7.強制送還……!?
退屈だ。
一人でいると、時間の流れがとても遅く感じられた。部屋が静かすぎて、耳がキーンと鳴ってくる。
あれから三日経った。初日と同じように、俺は時々書類にハンコを押す作業をやらされて、朝昼晩の飯時には、アーネスト、シド、エディリーンの誰かが食事を持ってくる。シャルロッテも一日に一回は来てくれるが、いつも誰かと一緒で、二人きりになるチャンスはない。何とも言えない表情で俺を見つめて、飯を食い終わるとさっさと行ってしまう。
飯を食って、少し仕事らしきことをする以外、何もすることがない。暇だからベッドに寝転がって、気が付くとうとうとしているという、怠惰な生活を送っていた。
部屋にあるものを下手に触ろうとすると怒られるし、部屋を出ようとすると、どこからともなくあの三人の誰かが現れて、何か用かと聞かれる。トイレには行かせてもらえるが、やっぱり見張られているようだった。トイレ以外に行こうとすると、さっさと部屋に戻るように言われるし、これじゃあ軟禁されているみたいだった。面白くない。
あと、一日の楽しみと言えば、お風呂だった。
王族専用の風呂場があって、それは温泉旅館の大浴場みたいに広かった。日本と同じで、湯船にお湯を張って浸かる形式だった。それが貸し切りで使える。
彼らも風呂場まで入ってくる気はないようで、使い方はわかるかと確認されて放り出された。脱衣所の入り口で待っているようだったが、この時だけは思い切りくつろぐことができた。
っていうか、飯と風呂だけが楽しみだなんて、囚人みたいじゃんか。
そりゃあ、元の世界でもほぼ職場と家を往復するだけの生活で、社交的な性格でもないし、職場以外では他人との交流もそんなになかったけどさ。自分で選んでそうしているのと、見張られて自由がなく、話し相手もしてくれないのでは、受けるストレスが段違いだった。
その日もごろごろしていたら、アーネストがやってきた。まだ昼飯には早い時間だし、書類を持ってきたわけでもなさそうだ。代わりに、布で包んだ大きな何かを持っている。
「帰還の術の用意が整いました」
アーネストがそう告げる。
心臓が一瞬だけ、どきりと跳ねた。
そうか、もう帰らないといけないのか。せっかく異世界に来たのに、心躍るような冒険も何もないまま終わるのか。そして、元の生活に戻らないといけない。それを思うと、悔しいような悲しいような気持ちがして、俺は小さく歯を食いしばった。目の前の男がそれに気付いたかどうかは、わからない。
「移動するので、これを身に着けてもらえますか」
アーネストはそう言って、抱えていた包みを解く。そこから出てきたのは、アニメや漫画で見たことのある感じの、西洋風の鎧兜一式だった。
「目立たないように行きます。下級兵士のふりをして、俺についてきてください」
「はあ……」
俺は言われるままに、その鎧を身に着けようとする。が、着け方なんて当然知らない。アーネストに手伝ってもらいながら、なんとか鎧を着こみ、兜で顔を隠した。
いや、重いんですけど。めっちゃ重い。全身重いけど、特に兜が重くて首がヤバい。
考えてみたら鉄の塊だし、当たり前なんだろうけど、アニメや漫画ではよくこんなものを着て剣を振り回しているもんだなと思った。
それから、何か魔方陣のようなものが描かれた紙切れを渡された。
「エディリーンからです。認識阻害の術が込められた札だそうですので、持っていてください」
認識阻害――わかりやすく言うと、この紙切れを持っていれば、外を歩いても周囲に「俺がそこにいる」という事実が、まるで霧がかかったかのように、見えづらくなるような感じらしい。
俺はその紙切れをズボンのポケットにしまい、重い手足を必死に動かして、アーネストについて歩く。
この世界に来て、始めての外出と言えるものだった。
さすが王宮。長い廊下に、彫刻が施された重厚な扉が、いくつも並んでいる。広い庭には緑が溢れ、色とりどりの花がたくさん咲いていた。久々の解放感もあり、こんな状況なのも忘れて、俺はあちこちきょろきょろしていた。
人が少ない道を選んでいるようだが、時々すれ違う兵士たちは俺たちに――というよりアーネストに敬礼して道を譲ってくれる。お偉方っぽい人とは軽く挨拶を交わして、先を急いだ。王子の近衛騎士って、もしかしなくても結構立場が上なのかもしれない。
皆、俺のことは気にしていないようだ。下級兵士と同じ格好をしているから王子だなんて思われていないのか、認識阻害が効いているのか、俺にはよくわからない。でも、認識阻害なんてものがあるなら、こんな重たい兜なんて被る必要はないんじゃないか。
そう文句を言ったら、
「この術はあまり強いものではないと、エディリーンが言っていました。視覚に作用するようなものではないから、素顔でいたらおそらく気付かれてしまうそうです。この城に、王子の顔を知らない人間などいないですから」
なるほど。よくわからないけれど、魔法もそう万能なものではないようだ。
そうこう言っているうちに、俺たちは王宮の中心部からは離れていっているようだった。人気がなくなり、木が生い茂った庭の隅から、石畳でできた細い道の上を歩いていく。
その先に、離れのような小さなレンガ造りの建物があった。
アーネストはその建物のドアの前に立つと、軽くノックしてから中に入る。俺もその後に続いた。
そして、部屋の中の様子に、俺は思わず「何だこりゃ」と声を上げた。
中は一言で言うと、散らかっていた。
隅には大量の本や何か書いた紙が積まれ、床には紙が敷き詰められている。その紙に、大きな魔法陣らしきものが描かれていた。円の中に、更に小さな円や星のような図形と、文字らしきものがたくさん書かれている。
「……ゆっくり動けよ。紙が飛んだら陣が台無しになる」
奥にいたエディリーンが、ゆらりと振り向く。薄暗くて気付かなかった。脅かすなよ。目の下には隈ができていて、ここ数日で一番やつれて見えた。ちょっと幽霊みたいだと思った。
「どうしたんだ、これは……」
部屋の様子に驚いたらしいアーネストが呟く。
「こいつと王子の魂を元に戻すための魔法陣だ。床に直接描いたら掃除が面倒だから」
憮然と答えるエディリーン。
「しかし、君がこんな大掛かりな陣を描くなんて珍しいな」
「違う次元に渡った魂を呼び戻すなんて、前代未聞だからな。可能な限りの文献を調べて、術を組んでみたが……。成功するかは正直、確証がない」
そうなの? 成功しなかった場合、俺はどうなるんだろう。不安が胸をよぎるが、エディリーンはそんな俺の心中など知ったことじゃないと言った様子で、「さっさと始めるぞ」と言った。
「お前、そこの真ん中に立て」
俺は鎧を脱いで、言われるまま魔法陣の中心に立つ。しかし、大丈夫なのか、これ。俺のイメージでは、こんな大きな魔法陣を使う魔法って、悪魔を呼び出すとか、そんなやつなんだが。
だが、俺には何も言う権利はない。黙って次の指示を待つ。
「……術式を開始する。貴様は目を閉じて、そのまま動くな。アーネスト、お前も動いたり物音を立てたりしないでくれよ」
アーネストは心得たと頷いて、部屋の隅に控える。エディリーンはカーテンを閉めてランプも消し、部屋を暗くした。
俺は言われた通りに目を閉じた。カーテンを閉め終えたエディリーンが、少し離れて俺の前に来た気配がする。多分、魔法陣の外側だ。
「――
我はその手を望む 彼方と此方の扉開きて、彷徨える子らを導かんことを
迷い路に光を照らせ」
呪文らしきものを唱える声がする。いかにもファンタジーって感じだ。なんて感心している場合じゃない。
瞼の裏に、ちかちかと白い光が躍る。部屋は閉め切られているはずなのに、頬に風を感じた。
何が起きているのか確かめたい気もしたが、こういう時に余計なことをするとよくないことが起きるというのも、よくある話だ。怒られるのも嫌なので、俺はそのまま黙って目を閉じる。
すると、しばらくして目の前にぼんやりと、見覚えのある風景が現れた。
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