8.失敗したみたいだけど、これって俺のせいなわけ?
田舎でも都会でもない、各駅停車の駅がある街。駅ビルと商店街があって、少し繁華街を離れれば、静かな住宅街が広がる。
ふわふわと飛んでいるように、視点が移動していく。コンビニや小さな公園の前を過ぎて、やがてボロい二階建ての木造アパートが見えてきた。俺が住んでいるアパートだ。
錆の浮いた階段を上がって、ドアの前に立つ。ドアをすり抜けて、部屋の中に入った。そこには、ちょっとやつれた顔の俺がいて、押し入れや冷蔵庫やらを開けて、中を物珍しそうに漁っていた。ぱっと見、空き巣みたいだった。
目が合うとびっくりしたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑って、俺の方に手を差し出す。
その顔を見た時、思った。
俺はそんな顔で笑わない。笑えない。
あんたがそこにいて、そんなふうに笑えるなら。
俺はそこにはいない方がいい。
そして俺は、差し出された手を拒んだ。
「くっ……!」
突然、強い風に煽られて、思わず尻もちをついた。
目を開けると、魔法陣が描かれていた紙が舞いあがって、耳元でばさばさと音を立てていた。エディリーンとアーネストが、風と紙から顔を守るように、腕を掲げている。
風が収まると、ひらひらと紙が床に落ちて、それを見つめながらエディリーンが呆然としたように呟くのが聞こえた。
「……失敗した……? 手応えはあったのに……!」
部屋の中は、さっきまでよりもひどいものになっていた。魔法陣を描いていた紙が吹き飛び、隅に積まれていた本も散乱している。
と、エディリーンが厳しい目線で俺をにらみ、気付いたら胸ぐらを掴まれ、引き寄せられていた。
「貴様、帰りたくないとでも思っているのか!? ここにいても貴様に利点はないだろうに、何を考えている。ふざけるな!」
俺はムカッとした。俺だって好きでこんなところに来たわけじゃないのに、そんな言い方ないじゃないか。
気付いたら、俺は言い返していた。
「ああそうだよ! あんたみたいな、生まれた時から恵まれた生活を約束されてるお貴族様にはわかんねえだろうけどな! こちとらただの庶民なんだよ! 毎日毎日残業ばっかで、給料は安いし遊ぶ時間も無え。少しでもいい生活できるこの身体の方が、なんぼかマシに決まってるじゃんか! 帰りたくないと思って、何が悪いってんだよ!?」
思わず叫んだ俺を、エディリーンは何も言わずに睨んでいた。そして、掴んでいた俺の襟元を、放り投げるように放す。俺は無様に尻もちをついた。
そして、おもむろに部屋の隅に置いていた剣を取ると、無造作に引き抜き、切っ先を俺に向けた。この女にこんなことをされるのは二回目だ。だが、最初の時とは違う、明らかな冷たい殺意が、その目に宿っていた。今まで生きてきて初めて向けられた殺意に、俺は息を呑んだ。
「やっぱりこいつ、斬ってやる」
「やめろ、エディ」
俺とエディリーンの間に、アーネストが割って入る。二人とも声を荒らげたりはしないが、それでも逃げ出したくなるような迫力があった。
「殺しはしない。死にかけてこいつの魂が抜けたら、王子の魂が戻ってくるかもしれないだろう」
「だめだ」
たった数秒だっただろうけど、俺には長い時間に思えた。エディリーンがチッと舌打ちして、視線を逸らし、剣を鞘に戻した。
「わたしはこいつの監視から外させてもらう。しばらく登城もしないからな。付き合ってられるか!」
そして、エディリーンはアーネストの背中ごと俺を離れから追い出し、バタンとドアを閉めた。
俺は口をへの字に曲げて、閉められたドアを睨む。
「後で謝っておいた方がいいですよ。もうしばらくは、ここにで暮らさないといけないようですし」
溜め息と共に、アーネストが言った。
納得いかない。俺だって、いきなり知らない世界に放り込まれた被害者じゃんか。
「人の内面は、外から見えることだけで推し量れるものではないですから」
そう言って、困ったように微笑む。
「先程の話ですが……あなたは自分の世界に帰りたくはないのですか?」
俺は、アーネストの目を見ることができなかった。答えずに、じっと地面に視線を落とす。
帰ってもいいことなんて、きっとない。でも、ここでこの身体で、王子として生きることも難しいみたいだ。こいつらに歓迎されてないし。
どうしたらいいのか、わからなかった。
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