第5話 十四夜、まつよいの月

 さて、約束の期間は飛ぶように過ぎていって、今日はもう、十四日目。


 ところが姫さんの容態はいっこうに変化がない。

 あいかわらず、力なく寝床にふせっている。


 おいらは目をこらして姫さんを見つめたけれども、延活先生が言うように、体のなかで治療が進んでいるようには、とても思えなかったね。

 ま、それこそ、『シロウト考え』なんだけどさ……。



「私に与えられた、約束の十五日も、明日で終わりだ……」

 先生が、姫さんの枕元で、ぽつりと呟いた。


 帳面に病状を書きとめていたおいらは、顔をあげた。

 すると、先生さん、驚くべきことを言ったよ。


「ヤツが呪いをかけて、私の治療の邪魔をしているのかもしれない。おまえ、行って見てまいれ」


「ヤツ?」


「あの陰陽師だ。行って、様子を見て来い」


 おいらは、唖然とした……。


 うまくいかないとすぐ人のせいにするっていうのは、先生、根性がよくありませんぜ。

 ……と思ったけど、口には出さず、とにかく先生の言うとおり、陰陽師の様子を見に行ってみることにした。



 門をくぐって屋敷を出たら、往来は、まっ昼間のように明るくってね。

 十四夜の月が、家々の屋根や築地塀つきじべいを、き清めるように輝かせていたよ。


 空には薄氷うすらいのような、ちいさな雲がみっつほど、月のおもてにかかってた。

 その雲を透かして届く、光の凄まじさときたら、張りつめた氷を溶かしてゆく、冬のお日さまのようだった。


 それでおいらは、自分が子供だった頃の、冬の朝のことを思い出した。


 その時おいらは、隣に住む兄やんと、水溜りに張った氷を、ばしゃばしゃ踏み割って遊んでたんだ。

 びしょびしょになって、泥だらけになりながら、その陽だまりで、兄やんと夢中になって氷を蹴り砕いてたら、おいらの蹴った氷が泥水と一緒に、近くにいたおっ母の、丸いほっぺにぶち当たったんだ。


 カンカンに逆上したおっ母は、おいらの頭をぽかりと殴りつけた。

『オマエはまたそんな、乱暴な遊びばかりしやがって!』

 と、すさまじい早口で怒鳴りつけられた。


 ああ……あの時、おそるおそる見あげたお母の丸い顔は、真っ白な冬の太陽を背にしょって、かげに埋もれて、見えなかったなぁ……


 ……そんなことを思い出してたら、お月さんのなかに、お母やお父のおもかげが見えるような気がして、おいらはガラにもなく、涙をぬぐったのさ。


 それでいつものクセが出て、思わず歌がぽろっと出来ちまった。


 忘れないうちに書き留めておこうと思ったが、矢立やたてがない。

 しまった、姫さんのところに置いてきちまった、と思って、きびすを返した。


 離れ屋へ急いで戻ってみると、これがまあ、驚いたやら、呆れたやら、おいらが見たのはこんな光景だった……


 姫さんがころもも身につけずに、真っ白な裸体をさらしている。

 月の光に洗われた、ほのあおい、たまのやわ肌。


 その上に、黒い獣のようなものがのしかかって、鎖骨から胸の谷間へとつづくなだらかな雪原に、赤黒い醜悪な舌を這わせていやがる。


 姫さんは眠ってらっしゃって、身悶えもしない。

 それをいいことに、男はむしゃぶる、歯を立てる……自分の欲望に夢中になっていやがる。


 おいらは後ろからそっと近づいて、そいつの頭を、ぽかりとぶん殴ってやったよ。


「あんた、なにやってるんだ」


「はっ、私は……何をしていたんだ……」


 延活先生は飛びあがるなり、まるで悪霊にとりつかれていたとでもいわんばかりに、おいらのほうをちらりと見て、自分の着物をそそくさと調えはじめたんだ。


 おいらは呆れ返って、ぽかーん、さ。

 さっき思いついた歌も、いっぺんにぶっ飛んじゃって、思い出せなくなっちゃったよ!



・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

次回、さらに困った展開に――!


※ まつよいの月 …… 待宵月。十四夜目の月。宵待月とも。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る