第3話 延活先生、花月夜姫の治療にゆく

 若宮大路の、二の鳥居の近くに、幕府の官僚が住んでたんだ。


 その娘がやまいの床に伏しているというので、先生はたいへん執着して、その屋敷に通った。


 助手のおいらも一緒についてったんだけど、それにしてもまあ、『花月夜はなつきよ姫』という名のこの令嬢は、その名にたがわず美しい姫さんでね。


 透きとおる白い肌、髪の生え際のこまやかな美しさ。首をかしげた時の、いたいけな仕草、ふっくらとした小ぶりな唇。


 病のせいで顔色が透き通るように青白くて、頬もやせていたけど、美貌はすこしも損なわれていなかった。

 むしろ、護ってあげたい――と男どもに思わせるような、可憐さがにじみ出ていた。


 先生はたちまち、とりこになっちまったってわけさ。


 先生には、妻がない。

 好機到来。

 千載一遇。

 なんとかこの花月夜姫を自分の薬で治して、ものにしてやろうと、先生さんは考えていらっしゃった。


 ……しかし姫の病は、先生の思うようには、なかなか治らなかった。



 ある夕方、先生が往診に訪れると、姫さんの布団の横にひとりの男がいて、眠っている姫さんの氷魚ひおのように美しい手を、自分の両手で包み込んでいた。


 おいらは驚いて、しげしげと男を眺めたが、その男は若くてかなりの美男だった。

 肌がすべすべとつややかで、髭は綺麗に剃られている。


 もえぎ色の狩衣かりぎぬの肩の切れ目から、黄土おうど色のひとえをのぞかせてる姿も、すらりとして、しゃれている。

 藍色のはかまをはいて、折り烏帽子えぼしをかぶっていた。


 背が低くて、童顔で、どんぐりまなこで団子鼻のおいらとは、別世界の人だと思ったさ。


 先生はたちまち、怒りと嫉妬で、真っ青になった。

「き、貴様、何をやっておるかーーー!」


 男は、すっと先生のほうを見ると、なにも言わぬまま、落ち着いたそぶりで立ち去ってしまった。


 おいらが後から、「お知り合いでしたか?」と尋ねると、延活先生は思いつめたような顔をして「いや」と、かぶりをふった。


「お前、あれは、陰陽師おんみょうじだよ」

「陰陽師?」

「商売がたきだ」


 先生は吐き捨てるように言った。

 ……陰陽師ってのは占いをしたり、悪霊を追い払ったりして、病を治す人さ。


「これを見ろ」と、先生は一枚の紙をよこした。



  みぬからに 今宵こよいの月は 晴れぬべし


   ゆふけの風を 占方うらかたにして



 おいらはすぐに、歌意を考えた。


 ……見なくても、私には、今夜の月が晴れるだろうことはわかっている。

 夕方の往来で、人々の話す声を聞いて、占ったから


 ……私が占えば、どんな風邪でもたちまちに、月が晴れるように治ってしまうだろう。


「やつめ、のマネをして、その歌を自分の屋敷の門前にかかげて商売しているらしい」


(私の歌……)


 延活先生が、あまりにも堂々と言い放ったので、一瞬……「風心地」のあの歌は先生が詠んだんだっけ……と、当のおいらでさえ、錯覚しちまったくらいさ!



 よほど腹に据えかねたらしく、先生はすぐさま、姫さんの父親に掛け合った。

 父殿は幕府の文官である。


「姫は私の薬で、快方にむかっております。どうか、陰陽師風情ふぜいせるのは、やめていただきたい」


 すると父殿は、先生に疑わしげな目をむけた。


「私には、娘が快方にむかっているとは、とても思えない。だから、陰陽師を呼んだ。薬代も治療費も高価なばかりで、ちっとも効果がないではないか」


 おいらはずいぶん後から知ったんだけど、父殿はこの頃、博打ばくちにのめり込んでいて、あまり家内の経済状況がよくなかったらしい。

 姫君の母上はずいぶん前に亡くなっており、誰も諫める者がいなかった。


 先生は、あわてなすったね。


「いや、待ってください。それはシロウト考えというものです。治療にも段階というものがある。表から見れば、今は治っているとは見えないが、体のなかでは治療は進んでいるのです。順序を踏んでゆけば、必ずよくなるのです」


「ふん、どうだかのう……」


 父殿は、先生のことを、あまり好いていないようだった。

 ついと座を立つと、縁頬えんがわから庭先を見つめた。


 藤棚に長く下がった花房はなぶさが、さわさわと、ささやくように、風をづるように揺れている。

 えもいわれぬかんばしい香気が、風のうちに、ただよってくる。


 しきりに考え込んでいた父殿は、月のない夕空を見あげ、結論を出した。


「よろしい。今宵はちょうど新月。あなたに十五日の時を与えよう。満月の晩までに快方の兆しが見えねば、あの陰陽師に切り替える。どうじゃな?」


 むむ、と先生は困惑して、顔を歪めた。でも結局は、「よろしいでしょう」と言って、その申し出を受けたんだ。




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次回は、延活先生、歌を詠む!?

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