第6話 延活先生、駆け去る

 言葉のかけようもなく、おいらは茫然と、どうしようもなく愚かなこの御仁のほうを見つめていた。


 この先生はいったい、どういう考えでこんなことをしでかしたのか。


 薬の効果がない。

 明日でお役目を降ろされてしまう。

 姫さんに会えなくなっちまう。

 だったら今、自分の思いを遂げてしまおう。


 ……おそらく、そんなふうに考えたに違いない。


 姫さんの父殿は博打ばくちを打ちに出かけちまってる。

 下働きの者たちは病魔を恐れて、この離れには寄りつかない。

 先生にとっては、おいらだけが邪魔だったってわけだ。


 おいらはムカムカきちまって、先生を口汚くののしった。

 先生とおいらは、かたきどうしのようににらみあっていたよ。


 しかしまあ、とにかく姫さんをすっ裸にしてほっぽっとくわけにもいかないから、先生は姫さんの着衣を整えはじめた。


 先生さんが、妙にあわてた様子を見せはじめたのは、その時だった。

 あたふたした仕草で、姫の胸乳むなぢに耳を当てたり、手首を抑えたりしてやがる。


「なんです?」

 おいらが尋ねると、先生は顔をあげ、悲痛な表情を見せた。


「息がない……」


「ハ?」


「死んでる……」


 ッとしたね。

 姫さんの口元に手をやれば、確かに、息がない。


 おいらの膝が、わなわなとふるえた。


 情欲に任せた先生の愚行は、思いを遂げるところまでは至らなかったが、姫さんの体に重い負担をかけるには十分だったのだ。


 声をおし殺して、おいらは叫んだ。


「バカな人だ! みすみす姫さんを死なせて……。あんたの仕事は何です!? 人を生かすことでしょうが!」


「……」

 先生は情けなくうなだれ、黙っている。


 ところがややもすると、さっと立ちあがり、部屋を出て行こうとした。


「待て! 逃げるのか?」


 叫んだおいらに、紙屑のように薄っぺらくなった白い顔で、先生は言った。


「わが家に伝わる『反魂丹はんごんたん』という薬がある。あれを使おう。秘伝の薬で、死人を蘇らせることができるという。……私は急いで調合してくるから、お前ここにいて、私が戻るまで、姫が生きているふりをして看病しておれ」


「そんな無茶苦茶なッ」


 先生は両手ではかまをつりあげると、一心不乱に駆け去っていった。


(反魂丹――? 生き返る可能性がある?)


 半信半疑、おいらは姫さんの着衣と布団を整えながら、考えを巡らせた。


 とにかく、そのよみがえりの可能性にかけて、先生を待ってみよう。

 もし先生が帰ってこずに、事が露見したら、その時は姫の親父さんに、洗いざらい打ち明けよう。

 先生が帰ってきて、反魂丹が効いて、姫さんが甦ったとしても、もちろん打ち明けるけど。


 腹を決めたところへ、月明かりの庭先に、なにかが動いた。

 おいらは、どきりとして、心臓が止まるかと思った。


 あろうことか、そこに立っていたのは商売がたきの、あの陰陽師おんみょうじじゃないか!


(……よりによって……)


 おいらはできるだけ平静をよそおいながら、姫さんの看病をしているふりをした。

 色白の整った顔をこちらに向け、陰陽師は縁頬えんがわきざはしに、音もなく近づいてくる。


「どうだね? 姫の容態は?」


 静かな声で言いながら、陰陽師は浅沓あさぐつを脱ぎ、猫のような身のこなしで段を昇り、軽々と板間にあがりこんだ。


 おいらは何事もなかったように、つんとして男を見あげたけれど、脇の下は冷や汗いっぱい、だくだくさ。


「そなた、名は?」


「鶯丸と申します」


「私は陰陽師。夕風ゆうかぜという」


 そう名乗った陰陽師は、姫さんの体を挟んで、布団の向こう側に、すとんと座りこんじまったんだ――!




・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

突然に現れた陰陽師、異様な状況に巻き込まれた鶯丸――!

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