5.ともかく、腹が減ってはなんとやら

 そこへ、ドアをノックする音がして、アーネストとシャルロッテが戻ってきた。アーネストが持つお盆には、湯気の立つ白い深めの丸皿があった。


「どうぞ、食事です。お口に合うかわかりませんが」


 部屋の中央に置かれていた小さな丸テーブルに、アーネストは皿を置く。

 王族の食事ってどんな豪華なものだろうと期待してテーブルに着いたが、そこに盛られていたのは、お粥のようなものだった。


「一応、病み上がりですから。消化にいいものを用意しました」


 そうか、ユリウスも風邪で寝込んでいたんだっけ。だったら仕方ないか。少しがっかりしたが、腹は減っているので、ありがたくいただくことにする。


 俺はスプーンで粥を掬い、口に運んだ。卵と牛乳のまろやかな風味が、甘めの優しい味付けでまとられていた。米じゃなくて、麦かな? あれだ、オートミールみたいだ。見た目に反して、とても美味しかった。王族の食事にしては質素だなんて思ったが、いつも食べていたコンビニ弁当やカップ麺より、断然美味い。


 食べながら、俺はアーネストの頭の上あたりをじっと見る。ほら、転生や転移してきた人間にだけ「鑑定」なんかのスキルが備わってて、他人の能力がわかる、みたいなのあるじゃん。

 だから、心の中で「スキル・鑑定」と唱えてみたけど、やっぱり何も見えなかった。俺のスキルは鑑定でもないのか。


「……何です? さっきからじろじろと見て」


 アーネストが怪訝な顔をする。


「あんたは、どんなスキル持ってんの? ステータスは?」


 思い切って聞いてみたけど、ますます妙な顔をされた。


「スキ……? 何です?」


 スキルとかステータスとか、理解してもらえなかったらしい。


「こういう世界の常識っていうか……」

「何を言っているのかよくわかりませんが、あなたの世界では、人の能力が数値化されるのですか? それはずいぶん残酷なことのように思えますが。そもそも、その数字は何を基準に決まるのです?」


 そんなこと真顔で聞かれても、俺だって答えられない。

 誤魔化すように、俺は黙って食事を再開した。


「ごちそうさま!」


 食べ終えて、手を合わせた。その仕草に二人は不思議そうな顔をした。こういう習慣は、こちらにはないのだろうか。


「では、申し訳ないですが俺たちはこれで。また夕食の時に伺います。今日は、とりあえず部屋からは出ないように頼みます。厠は部屋を出て右の廊下の奥です。人払いはしてありますが、万が一にも誰にも見られないように気を付けて」


 それだけ言うと、二人は食器を持って出て行ってしまった。雑談なんかする暇もなかった。シャルロッテも、何とも言えない目で俺を見ているだけで一言も話さない。寂しい。


 一人で広い部屋にいると、静けさが身に染みた。スマホもパソコンもないのでは、暇つぶしもできない。


 部屋には小さめの本棚があって、本がぎっしり詰まっていた。しかし、背表紙を見ても、見たこともない文字で、何の本だかわからない。喋る言葉は通じているのに、文字は読めないようだった。不思議なことだ。


 試しに一冊取ってめくってみたが、やっぱり何が書いてあるか読めなかった。そもそも、俺は普段からそんなに本なんて読まない。小説投稿サイトに投稿されている流行りの作品や、漫画を読むくらいだ。


 タンスやクローゼットを開けてみたら、金糸や銀糸の刺繍の入った高そうな服がたくさん入っている。下着らしきものも、手触りがとてもいい。これも、絹か何かだろうか。俺は絹とか触ったことないけど。いや、絹のネクタイが一本だけあったかな? 大学の卒業祝いに親からもらったやつ。


 そういえば、親にもずいぶん会っていない。たまにメールや電話の着信が来ていても、返事をするのが面倒でそのままにしていた。元気にしているだろうかと、ふと思った。


 まあ、考えても仕方がない。とりあえず、着替えてもいいかなあ。今着ているのはだぼっとしたワンピースみたいな感じの、パジャマ?寝間着?みたいだし。でも、勝手に触ったら怒られるだろうか。

 だけど、ユリウスのものなんだし、別に構わないんじゃないだろうか。

 そう思ってクローゼットから適当に服を出そうとしたら、


「あ、着替えたいの?」


 いきなりドアが空いて、あのシドという男が現れた。驚いて心臓がバクバクする。なんだよ、ノックくらいしろよ。仮にも王子の部屋だぞ。

 ってか、もしかして二十四時間監視するつもりなのだろうか。この世界の一日が二十四時間なのかはわからないが、それは勘弁してほしい。


 俺はシドを軽く睨んだつもりだが、彼はそんなことは意にも介さない様子で、部屋に入って来る。そして、タンスから服を取り出す。


「えーっとね、これとこれと……これだったらいいかな? ユリウス殿下がお忍びで城下に出る時に着てるやつだけど」


 そう言って渡されたのは、シンプルな白いシャツとベージュのズボン、それに茶色いベストのような上着だった。っていうか今、お忍びで城下に出る時とか言ったよね? そんなことしてるのか、この王子。


「あんまり高価なものはさ、ちょっと他人に触らせるわけにいかないから。うーんと、身体はユリウス様本人だから、他人っていうのも変かもしれないけど。俺たちもこの状況に戸惑ってるんだよ。前例がないしね。名もない一般市民ならともかくさ、王太子殿下の中身が他人と入れ替わっちゃったなんて、一大事なんだよね。だからさ、あんたも知らない世界に来て困ってるだろうけど、悪く思わないでほしいな」


 なんだよ。俺はこれからこの世界で、この身体で生きるんじゃないのか。彼らはそんなことは全く思っておらず、本物のユリウスの魂を呼び戻すことしか考えていないようだ。


 面白くない。俺の物語が始まるんじゃないのか。


 ――俺はこの世界でも、誰からも必要とされないのか。


 そう思うと、悲しいのか悔しいのか、よくわからない感情が湧き上がってきて、ぐっと拳を握って俯いた。

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