9.夢の中の邂逅

 その後、俺は元のように鎧を着せられて、アーネストに連れられて部屋に戻った。


 重たい鎧を脱いで、ベッドに寝転がる。身体は軽くなったけれど、心にはどんよりと重たいものがわだかまったままだった。

 暗くなったらシドが晩飯を運んできてくれたが、昼間の出来事を聞いているのだろうか、なんだか気まずそうにしているのが伝わってくる。


 微妙な空気の中、俺は黙々と飯を食い、風呂に入ってベッドに潜った。

 なかなか眠れなくてごろごろしていたが、気が付いたら、俺は元の俺に戻っていた。


 くせのある黒髪に、中肉中背の身体、特徴のない平凡な顔。

 なんだ、あれは全部夢だったのか。

 ほっとしたようながっかりしてような、複雑な気持ちだ。


 でも、やっぱりおかしなことに気付いた。周りが真っ暗なのだ。いや、完全な真っ暗闇ではない。星が瞬いているような、不思議な光が躍っていた。自分の姿も見えるが、上下の感覚が曖昧になって宙に浮かんでいるような、おかしな感じだった。


 そして、遠くから誰かがきょろきょろと辺りを見回しながら近付いてくるのが見えた。その顔には、見覚えがあった。

 やがて、相手も俺の存在に気付く。相手は「おお」と軽く驚きの声を上げた後、親し気な笑みを浮かべた。


「はじめまして、でいいか?」


 その銀髪の男は、ここ数日、嫌というほど鏡で見た顔だった。


「あんたは……ユリウス?」

「そうだ。そなたの名は、何というのだ?」


 その質問に、俺は少し胸の奥に痛みを覚えて俯いた。


「……わからない」


 それを聞いたユリウスは、顎に手を当てて唸る。


「ふむ。それは難儀だな」


 細かい仕草がいちいち絵になるのは、イケメンの特権だろうか。


「ところで、今は俺たちの魂が入れ替わった――という認識で合っているか?」


 俺が頷くと、ユリウスは「なるほどなあ」と、少し考えるように視線を宙に彷徨わせた。


「状況がいまいち掴めなくてな。そなたの世界は、俺の世界とは全く違う仕組みで動いている、ということはなんとなくわかったのだが、いかんせん勝手が違いすぎてどうすればいいのか……」


 そうか、ユリウスの周りにはあいつらがいたけれど、俺は一人暮らしだ。状況が把握できないのも仕方ないだろう。


 俺は異世界という概念、この現象が起きてからのこと、エディリーンが魔法で元に戻すことを試みたが失敗したことなどを話した。その結果、エディリーンと揉めたことは伏せておいた。

 話を聞き終えたユリウスは、再び「ふむ」と頷く。


「では、今はエディリーン嬢の術の名残で、夢の中でかろうじて繋がることができている……といったところだろうなあ」

「……落ち着いてるんだな、あんた」


 魔法のある世界で生きていると、不思議なことが起きても動じないのだろうか。


「すぐに動揺するようでは、国を預かる立場など務まらん。しかし、これでも多少慌てはしたぞ?」


 そんなことを飄々と言ってのけるあたり、やっぱり俺とは似ても似つかないんだなあと思う。そんな俺たちが、どうして入れ替わったりしたのだろう。


「っていうか、俺の身体、ちゃんと生きてたんだな」


 これで、死んで転生したという説は完全に否定された。


「ああ。始めは熱があって咳も酷かったが、もうだいぶよくなったぞ。しかし、早く元に戻らんとなあ。こうして繋がることはできたのだ、何か決め手があれば戻れると思うのだが……」


 ぶつぶつ言いながら自分の考えに集中しようとするユリウスを、俺は横目でちらりと見る。


「あんたは、戻りたいのか?」

「当然だろう。そなたの世界も興味深くはあるが、俺にはやらねばならないことがある」


 明瞭にそう答えられることが、なんだかうらやましい。

 俺のそんな様子を見て、ユリウスは訝し気な顔をした。


「そなたは、戻りたくないのか?」


 痛いところを突かれて、俺は押し黙る。


「……生まれ育った場所に帰りたいと思えるのは、恵まれた立場にいるからじゃないのか?」


 それを聞いたユリウスは、一瞬だけ顔を歪めて、でもすぐにその表情を消し、目を逸らして遠くを見た。


「……まあ、いずれにせよ、しばらくこのままで暮らさねばならんようだな。そなたは、どのようにして暮らしていたのだ?」


 ごまかすように話題を変えられた。だが、これも必要な情報だろう。俺は元の世界での暮らし方を軽く説明する。仕事をして金を稼ぎ、食料や日用品を買って。現金はまだ財布に残っていたはずだし、ちょっと外に出て買い物をするくらいは、異世界人でもなんとかなるだろうか。


「人々の生活は、そう変わらんか。まあ、なんとかやってみるさ」


 頷いたユリウスは、何かを思い出したようにぽんと両手を打った。


「そうそう、聞きたいことがあるのだ。枕元にあった、なんだか小さな板のようなものが、しょっちゅう光ったり音を出したりしているのだが、あれは一体何なのだ?」


 俺は一瞬考えて、スマホのことかなと見当をつける。


「えーっと……あれは遠くの人と話したり、メッセージをやりとりしたりできる機械で……」


 ユリウスの世界は科学はあまり進んでいなさそうだったし、どう説明すればスマホの概念を理解してもらえるだろうかと考える。


 そういえば、職場からきっと鬼電が来ているに違いない。無断欠勤でクビになったりするだろうか。

 でも、そう思ったところで、職場の名前も、連絡を取るべき人の名前も思い出せないことに気が付いて、俺はまた言葉を失った。


「どうした?」


 俺が黙ってしまったことを怪訝に思ったのか、ユリウスが俺の顔を覗き込む。


「……俺、段々自分のことを忘れていってるみたいだ」


 自分の名前に続いて、関係のある人のこと。それとも、仕事が嫌だから職場関係のことを忘れてしまっているのだろうか。わからない。

 ユリウスは眉を寄せて小さく唸り、何か考え込んでいるようだった。やがて、口を開く。


「どこまで行っても、自分は自分でしかない。そのことを、ゆめゆめ忘れるなよ」


 そんなことを言われても、俺は自分のことなんかちっとも好きじゃない。別の人生を生きられるなら、その方がずっといいのに。


 けれど、それを最後に、視界は急速にぼやけていった。

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