第15話 地獄の獄卒

 ぼんやりと前を見つめていた姫さんが、ふいに顔を動かし、延活先生の視線をまっすぐに捉えた。


「閻魔大王は、わたしに色々なことを教えてくれました。延活先生……あなたの寿命も」


「な、なに? 私の寿命?」


「そうです。あなたの寿命です」


「それで……その寿命とは?」


 姫さんは細い人差し指で、先生の眉間みけんゆびさした。


「今宵です。今宵、あなたの寿命は尽きるそうです」


 先生は急に眉をつりあげ、驚きとも、忿怒ふんぬともつかぬ表情をみせた。

 愚弄されていると感じたのかもしれない。


「な、なぜ私の寿命が尽きると……?」


 混乱しながら尋ねた先生を、姫さんは目を細め、ッとにらみつけた。

 そして突然、男のように低い声で、「」と、言った。


 先ほどまでのはかなげな姫君の様子とはうって変わった、ドスのいた声――まるで悪霊に憑りつかれてるみたいだった。

 演技だってわかってても、おいら、手に汗握っちまった。


 先生もその場に固まって、驚愕のまなこで、変貌した姫さんを見つめている。


、守らねばならないはずの患者、抵抗できぬ弱者の上にのしかかり、自分勝手な欲望をげようとした。そしてついに、わたしをあやめた。ゆえに、邪淫じゃいんの罪、および、殺生せっしょうの罪により、今宵こよい、地獄に堕ちるのだ!」


 先生はがたがたと身をふるわせながら聞いていた。


「な、なにを馬鹿な……」


「わたしはお前を連れてくるよう、閻魔大王からご命令を受けた。さあ、一緒に、黄泉よみの国へ来るがよい!」


 やおら起きあがった姫さんは、先生の手首をつかみ、引っ張った。


「ひ! な、なにを馬鹿なことを……正気を保ちなされ」


「正気? わたしの言葉は、虚言そらごとではない」


 なおも強く、姫さんは先生の腕を引く。


「来い!」


「どこへ?」


「もう、来ている!」


「なにが!?」


 突如、緑の光の玉が、闇のなかを左右に飛び交った。


「ひぃっ、火の玉ッ」


 先生がそっちに気をとられている隙に、カラスの頭をした山伏やまぶし――烏天狗からすてんぐたちが松明たいまつを握って現れ、担いできた御輿みこしを、縁側のきざはしにぴたりと付けた。


 松明の炎にあぶりだされて、ふたりの、異形いぎょうの大男が現れた。


 一人は頭が、牛。

 もうひとりは頭が、馬。


 まなじりは吊りあがり、瞳は爛々らんらんと輝き、口からは猪のごとくに、鋭い牙が突き出ている。

 地獄の獄卒ごくそつ……牛頭ごず馬頭めずだ!


 牛頭のほうが、腹に響く図太い声で叫んだ。


「お迎えにあがりましたァ! 延活殿ォ! 邪淫の罪、および殺生の罪によりまして、これより『衆合しゅうごう地獄じごく』へと、ご案内もうしあげまーす!」


 ガッチリした体から予想もつかぬほど素早い身のこなしで、牛頭と馬頭は屋敷のうちに飛びあがると、有無をいわせず、先生の腕を左右から引っ張った。


「さあさ、お輿へどうぞ! 遠慮なく!」


 化け物たちは、ぐいぐいと先生の体をひきずって、輿のなかに押し込もうとする。

 先生はわっぱのように両足を突っ張って踏ん張るけど、どうにもならない。


「やめてくれぇ、許してくれぇ、わしが悪かった。頼む、見逃してくれ。助けてくれぇ」


 手足をじたばたさせて、顔をくしゃくしゃにして涙ぐみ、小水ではかまを濡らし……よほど怖かったんだろうね……かにみたく、口から白い泡まで噴いている。


 ああ、もう、情けねえ、これが町の人々から代々の医師と尊敬された、先生様なのかい?



 その時だったさ――


「先生、お逃げなさい」


 と、カッコよく、あいだに割って入ったのは、誰あろう……


 ……おいらだったよ。


 まったく、われながら呆れるよ。

 筋書きになかった自分の行動に、自分でもびっくりさ。


 牛頭と馬頭が手を離したそのスキに、先生は身をひるがえし、足腰も立たぬ有様で、虫けらみたく四つんばいになって、這って逃げた。


 庭土に頭から転がり落ちると、裸足のまま、あっというまに門から飛び出てっちまった。


 その滑稽な姿をみて、その場にいた異形の者たちは、どっと笑い声をあげたのさ!



・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

哄笑する、地獄の妖魅たち――! 次回はいよいよ最終回! 



※ 衆合地獄 …… 殺生、盗み、邪淫を犯したものが落ちる地獄。鉄の山におしつぶされたり、落ちてくる大石につぶされたり、鬼に臼の中で突かれたりする、コワ~い場所。

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