第12話 王子の記憶

 夕風先生は、花月夜姫の体が楽になるよう、夜具の上に横たわらせた。


 火打ち道具を使って、おいらは火皿に火を灯す。

 姫さんは天井を見つめながら、透きとおった声で、今見たばかりの夢を物語った。


「夢のなかで、わたしは男でした。しなやかに舞う姫の姿に、一心に、胸を焦がしておりました。


 舞姫が、にぃ、と目を細めたその笑みは、男を誘惑するための秋波しゅうはではありません。

 恋人にすべてをゆだね、しかもそのことに心底から喜びを感じている女性の、おさえきれない微笑でした。


 上気したその頬が、ほのかなすももの色に染まっております。


 ……しかし、そんな幸福な時間も、束の間のこと。

 男のわたしは、いくさに出かけねばならなかったのです……」


 姫さんの言葉が、哀しみに途切れた。

 夕風先生は隠し切れぬ興奮を押さえつつ、ふう、と、ため息をついた。


「死にかけて魂を失った人は、時に、それまでの記憶を、絵巻物を眺めるごとく眼前に見ると言います。あなたもまた生死の境にのぞんで、前世の記憶までもが甦ったのでしょう」


「前世? それではあの異国の王子が、わたしの前世の姿なのでしょうか?」


「はい、そう思います」


 夕風先生の言葉に、しばし考え込んだ後、姫さんは言った。


「……お別れの時、ふたりは小さな人形を交換しあいました」


 聞いた途端、夕風先生は体をふるわせた。


「人形……人形と……!?」


 姫さんはその言葉に答える代わりに、


「これをご覧くださいまし」


 と、左の拳を、おずおずと差し出した。

 拳をひらいてみれば、そこには……



 ……なにもなかった。



 ところが次の瞬間、夕風先生が「アッ」と叫んだので、おいらは膝を近づけ、目玉をかっぴろげて、よく見てみた。


 ……すると、ああ、姫さんの掌底に、アザがあるじゃないか!


 周囲の皮膚からやや浮き出て、はっきりとした輪郭を保ちながら、均等に赤黒くなっている。

 それはおいらの目にも……小さな「人形」のかたちに見えた。


「幼い頃、火鉢の炭がぜて、わたしの手のひらに飛び込んできたのです。それで、火傷やけどを負いました。それが偶然にも、このような形になったのです。


 今、わたしにはその火傷の意味が、はっきりとわかりました。わたしは今の世に生まれる前、異国の王子として生きていた。阿鼻叫喚あびきょうかんの恐ろしい戦場で、右手に剣を握り、左の手首に、舞姫からいただいた人形の紐をかけて、ずっと握りしめていたのです。


 そして生まれ変わっても、わたしはその人形をあざとして、ずっと握りしめて生きてきた。おそらくは、『必ずまた逢いましょう』と誓った舞姫との約束を、けして忘れぬために……」


 わなわなと体をふるわせ、夕風先生は説明した。


「炭が爆ぜて、火傷のあざを作ったことを、『いん』と言います。目に見える直接的な原因を、因というのです。

 その因の裏に、前世からつづく大きな原因が潜んでいます。これを、『えん』と言います。

 両方を合わせて『因縁いんねん』というのです。因と縁、両方を解き明かした先に、この世の真なる姿が見えてくるのです。これを御覧なさい」


 夕風先生が、ぱっと手をひらいた。


「アッ――!」

 おいらも姫さんも、思わず声をあげちまった。


 先生の手にも、人形のかたちをした、アザがあった!


「修行中、護摩ごまの火をいていた時に、火傷やけどしたものです」


 急に姫さんが、咳き込みながら上体を起こしたので、夕風先生はあわてて、その背中をやわらかく支えた。


 姫さんは先生の手を取り、自分の手のひらと見比べた。


 おいらは気を利かせ、そっと、燈台を枕元に近づけた。


 ふたつの手のひらの、ふたつの人形が、ほのかな明かりの元に浮かびあがる。

 人形たちは仲よく並んで、再会を喜びあってるみたいだった。


「……ああ、ようやく出逢えた……」


 同時に、ふたりの唇から、千年分の深いため息がこぼれた。

 夕風先生は唇を噛みしめ、なみだをこらえながら言った。


「私です。……あなたの夢に出てきたその舞姫は、私なのです」


「はい、わかります」


 子供みたいに微笑ほほえみながら、姫さんはか細い指を伸ばして、夕風先生のまぶたに浮かんだ、光の粒をぬぐい去った。


「……だって、あなたは最後にお別れした瞬間と、同じお顔をしているのですもの。あの時も、わたしはこうしてあなたの涙を、指ですくってあげたのですよ」


 そこは異国の琴のが響く殿舎なのだろうか、それとも、白と緋の花が風に混じりあう李園なのだろうか――


 強くいだきあったふたりを、ふたりにしか見えない景色が包み込んでた。



 夕風先生が、花月夜姫の耳元に、ささやいた。


永遠とこしなえに、あなたを愛します……」


 ふふ、と、姫は微笑んだ。


「それは、わたし(王子)の台詞せりふです」


「今生では、私に言わせてください」


「はい」


 ふたりはまた、ぎゅっと抱きしめあって、とってもお幸せそうだったよ。




・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

もう一度、結ばれたふたり――次回、姫の病の原因(縁)が、明らかに――

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