15.いい加減帰らないと……って今度は何だよ!?

 次の日、たっぷり寝て昼前に起きた俺は、酒場の厨房で仕込みを手伝っていた。


「手伝いならもういいってのに」


 女将さんが言うが、俺は黙々と野菜を洗って刻んでいく。


「昨日の料理と、泊めてもらった分です」

「もう十分だよ。これ以上働いたら、給料を出さないといけなくなっちまう」


 じゃあしばらく雇ってください、と言いそうになったけどやめた。


「旦那さん、まだ動けないんでしょ。俺はもう一日くらい、いいですよ」


 俺は元いた場所に帰らないといけない。こんなところで働いている場合じゃない。この身体にも、本来やらなければいけないことがある。それは、俺にはできないことだ。だから、元に戻さないといけない。


 けど、まだあいつらのところに帰るのは、ちょっと勇気が必要だった。心の整理がつくまで、あと少しだけ時間が欲しかった。

 女将さんは何も言わず、そのまま店の手伝いをさせてくれた。詳しく踏み込んでこないのは、ありがたい。


 そして再び開店時間を迎え、ぽつぽつと客が入ってくる。俺は昨日と同じように注文を取って、酒と料理を運んでいった。時間が経つにつれて、客足も増えて忙しくなってくる。


 そのうち、


「いらっしゃい……」


 何組目かの客が入ってきた気配がいて振り向くと、昨夜も来た、黒いマントにフードの変な客が入ってきた。今日はもう一人いて、そっちも同じように黒いマントとフードで顔がよく見えない。

 その二人は、またちらりと俺の方を見て、隅の方の空いてる席に座る。注文は、またしても水と、今度は料理を三、四品。ある程度長居するつもりのようだ。連れの方は酒を頼もうとしたようだが、もう一人がそれを止めるような会話が聞こえた。


 やっぱり妙な客だなあと思うが、あまり見るのも失礼だろう。今日も忙しいし、気にしている場合ではない。


 そんな感じで、一旦客足が落ち着き、厨房に引っ込んで料理を手伝っている時だった。表の方で急に怒鳴り声がして、一瞬静かになった後、これまでとは違う不穏なざわめきに包まれる。


「なんだい、喧嘩かい? しょうもないねえ」


 女将さんが料理の手を止め、手を拭きながら表に出ようとする。俺も後ろからおっかなびっくりついていく。酔っぱらいの喧嘩なんて怖いし、俺が行ったところで止められないと思うけど、女の人に任せっきりにするのも情けない気がするじゃん。


 客席側に出ると、酔っぱらいらしき男が二人、何か喚きながら向かい合っていた。周りの客も座っていたテーブルから退避して、その男たちを遠巻きにしている。


「ちょっと、あんたたち! 騒ぎを起こすなら出ていって……」


 女将さんが言いかけた時、男の一人が短剣を抜いて、それを振り回しながらもう一人に向かっていった。


 威勢よく出ていこうとしていた女将さんも、さすがに「ひっ」と息を呑んだ。


 丸腰の方の男は、短剣をかろうじて避けた。刃物男は勢い余って反対側に突っ込む。周りにいた人はわあわあと声を上げながらそれを避け、刃物男はテーブルに突っ込み、そこに載っていた皿が割れ、料理が床に飛び散った。


 どうすればいい。警察みたいな組織とかあるのかな。でも通報するシステムとかはさすがにないよな?


 俺は初めて目の当たりにした暴力事件に頭がパニックになって、一歩も動けなかった。カチカチと音がすると思ったら、自分が震えて、無意識に歯の根が合っていないのだった。


 刃物男はゆらりと立ち上がり、何か喚きながらまた斬りかかってくる。丸腰の男はまたそれを避けて、刃物男はよろめく。その先には、女将さんがいて――。


 俺はとっさに、何となく持っていた木のお盆を盾にして、女将さんの前に出た。その瞬間、男がにやりと笑った気がした。ぎらりと冷たく光る刃が、俺に狙いを定める。


 もしかして、最初から狙いはユリウス――?


 こんな木のお盆で刃物を防げるとは思えない。死ぬのか、こんなところで。死んだらどうなるんだろう。俺は、ユリウスに帰ってきてもらわないといけないのに。


 ぎゅっと目を瞑ったが、覚悟した痛みはいつまでも襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、黒いマントの怪しい客が、剣を抜いて刃物男の短剣を受け止めていた。

 いや、怪しい客じゃない。動いた拍子にか、フードが外れて、見覚えのある水色の髪が見えている。


「……何でここに」


 エディリーンだった。

 答える間もなく、エディリーンは腰を落として刃物男の腹に蹴りを入れた。男は派手に吹き飛ぶ。反対側にいた客たちが慌ててそれを避け、がらがらがっしゃんとテーブルが倒れて皿が割れた。


「シド! そいつも仲間だ! 取り押さえろ!」


 刃物男に近付きながら、エディリーンが鋭く叫ぶ。


「言われなくても!」


 シドもいたらしい。さっき一緒に入ってきた奴がそうだったようだ。

 見ると、刃物男と揉めていたもう一人の男が、こそこそと店から逃げ出そうとしているところだった。


「逃がさないよ」


 シドは男のうなじに手刀を入れ、気絶させた。崩れ落ちた男を手早く縛り上げ、床に転がす。


 その時、窓を割って、何かが飛んできた。それは刃物男を拘束しようとしていたエディリーンの腕を掠めて、床に突き刺さった。細いナイフだった。

 一瞬手を止めて、顔を歪めるエディリーン。刃物男は、その隙を見逃さなかった。

 男はエディリーンを突き飛ばすと、呆然としていた他の客を突き飛ばし、ドアに体当たりするようにして逃げていった。


「シド、ここは任せる! お前も来い!」


 俺はエディリーンに服の袖を引っ張られて、一緒に逃げた男を追って店を飛び出した。

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