12.雨、逃げ出した後……ってどっかで聞いたようなタイトルだな!?
カッとなった俺は、アーネストから逃げるため、通りをめちゃくちゃに走っていた。
でも、あそこから離れたい気持ちと、知らない場所を闇雲に進むことへの不安がせめぎ合って立ち止まり、後ろを振り返る。
アーネストがすぐに追いかけてくるだろうと思ったけど、その様子はなかった。
けっこう走ったつもりだけど、あまり息が上がっていない。感心してる場合じゃないけど、さすが鍛えられた身体だけのことはあると思った。
道行く人は俺の方に関心を向けたりせずに、ただ通り過ぎていく。俺が王子だなんて、誰も気付いてないみたいだ。テレビやネットなんてないから、自分の国の王子でも、意外と顔を見たことのない人が多いのかもしれないし、認識阻害の術のせいかもしれなかった。
俺は深呼吸しながら、物思いに沈む。
これは、俺のための物語じゃないのか。この世界に来てから、主人公らしいことは何一つ起きていない。誰にも振り向かれないなんて、俺の方がモブみたいだ。
いてもいなくても変わらない。俺の代わりなんて、どこにでもいる。世界が変わって、立場が変わっても、日本で適当に生きていた俺と、何も変わらない。俺が俺であることに、変わりはなかった。
俺は、しばらくぼんやりとその場に佇んでいた。
これからどうしよう。道はわからないが、城はここからでも見えるので、何となく歩けば戻れるだろう。でも、飛び出して来てしまった手前、帰り辛い。他に行くところもないし、素直に戻って謝るのが一番だと、頭ではわかるけど。
ともかく、このまま立っていても仕方がない。俺は王宮とは反対の方向に向かって歩き出した。
しばらく歩くと、潮の香りが漂ってきて、視線の先に水平線が現れた。そういえば、王宮からは海が見えていたっけ、と思い出す。港があって、小型のボートみたいなのから、中型・大型の帆船まで、たくさんの船が停泊していた。
大型の木造船なんて、映画や海賊もののアニメでしか見たことない。それが目の前にあるのは、なかなか圧巻の光景だった。
状況も忘れて、俺はその景色に見とれていた。その時、頬にぽつりと、冷たいものが当たった。
雨だ。たった今まで青く晴れていた空に、みるみる黒い雲が広がっていく。そして、あっという間にざあざあと、ゲリラ豪雨のような降り方になってきた。外で働いていた人々も、慌てて建物の中に逃げ込んでいく。
俺も雨宿りしなければと、その辺の軒下に避難した。でも、既に服はびしょ濡れだった。
冷え込む季節ではないが、このままでは風邪を引いてしまうだろう。
やっぱり城に戻るしかないかなあと思っていると、建物のドアが開いて、中年の女性が顔を出した。
「あんた、そんなとこにいられちゃあ商売の邪魔だよ。拭くもの貸してやるから、とりあえず入んな」
小太りのおばさん――いや女性は、親指でくいっとドアの中を示す。中からは、料理の匂いと、ざわざわと話し声が流れてきた。ドアと女性の隙間からは、並べられたテーブルに人が座って、食事をしている様子が見えた。どうやら、ここは食堂か何かのようだ。
俺はその言葉に甘えさせてもらうことにした。
隅のカウンター席に座らせてもらった俺は、貸してもらった清潔な布で、髪と身体を拭いた。乾燥機やドライヤーなんてないから完全には乾かないけど、大分マシになった。
頭を布で覆ったまま、俺は食堂の中を見回す。客は男ばかりで、皆大声でがなるように喋りながら、酒の入ったジョッキを傾けていた。食堂というより、酒場のようだった。
雨は上がったようだが、気が付けばもう日は暮れていて、仕事帰りの男たちが酒盛りをしているようだった。仕事終わりに集まって酒を飲むのは、世界が変わっても同じらしい。
そんなことを思っていると、かたんと軽い音がした。振り返ると、俺が座っていたカウンターに、湯気の立つ皿が置かれていた。
「冷えただろう。食いな」
さっきの酒場の女将(勝手にそう呼ぶことにした)がそう言って、野菜と肉の煮込みのようなものが入った皿を勧めてきた。
「いやでも、俺金持ってないんで……」
断ろうとするも、女将はいいから食べろと言ってくる。
「お代はいいよ。特別さ。あんた、ひどい顔してるからねえ。何があったか知らないが、あったかいもん腹に入れて、少し休んでいきな」
女将はそう言うと、忙しそうに店の奥に戻っていく。
ひどい顔ってどんな顔だろう。俺は両手で頬を挟んで、軽く揉んでみた。しかし、俺がユリウス王子だとは気付かれていないみたいだった。
ともかく、腹が減っているのは事実なので、ありがたくいただくことにした。
添えられていた木のスプーンを持って、肉の塊を掬う。牛すじみたいだった。濃い目の味付けで、よく煮込まれている。城で出されていた料理はどれも上品な味付けだったから、これのほうが食べ慣れた味に近かった。何だか胸の奥がきゅっとなった。
その時、小学校低学年くらいの小さな女の子が、ジョッキをたくさん載せたお盆を持って、よたよたと歩いてくるのが見えた。女将の娘さんだろうか。頼りない足取りが危なっかしくて、俺は思わずその動きを注視してしまう。
と、俺の目の前を通り過ぎようとした時、予想通りというか、女の子がよろけて、ジョッキをお盆ごとぶちまけそうになった。俺は間一髪手を伸ばして、お盆と女の子を支える。
「大丈夫?」
女の子はびっくりした様子で赤くなり、お盆と俺に交互に視線をやって、それから、
「……あ、ありがとう」
と、小さな声で呟いた。
「ああ、気を付けなって言ったろうに! あんたも悪いねえ!」
女将が前掛けで手を拭きながら、奥から出てきた。俺と女の子に交互に言ってお盆を取り上げ、てきぱきとジョッキをテーブルに配っていく。
「……娘さんですか?」
気になったので、配膳を終えた女将がもう一度俺の前を通ろうとした時、声をかけてみた。女の子は女将の動きを目で追いながら、所在なさげに俺の隣に立っていた。
「ああ、まだ小さいから手伝いはやらせてなかったんだけど、今日は旦那が腰をやって寝込んじまってねえ。手が足りなくって」
女の子は口をへの字に曲げている。手伝いをさせられるのが不満なのか、上手くできないことが悔しいのか、はたまた別の理由かわからないけれど。
「……あの、俺、手伝います。料理の代金代わりに」
気が付いたら、俺はそう言っていた。
女将は目を丸くしたが、その申し出を受け入れてくれた。
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