


 ただ少し無口だということ以外に似ているところなどないのに。

 むしろドーアンの方が優しいからか。

 フィルネには分からなかった。

 ただ確実なのはドーアンに対して深く踏み込んだ親しみは感じることはないだろうという直感があったということだけだった。

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