正体

 現場を見た中島は、今まで積み上げてきたものが、音を立てて崩れていくような気分を味わった。


 中島は、田原稲男が子供だった頃を知っていた。早くに両親を亡くし、祖母の梅が親代わりをしていることも、梅本人から聞かされていた。


 可哀想だと思った。だから、よく遊びにつれ出していた。稲男が警察官になる夢を話した時、中島はその夢を応援した。まるで息子を持ったような気分だった。


 稲男を支えているつもりでいた。しかし、思い返してみれば、稲男は梅の介護が必要になったとは言ったものの、その大変さを、一度も中島に相談したことがなかった。


 彼は、梅の本当の状態を、中島に偽っていた。中島は、稲男が問題なく梅の世話をしていると思い込んでいた。特にここ最近は、忙しさのあまり、見舞いにも訪れていなかった。


 だから梅が死んでいた事に、気付けなかった。 


 村人達はお節介なようでいて、噂好きだ。それも、面白おかしく悪い方向へ話を転がしていく。田原稲男にとって、中島はそんな村人の一部に過ぎなかったのだろう。


 稲男は囲に違和感を持っていたようだが、村人に介護の悩みを打ち明ければ、梅が恐れていた通り、梅が囲の対象にされると思っていたのかもしれない。


 きっと、稲男は誰にも相談できず、思い詰めてしまったんだろう。


 中島は様々な思いが込み上げ、口の中で謝罪を繰り返した。



 気付けば、押し入れの前に立っていた。襖は固く閉じられているが、中に入っていた衣装箱は引っ張り出されたままになっていた。遺体を持ち上げるのに使った踏み台も、出しっぱなしになっている。


 天袋を開け、天井を押す。思っていたよりも簡単に板が外れ、闇に塗りつぶされた天井裏が露わになった。


 懐中電灯を付けようとして、廊下に落としてきたことにようやく気が付いた。仕方なくスマホのライトを付け、天井裏を照らした。


 仄かな明かりが、暗闇に呑まれていたビニールシートを露わにした。


 丸く膨らんだそれに手を伸ばし、触れる。


 違和感。


 勢いよく引っ張れば、ビニールシートが捲れ、中身が露出した。


「なっ——」


 慌ててビニールシートを引っ張り出し、部屋の中に戻る。


「どういうことだ! ビニールシートの中に、誰もいないぞ」


 半ば叫ぶように訴えた中島は、部屋の様子を見て、さらに悲鳴を上げた。


 部屋の中にあった何もかもが消えている。箪笥も、机も、ベッドも、家具という家具が、綺麗さっぱり消えていた。


 押し入れのすぐそば、部屋の隅には、田原を庇うように覆いかぶさる逢がいた。二人の為に壁となり、頭から血を流す四辻は片膝をついている。


「いったい何が——」


 突然光が消えた。身動きできないまま床に落とされ、引きずられる。


 再び光が戻ると、目の前には四辻の顔があった。


「間一髪でしたね」

「何だコレは、糸か? クソッ糸が体中に巻き付いてやがる! いったい、どういうつもりだ!」


「緊急事態だったので、この糸で引っ張らせてもらいました。それとも、蓑虫になるくらいだったら、下敷きの方がマシでしたか?」


 四辻が指さした場所では、天井から降ってきた机が踏み台を粉砕して、床に突き刺さっていた。


「ところで、見たんですよね? 天井にあるはずの遺体が消えているのを」


「あ、ああ。ビニールシートの中に、梅さんの遺体は無かった」


「ふっふふふ。あはははは!」


 肩を震わせて笑い出した四辻に、中島は異様なモノを見る目を向けた。


「はぁ……中島さんが戻るまで、彼女を引き付けた甲斐があった。


 遂に、辿り着けましたよ。天井下がり事象を引き起こした霊の正体に」


 四辻は糸で巻いたままの中島を田原の隣へ寝かせ、天井に向かって複数の札を投げた。札は空中でほどけて展開し、薄い白い糸が繭のように部屋の隅を覆った。


 ——ガンッ!


 硬い物が繭にぶつかり、落ちた。顔を上げた逢の目は、繭の向こうにちゃぶ台が転がっているのを捉えた。


 ガリガリ、ガリ、ドンッドンッガリガリガリ


 見えない何かが、繭の上を這いまわり、爪で引っ掻き、叩いている気配がした。


「お二人共、絶対に四辻さんの繭に触れないでください。この繭は外からの攻撃には強いですが、内側から触れれば簡単に壊れてしまいます」


 逢は田原稲男の上から体をどかすと、四辻の様子を窺った。


 逢は背中に冷たい汗が流れ、冷静さを手放さないように必死だった。しかし、四辻は汗一つ流さず、涼しい顔をしていた。血を流してはいるものの、息は全く乱れていない。


「何とかしてくれ!」

 中島の声は裏返り、震えていた。


 四辻を気遣いながら、逢は中島に説明した。


「お祓いは、もう始まっています。そのために、こうして怪異の正体を暴いたと報告しているんです!」


「報告? 何にだ!?」


「照魔機関の祭神に、です。怪異の正体を暴けば、神様の力で怪異は隠れることも逃げる事もできなくなります。それからじゃないと、封印を解いちゃいけないことになってるんです!」


「封印?」


 一際大きな音がして、繭に穴が開いた。真上に落ちた箪笥が、バランスを崩して床に落ちていく。


「霊の本当の目的は、自分を殺した犯人を庇う事だった。だから、あなたは、自分自身の遺体を異界に隠したんだ。 


 遺体を盗んで降らせ続けたのは、自分自身の遺体を隠し続ける為に、霊として存在を保とうとしたからだ」


 四辻は振り返り、壁にもたれかかっている稲男を見た。稲男はぼんやりとした表情で、繭に開いた穴を眺めている。


「大野家の周りで遺体を降らせたのは、疑いの目をこの家に向けさせない為。捜査官を殺したのは、村中の家を調べられたら、あなたがいないことがバレてしまうから。ですよね? 田原梅さん!」


 部屋の電気がフッと消えた。


 天井から影が落ちて、ぶら下がる。障子から差し込む月明かりが、両手をだらんと伸ばしたまま、ゆらゆらと揺れる人影を照らし出した。


 揺れる度に、白髪に赤色の混ざる長い髪が、水辺を揺蕩う藻のように、宙に浮かぶ。


「ようやく、姿を現してくれましたね」


 四辻が懐中電灯を向けると、血の気の引いた青白い顔が浮かび上がる。その顔は苦痛に満ち、目はきつく閉じられていた。


「この部屋の様子が分かりますか? お孫さんは、あなたを殺してしまった証拠を、処分できなかったんです。


 稲男さんが恐れていたのは、霊障ではなく、自分が最愛の祖母を殺してしまったという事実だったのです。

 この先、あなたがどれだけ遺体を増やそうと、吊るそうと、彼はきっと、自分の罪から逃げられませんよ。


 梅さん……あなたは、ご自身の行動が、どんどん恐ろしい物になっていることに、気付いていますか? 自分を殺した孫を庇う為に、悪霊になることが、稲男さんの為だと思いますか?」


 揺れる影は、部屋の中央で制止した。


「終わりにしましょう。……逢さん、準備を——」


 突然、鋭い痛みが脇腹に走った。


 床に倒された四辻は、視界の端に、血に染まった刃物が転がるのを見た。

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