第14話 延活先生、戻る

 さてさて、こちらが準備万端ととのったところへ、延活先生、なにも知らずにこそこそと戻って来たよ。


 八文字の口ひげ、ちょろっとした顎ひげ、高いたて烏帽子えぼし、いつもと変わらぬ延活先生だ。


「気づかれておらぬな」

「誰にも」


 おいらの言葉を聞いて安心した先生は、風呂敷包みを解きはじめた。


「暗い。灯りをつけよ」


 燈台は、わざと消してある。姫さんの顔が、ばれないようにね。

 先生は近目だから、大丈夫だと思うけど……。

 おいらは、しれっと答えた。


「ことが露見してはまずいので……。月の明かりで十分でしょう」


 先生はあわてているので、おいらの言葉を疑いもしない。

 小袋のなかから、秘伝の『反魂丹はんごんたん』の丸薬を取り出した。


「材料を集めるのに、思わぬ時間がかかってしまった。さあ、これを飲ませるんだ。鶯丸、水をもってこい」


 おいらが朱塗りの椀に水を汲むと、先生は丸薬を、姫さんの口に含ませた。


「口にそそぎ込め」

「はい」


 おいらは、仰向けになっている姫さんの口に水をそそぐふりをして、袖で姫の顔を隠した。

 そして、水は枕の横にこぼしてしまった。


「……頼むぅ、蘇ってくれぇ!」


 延活先生は姫さんの手を取り、自分のひたいに押し当てて、懇願するように祈る。


 しばらく、そのままの状態がつづいた――



 しかしやがて、先生は「むっ」と顔をあげ、握りしめたその手の、温かいぬくもりに気がついた。


「むむむ」と、大きく唸りながら先生は身を起こし、脈を確かめる。

 姫の上から夜具をはぎとり、大きくえりをはだけて、胸の上に耳を当てる。


 みるみるうち、その顔に、傲岸不遜ごうがんふそんな笑みが広がった。


「ははは、見よ! 蘇った。家伝の古い巻物……反魂丹……半信半疑ではあったが、どうしてどうして、ハ、ハ、ハ、わが家の秘伝も捨てたものではないな。『積善しゃくぜんの家に、余慶よけいあり』とは、このことだ。ワッハッハ!」


 急に自信を取り戻し、ドヤ顔を向ける先生に、おいらは呆れ顔。


 ……まったく、蘇ったもなにも、ないもんだよ。

 その姫さんは、代役の女役者さんなんだから、脈があって当たり前。

 あわてきっている先生は、そんなことにも気づかない。


 おいらは、そっと、寝具の端に出ている姫さんの手にふれて、合図した。


 その途端、姫さんは突然に上体を起こし、ごほ、ごほ、と激しく咳をした。

 そうしながら、口のなかにとどめていた半魂丹の丸薬を、気づかれぬように吐き出した。


 驚いた先生はすぐに近づいて、姫さんの上体を抱きかかえた。

 丸薬を吐き出したことはおろか、人が入れ替わっていることにも気づいてない。


「姫、寝ていなさい。まだ寝ていなさい。鶯丸、水を含ませてやるんだ。すこしずつだぞ」


 おいらはまた、お椀に水をくみ、姫さんが水を飲むのを手伝ってあげた。

 吐息をついた形に、可憐にひらかれたその唇から、かすかな声がもれる。


「……ああ、ここはいったい……」


「花月夜姫、私がいるからにはもう大丈夫ですぞ。ここはあなたの家です」


 しばらくのあいだ、姫さんは中空をみつめていたが、やがて、ゆっくりと喋りはじめた。


「わたしは……先ほどまで、黄泉よみの国にとらわれておりました」


「黄泉の国ですと? そう、まさにあなたは黄泉の国から帰ってきたのです。黄泉よみがえるとは、まさにこのこと! ……もう大丈夫。、わが家に伝わる秘伝中の秘伝の薬で、あなたをよみがえらせたのですよ。もう大丈夫だ」


 私が、この私が……と、先生は胸を叩きながら強調したけれど、姫さんはまったく聞いていないふうで、次の台詞ことばを口にした。


「わたしは黄泉の国で、閻魔えんま大王に会いました」


「……ほ、ほう? ……閻魔大王……?」


 姫さんの口から出た奇妙な言葉に、先生は驚き呆れ、目を白黒させた。




・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

さあ、お芝居がはじまる――!



※『積善しゃくぜんの家に、余慶よけいあり』 …… 代々、善行を積んできた家は、子孫にまで幸運が及ぶ、と言われる。積善は「せきぜん」と読まれることも。『易経』より。

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