第2話 謎の魔印がもたらすもの

 俺が赤ちゃんになってから数日が経過した。頭脳は以前のままなので、他人から呼ばれる際は、赤ちゃんではなく、赤さんになるかもしれない。

 そんなことはどうでもいいが、色々と気づいたことがある。


「クライン、お手ては大丈夫?」

「ふんぎゃあ!」


 俺に優しく声を掛けてくれた金髪美人の名前はメアリー、彼女はなんと、俺の母親・・らしい。


 毎日俺の名を呼んでくれるし、泣いているとおしめを替えてくれる。

 変な言い方だが、俺にはもったいないくらいの母親である。


「ぐるぅう」


 そして俺の傍にずっといるのは、元猫のおもち、といっても、今はドラゴン、子竜が正しいのだろうか。

 正直、意味不明なことばかりでまだ整理が追い付いていない。


 輪廻転生という言葉を聞いたことはあるが、記憶が何らかの理由で受け継がれているのかもしれない。


 とはいえ元の世界と比べると今は幸せだった。

 無条件に愛されているのを感じるし、おもちだって傍にいる。

 俺が少し言葉を話そうとしただけでめちゃくちゃ喜ばれる。


 ……なんていい世界なんだ。


 そんなことを考えていると、右指に違和感を感じる。


 しかし幸せの中にも、最悪な事がある。


 それが――これだ。


「ふんぎゃああああああああああああああああああああ」


 次の瞬間、身体中が引きちぎられるような痛みを感じた。

 四肢が、引っ張られているような。

 やがてその痛みは、指先に集中していく。


 これに関してはまったく意味がわからない。ただ痛みを感じるだけじゃなく、何とも言えないむずがゆさがある。

 たとえるなら、虫が指の中を這っているような感じだ。


 メアリーもどうしようもないらしく、「頑張るのよ、クライン」と声をかけてくれるが、それ以上のことはできないらしい。


 先天性の病気か、或いはこの世界・・での通過儀礼のようなものなのか。

 俺にはわからな――。


「ぎゃあああああああああああああ」

「クライン、ごめんね。本当にごめんね」


 しかしメアリーの瞳から流れる雫はとても美しく、俺の苦しみも幾分か和らいだ。


 ▽


 また時がたった。

 相変わらず謎の痛みに悩まされているものの、それ以外は今のところ大丈夫だ。


「ほらクライン、美味しいおミルクを飲みましょうね」

「ば、ばぶ……」

「あら、どうしていつも恥ずかしがるのかしら。栄養はちゃんと取らなきゃだめよ」


 毎日数回の食事、眼前に迫りくる柔らかいたゆんを吸うと、ちょっとした罪悪感と合わせて多幸感が味わえる。

 この文言だけだと凄く変態みたいだが、不思議とエロい気持ちはない。


 どちらかというと安心する。


「んまっんまっ!」

「飲みはじめたらいつも元気なんだから」


 謝るのも変だけれど、ごめんなさいお母さん。

 でも、とっても美味しいです。


「ぐるぅ」

「おんぎゃ」


 おもちはずっと傍にいてくれる。

 赤ちゃんになって何が一番困っているのかというと、なことだ。


 とにかくやることがない。


 考えてみてほしい。何もかも取り上げられて、その場でただ天井を眺めることしかできない無為な時間を。


 これはつらい。とにかくつらい。おもちがいなければ、おそらく俺はメアリーを呼ぶために永遠に泣き続けているだろう。


 ……もしかして赤ちゃんって、暇だから泣いているのか?


 だがおもちはそんな俺の気持ちをわかってくれているのか、何かを咥えてきては、俺に渡してくれる。


 ただメアリーにいつも「もう、ダメよ。これは肌着だから」と怒られている。

 まだ目がそこまで発達していないのでよくわからないが、サラサラで気持ちいいことは確かだ。

 肌着って、そういえばどんな意味だったっけ。


「フェア、濡れタオルをもらえるかしら?」

「はい、畏まりました」


 メアリーの横にいるのは、メイドのフェア。

 長い黒髪、眼鏡をかけているのはわかるが、顔立ちも綺麗だ。


 かなり若く見える。


 メアリーがいないときも優しく接してくれるし、おしめも代えてくれるいい人だ。

 ただ、おもつを替え終わった後の「……ふう」と最後にため息をつくところだけは、いつも申し訳ない。


「クライン、おててをキレイにしておきましょうね」

「ばぶっぶぶ!」


 メアリーはそういいながら、俺の手をゆっくりと綺麗にしてくれる。

 いつも痛みで力が入りすぎるせいで汗だくなのだ。


 ひんやりとした布が手に触れると随分と気持ちいい。


「やっぱり、魔印が一つ……驚きだわ」

「凄まじい才能です。祝福の儀では周りを驚かせること間違いありませんね」

「まあでも、私としては幸せに育ってくれるだけでいいわ。それが、一番の願いよ」


 微笑むメアリーを見ていると、とても嬉しい気持ちになる。

 魔印とは、俺の指に蛇のように巻き付いている刻印のことだろう。


 間違いなくこれから痛みが発生していることはわかっていた。


 俺としては憎き印なのだが、二人の口ぶりからすると悪いものではないらしい。

 

 ただもう一つ、俺にしか見えていないのかわからないが、人差し指以外にも中指にも薄っすらと刻印がある。

 一体これがなんだというのか、知りたくてたまらないが、声帯が発達するまではわからない。


「おんぎゃああああああ」

「あらあら、よちよち」


 そしてこの人差し指と中指の魔印だが、意図的に動かすことができることを知った。

 新しい指に動かすだけで随分と痛みが和らぐ。

 おかげで次の指に変な色が付くが、それよりも現状の苦しみから脱却できることが大事だ。


 それと俺は今まで、父親なるものを見たことがない。


 ……正直、以前のことを思い出すとまだ体が竦む。


 生まれたての赤ん坊を放置するなんてよっぽどじゃないだろうか。

 少なくともろくな父親ではないことは確かだ。


 だれが俺は現状に満足していた。

 優しいメアリーがいて、フェアがいて、おもちがいる。


 この幸せを、更に大きくしていくことが目標だ。


 そんなことを考えていると、また発作・・が起きる。


 指先が痛い。何かに噛まれた後に苦虫が這う。

 ああ苦しい、痛い――。


「クライン、死なないで。あなた私の大事な息子。魔獣ちゃん、守ってあげて」


 ……死ぬ?


 ああ……嫌だ。絶対に死なない。


 俺はこの幸せを手放したくない。


「ぐるぅ」


 そうだよなおもち、同じ気持ちだよな。


 二人で一緒に頑張ろうな。


――――――――――――――――――――――――――

 あとがき。

 ミルクんまっんまっ!



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