第9話 王子と舞姫――合奏

 おいらは頭を整理した。


 場所は、古代中国、震旦。

 花月夜姫は、『王子』。

 夕風先生は、『舞姫』。


 月光に負けぬほどに降りそそいでくる星々の、華々しい光を見つめながら、夕風先生は語った。



「そこは、御殿ごてんの室内だった――。


 赤や緑の派手やかな彩色、石の床、飾り棚、円窓……すべてが、わが朝とは異なる有様ありさまをしていた。

 紫檀したんの木目のうつくしい琴が、台の上に据えられていて、その前に、ふたつの椅子が並べてある。


 室内には、王子と舞姫しかいない。

 ふたり並んで、楽器の前に座った。


 ふたりは普段やったことのない、思いつきの遊びをしようとしていた。

 ひとつの琴を、ふたりで奏でようというのだ。


 舞姫は左手で、弦を押さえる。

 王子は右手の指に懸爪かけづめをつけ、弦を爪弾つまびく。


 ひとつの弦楽器を、ふたりで奏でるのは、存外、難しい。

 呼吸を合わせ、相手の動きを予測して、曲を進めてゆく。


 しかし、どうしてもひとりで弾く時と感覚が違うので、違った場所を押さえてしまったり、違った弦をはじいてしまったりする。


 そのたびに、ふたりのあいだに、くすくすと秘め笑いが起こった。


『ちがいます』


『ここ?』


『……ああ、そこ……』


『ここは?』


 相手の望む場所を探り当てる、その悦び――


 つたない音の羅列が、やがて生き生きとした音楽へと変わってゆく。


 曲の乱れによって起こる、忍び笑いも、ふたりの息づかいも、まるで曲の一部であるかのよう。

 耳たぶを甘くくすぐり、胸を小躍りさせる。


 そうしている間にも、ふたりとも、空いているほうの手は、手持ち無沙汰になっている。

 その手は、自分も弾きたいとはやるのだろうか、熱がこもり、脈動を止められずにいる。


 王子はもどかしげに、空いた左手を差し伸ばし、舞姫の、空いた右手を握りしめた。


 瞬間――舞姫の全身に、火がはしった。


 体じゅうに血が巡り、頬が熱く火照った。

 ふたりの体が、楽器をとおして、ひとつの円環となった。


 するとたちまち、音色ねいろが変わった。

 今までの子供じみた遊戯が、相思相愛の、情熱的な愛撫へと変わった。


 ふかみを増した低音が、下腹をえぐる。

 色艶いろつやきらめく高音が、背骨を駆けあがる。


 もっと高く、もっと激しく、合奏が、もう耐えられないほどに昇りつめた瞬間――



 ――ふいに、曲が途絶えた。


 カラ、カララと、王子の指の琴爪がはずれて、床の上を跳ねた。

 気がつけば、舞姫の体は、王子の逞しい腕のなかに包み込まれていた。


 不思議な静寂が訪れた。


 その静寂のなかに、ふたりで奏で合わせた一切の音色を超える、天上の調べが鳴り響いていた。


 花の香りが、どこからともなくあふれてくる。

 天からさらさらと、光の粉がふり落ちてくる。


 円環は崩れた。


 支えを失ったふたりは、互いの体に寄り添い合いながら、恋の炎にむかって、どこまでも深く堕ちていった。



永遠とこしなえに、あなたを愛します』


 そう言った王子の声を、舞姫は、遠ざかりゆく意識のなかで、聞いていた……」




・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・




※震旦 …… しんたん。特定の王朝名ではなく、日本から見て、古代中国全般を指した。中世の文人たちは、「震旦」や「天竺てんじく」(=インド)という名を、憧れの思いで使っていたようです。


※琴 …… ここで使われている琴は、「古箏こそう」。十二~三本の弦。



今年最後の更新となりました。

花純の作品をお読みくださったみなさま、今年も一年、ありがとうございました!

また来年も、よろしくお願いいたします。


それではみなさま、よいお年をお迎えください✧*。✧*。

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