14.再び、夢の中で
「お疲れさん! 助かったよ、ありがとね!」
ようやく閉店時間を迎え、俺は女将さんと二人で店内の片付けをしていた。時計がないから正確に何時かはわからないけど、日本みたいに日付をとっくにまたいでる、なんてことはないはずだ。
客入りが落ち着いてきた時点で、娘さんは先に寝てもらった。二階が住居になっているらしい。よく考えたら、小さな女の子に酒場の手伝いをさせるものどうかと思うけど、日本とは色々常識が違うんだろう。
何とか仕事をこなしたものの、俺はへとへとだった。でも、心は充足感を覚えていた。誰かに感謝されると嬉しい。そんな当たり前のことを、俺は忘れていた気がする。
「ところであんた、だいぶ遅い時間になっちまったけど、家族が心配してるんじゃないのかい?」
そう言われて、俺は固まった。今晩、どうやって過ごそう。あいつらが探しに来る気配もないし。
どこかの宿に泊まるか。でも、そもそも金を持ってないんだった。
唇を噛んで俯いた俺に、女将さんは一つ息を吐いて言う。
「何があったか知らないけど、行くとこがないなら泊まってくかい?」
「え、でも……」
流石に、今日会ったばかりの人の家に泊まるのは気が引けるし、そこまで世話になるわけにいかないと思ったのだが。
「困った時はお互い様さ。客間なんて立派なもんはないけど、布団くらいなら貸してやれるよ」
女将さんは、にかっと歯を見せて笑う。きっと、本心から親切で言ってくれているんだろうと思った。俺はその言葉に甘えさせてもらうことにした。
そして、俺は住居部分の空き部屋を借りて、布団に潜り込むのとほとんど同時に意識を失っていた。だけど、夢を見た。
この前ユリウス本人に会った時の、あの不思議な空間だった。
「よう。そちらは変わりないか?」
いつの間にか間の前にいたユリウスが、変わらず人の好さそうな笑みを浮かべていた。
「ああ、まあ……」
俺はもごもごと口ごもる。
「なんだ、あいつらと上手くいっていないのか?」
ユリウスは俺の目を覗き込んでくる。けれど、俺は何も言えなくて俯いた。
「……まあ、あいつらも気難しいところがあるからなあ。アーネストは特に、忠義に
俺は、前にユリウスに言われたことを思い出していた。
どこまでいっても、自分は自分でしかない。
その言葉が、今になって胸にのしかかった。
俺はユリウスにはなれない。酒場とかで働くくらいしかできない。でも、誰かに感謝されることが嬉しくて、それだけでなんだか満足で。
「……俺は、ただ、居場所が欲しかっただけなんだ……」
そうだ。チートスキルをもらって無双したり、ハーレムを作りたかったわけじゃなくて。「ここにいてもいい」という確証がほしかっただけだ、きっと。
「こちらの世界に、そなたの居場所はなかったのか?」
そうだと思っていた。
俺はしがないフリーターで、仕事では俺の代わりなんていくらでもいる。実家を出て一人暮らしで、気が付けば友達も恋人もいなかった。新卒で入った会社はブラックで、嫌になって辞めたけど、再就職もうまくいかなくて、お前なんかどこにも必要ないんだって言われている気がして。
そのうち妙な感染症が流行って、必要以上に外に出るなということになって、バイト先は休業や時短営業で、働けなくなって給料も減って。俺もその感染症に罹って、誰にも看取られずに死ぬのかなと思っていた。
黙り込んだ俺をじっと見ていたユリウスが、思い出したように口を開いた。
「そうそう、そなたの
「え!? おふくろ、来たの!?」
不意に言われた一言に驚いて、俺はがばっと顔を上げる。
「いいや、あの、何だったか……すまほとやらで」
電話を取ったのか。何でそんな無謀なことを。
「母という文字が何度も浮かぶから、触ってみたら話ができた。そなたのことをたいそう心配しておられたぞ」
あれは便利な道具だなあ、実に興味深い、とか言っているユリウスに、俺は詰め寄る。
「何話したんだよ!?」
入れ替わりのことがバレたら、大騒ぎになる。でも、そもそも信じてくれるだろうか?
「いや、大したことは。全然連絡を寄越さないで何をしているんだとか、困っていることはないかとか、たまには顔を見せろとか……。適当に相槌を打っていたら、まあ何とかなった」
「マジで……? 怪しまれなかったならいいけど……」
おふくろも適当で、人の話を聞かないところがあるから、それが幸いしたのかもしれない。いつもはそれが嫌で、電話もメッセージもろくに返事をしていなかったけれど。
「母君がご健在なら、大事にしろ」
「……うん」
こんな俺を変わらず心配してくれているという事実が、今になって胸に沁みてくる。
「そなたの世界は、平和そうでいいな」
ユリウスが、ふと遠くを見るような目をする。そういえば、こっちの国は最近まで戦争をしていたと、アーネストが言っていた。
「……そうかな。俺の国は、今は戦争してないけど、世界のどっかでは戦争してるし。生まれた時から不景気だって言われてて、税金は上がるけど給料は安いし、ろくでもない法律ばっかりどんどん決まってるみたいだし……」
ぼそぼそという俺に、そうか、とユリウスは何の感慨もないふうに言う。
「どこの世界でも、人の世はままならないのだな……。だが、それでも俺たちは生きねばならん」
呟いて、それから顔を上げて俺をまっすぐに見た。
「腐るな。顔を上げて周りを見ろ。そなたの欲しいものは、きっとそこにある」
その言葉を最後に、またしても視界がぼやけていった。
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