社畜の王子様~異世界に来たけどチートも何も与えられなかった俺、とりあえず仕事をしろと言われる~

月代零

1.憧れの異世界転生!?

 頭も喉も――いや、全身が痛くて重い。熱が高いのがわかる。寝返りをうつのもきつかった。

 さっき熱を測ったら、三九度代後半を示していた。そんなに高くてたまるかと、俺は体温計を放り投げる。

 なんとか上半身を起こして枕元に置いたスポーツドリンクのペットボトルをあおり、またどさりと横になる。


(くそ……っ)


 こんな状態になって、もう三日目だ。わずかに買い置きしてあったレトルトやインスタント食品で食いつないできたが、早々に飽きた。というか、喉が痛いのと咳がひどくて、味の濃いものを食べる気がしない。一人暮らしの身で、近くに頼れる家族や友人もいないし、朦朧とする頭では、通販で商品を選ぶのも億劫だった。


 このままではこのこじらせた風邪で死ぬか、餓死するかもしれない。救急車を呼ぶべきだろうか。しかし、それを考えるのすら面倒だった。

 寝て起きたら少しは熱が下がって動けますようにと願いながら、俺は布団を被り直して目を閉じた。




 そして目が覚めたら、びっくりするくらい身体が軽くなっていた。八時間ぐっすり寝た後のようだ。熱も下がっていると思う。

 俺は起き上がってぐーっと背伸びをした。そして、周囲の景色が視界に入る。


 そこは、広い部屋だった。俺が住んでいた1Kのアパートが余裕で四つくらいは入りそうだ。置かれているタンスや机も、彫刻の施された、つやつやに磨かれた質の良さそうな木材でできていて、うちにある「お値段以上♪」がキャッチコピーのものとは明らかに違う。

 布団も、ほぼ万年床だったせんべい布団ではなく、さらさらした手触りのいい、ふかふかのベッドだった。細かい刺繍まで入っていて、いかにも豪華だ。もしかして、絹か何かだろうか。周りは天井から下がった薄いカーテン――天蓋というんだっけか? で覆われている。


 なんだこれ? もしかして、夢を見ているんだろうか?


 そう思い、頬をつねってみる。

 痛い。ということは、夢じゃない?


 そして、頬をつねった拍子に、自分の髪が視界に入る。

 銀色、だった。しかもさらさらつやつや。つまんで引っ張ってみると、頭皮がちくりと痛む。間違いなく、俺の髪だ。なんだこれは。俺は普通の日本人、地味なくせっ毛の黒髪なんだが……。


 焦って部屋の中を見渡すと、隅にドレッサーを発見した。駆け寄って、鏡に自分の姿を映す。

 そこには、銀髪に水色の目をした、整った顔立ちのイケメンがいた。誰だよこれ!


 戸惑ったまま、今度は窓辺に駆け寄って、外の景色を確かめる。俺がいるのは大きな建物――まるで西洋の城のようだ――の上階のようで、街並みが見下ろせた。そこに広がるのは、石やレンガでできていそうな、なんというか漫画やアニメでよく見る、中世ヨーロッパ風の街並みだった。その向こうには海が見える。

 俺が住んでいる街じゃない。それどころか、日本でもなさそうだった。


 俺はじっと考え込む。

 これはもしかして、流行りの異世界転生というやつでは?

 だとすれば、元の俺はあのまま死んだということになる。それは悲しいが……。こんなイケメン、しかも金持ちっぽいのに転生できたなら、ラッキーだと思うべきではないか。


 そうと決まれば、冴えない日本人としての人生とはおさらばして、新しい人生を謳歌するしかない。なんたって、創作で散々夢見た、憧れの異・世・界!なのだ!


 異世界転生といえば、まずはアレを確かめないと。


 俺は息を一つ吸って心を落ち着かせると、手の平を前にかざし、その言葉を唱える。


「ステータス・オープン!」


 だが、何も起こらない。声だけが、虚しく室内に吸い込まれて消えていく。

 ふむ、昨今の異世界もののラノベやアニメではお約束だが、現実はそうもいかないのか。


 俺はやや気落ちするが、異世界といえば魔法だと思い直す。俺はきっと、最強の魔法使いになっているはずだ。

 腕を伸ばして手の平を上に向け、意識を集中する。


「ファイアボールッ!」


 叫ぶが、またしても何も起こらない。

 いやまあ、もしこれで炎が出ていたら火事になっていた。だからこれでいいのだ。危ない危ない。

 そんなことをやっていると、控えめにドアをノックする音が響いた。


 どうしよう。返事をするべきだろうか。迷っていると、そっと遠慮するように、ドアが開かれた。そして顔をのぞかせたのは、茶色い髪にエメラルド色の瞳をした、二十歳くらいの可愛らしい女性だった。レースをふんだんに使った薄緑色のドレスを着ていて、これまた中世の貴族みたいだ。

 彼女は俺の顔を見ると、ぱあっと嬉しそうに表情を輝かせる。


「殿下、起きていらしたのですね」


 女性が俺の近くまで小走りに駆け寄ってくる。


「お加減はいかがですか? 顔色はよろしいみたいですね。熱は下がりましたか?」


 言いながら、俺の頬や首筋をぺたぺたと触り、おでこをくっつけた。

 ふっくらした柔らかそうな唇が、今にも触れそうな距離だった。恥ずかしながら、彼女いない歴=年齢の俺には刺激が強い。別の意味で熱が上がりそうだ。


「あの、ちょっと……」


 俺はへどもどしながら、彼女を引き離す。彼女は不思議そうに首をちょこんと傾げた。


「君は……」


 「君は誰?」と言おうとして、口をつぐんだ。この様子からすると、この子は〝俺〞の知り合い、いやそれ以上の仲なのかもしれない。だが、俺には日本で冴えないフリーターとして生きた記憶はあるが、この銀髪イケメンの記憶も、この世界の知識もない。

 どうすればいいか迷って何もできずにいると、彼女は俺の顔を覗き込んでくる。


「……ユリウス様、まさか、わたくしのことがわからないのですか?」


 図星を突かれて、心臓が跳ねる。


「あ、いやえっと……」


 しどろもどろになる俺を見て、彼女が息を呑んだのがわかった。エメラルドの瞳は見開かれていき、大きく揺れる。

 と、彼女はくるりと踵を返し、


「大変! ミシュア! すぐにお医者様を!」


 ドレスの裾を翻して、ぱたぱたと去ってしまった。

 まずったかもしれない。俺は呆然として、彼女の背中を見送るしかできなかった。

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