天井が落ちた大野家の寝室。それを窓から見てしまったのか、男が一人腰を抜かして倒れていた。


「大丈夫ですか? 中島さん」


 四辻が横にしゃがみこむと、中島は座りこんだまま部屋と四辻を見比べた。


「……無事だったのか。大きな物音がした、と近所から通報があってな、俺はてっきり……」


「お騒がせしました」


「ああ、まったくだ。無事でよかったよ」


 中島は安堵の溜息を吐きながら立ち上がり、視線を再び部屋の中に向けた。


「お前達が来てから、村で暴れている霊とやらが、随分と凶暴になったような気がする。

 手遅れになる前に、出て行った方がいいんじゃないか? 殺された仲間の仇を討ちたい気持ちも分かるが、やられちまったんじゃ、死んだ奴も浮かばれないだろ……」


「これは霊の仕業だけじゃありませんよ。何者かが結界に穴を開け、僕達を閉じ込めて殺そうとしたんです」


 四辻は札を取り出すと、中島に見せた。


「この家に貼った札は、結界を作り、怪異の侵入を拒むものです。もし結界の中に怪異がいれば、その力を弱めることもできます。しかし、結界は……人間の手で壊されました」


「結界ねぇ……。そんな魔法みたいなことができるなら、何であんたが怪異を退治できないのか、ますます不思議になってきた……」


 中島が呆れた顔を向けると、四辻は溜息を吐いた。


「それができるんだったら、わざわざ捜査なんて、まどろっこしいことしてませんよ」


「切り札とやらは、霊の正体を暴かないと使えないんだったか……。逃げ続けるだけで、そんなことできるのか?」


「怪異は人間の気を食らう。そのために、怪異は人間の願望を叶えようとする。これが、怪異が事象を起こす動機です。この動機を突き詰めていけば、必ず怪異の正体に辿り着けます。今までもそうしてきました」


「……捜査の進捗を聞かせてくれるか?」


「おみとしさまがいる限り、怪異は村の外から入って来られません。おみとしさまが縄張りを荒らす怪異に気付けなかったのは、怪異がこの村に縁のある人間の霊だから、おみとしさまが霊を自分の一部だと思い込んでいたせいだと仮説を立てました」


「それで?」


「その霊は天井と結び付いていて、天井を異界に変える能力を持っていました。その能力を使い、自分を殺した人間を庇う為に、自分自身の遺体を隠そうとしたんです。


 もしかしたら、本当はそこで終わりにするつもりだったのかもしれません。でも、遺体を隠し続けるために、霊は消える訳にいかなかった。だから遺体を盗み、降らせることで恐れを集め、存在を保ったのです。


 僕は、霊の正体が、他の土地に移り住んだ村人なのかと思っていました。でも、違った……事象を起こしている霊は、この土地に住み続けていた人間でした」


「……この村の歴史は長い。霊の正体を見つける為に過去を遡るのは、大変なことだ……」


「いいえ。もっと簡単なことでした。


 村の中で誰かが殺され、殺された誰かは、殺人犯を庇っている。そして、どういう訳か、毎日警察官のお二人が、いなくなった村人がいないかを確認しても、その亡くなった誰かは見つかっていないんです。……どうしてでしょうね?」


「………俺を疑っているのか?」


 そのとき、庭を調べていた逢が声を上げた。


「四辻さん、ありました!」

「ありがとう!」


 四辻が返事し終えるのを見計らったかのように、中島が掴みかかった。


「お前には、俺が殺人犯を野放しにするような人間に見えるのか? 池田豊美子さんの件がまだだよな。豊美子さんの呪いじゃなかったのか!?」


「捜査の結果、あの家は霊の住処ではありませんでした。しかし霊にとって、あの家は事象を起こすのにちょうどよかったんです。


 霊は村人。だから『おみとしさまが、村の外から来るものを嫌う』ということを知っていた。


 わざとあの家で遺体を降らせる事で、あたかも神隠しと遺体を降らせたのが、おみとしさまの祟りだと村人に思い込ませたのです。


 さらに、4人の遺体を大野家の周りに降らせたタイミングは、加藤捜査官達がこの事象を担当することになった翌日。おみとしさまの祟りを否定できても、囲という因習に殺された池田豊美子さんを無視できなくなる。


 豊美子さんの悲劇をも利用したこの犯行のせいで、加藤捜査官達も、僕達も、まるであの家に何かがあるかのように思わされていたんです。


 あの家は、怪異が本当に隠したかったものから目を逸らさせる為の、スケープゴートにされていたんですよ」


「……」


 中島は脱力するように下を向いた。


「……誰なんだ? 無関係の大野さん達や亡くなった豊美子さんに罪をかぶせ、殺人にさえも手を染めるような悪霊になってしまったのは……」


「その悪霊に繋がる痕跡を、彼女が見つけてくれました」


「四辻さん!」


 駆け寄ってきた逢は、先程とは違い、焦っているようだった。その彼女が指さす先で、一人の青年が深々と頭を下げていた。


「……加藤捜査官」


 四辻が近づいて来る気配を感じても、加藤は頭を下げ続けていた。


 やがて、四辻が加藤の前で足を止めると、加藤は謝罪の言葉を口にした。


「連絡もせず、大変申し訳ありませんでした。でも、どうしても……太田先輩を殺した怪異の正体を、自分の目で確かめたかったんです!」


「あたし達に連絡したら、送り返されると思っていたみたいです。だから直接会いに来ようとして……。あの……もし可能なら、彼を捜査に……」


 四辻は逢を一瞥した後、加藤に頭を上げさせた。


「その前に、教えて欲しいことがある」


 四辻は窓に貼られていた太田の札を取り出して、加藤に見せた。


「太田捜査官と君は、あの家に結界を張ってから中に入ったんだよね?」


「はい。ですが、結界は怪異に破られました。異変を感じた先輩は、真っ先に俺を逃がそうとしました。そのせいで、上から降ってきた家具の下敷きに……」


「そうか……。やっぱり、結界は張られていたんだ」


「先輩は、結界が不得意だったみたいです。……でも、俺を庇ったりしなければ、怪異を追い払えていました! 俺を捜査に加えてください。先輩に鍛えられた俺が、必ず戦力になります!」


「その前に、もう一つ。これが一番大事なことだ」


 四辻は加藤から目を逸らさずに、あることを確認した。


「…………え?」


 加藤の目は見開かれ、長い沈黙のあと、彼は頷いた。


「……誰に渡して、話してしまったのか、教えてくれる?」


 加藤は話しながら、ボロボロと涙を零して泣き崩れてしまった。


 呆然とする逢に、四辻は声をかけた。


「逢さん、悪いけど彼を車へ。迎えが来るまで、彼の様子を見ているように、運転手さんに伝えて。彼がここに来たのは、僕が彼に捜査協力を要請したからだというのも、付け加えておいて」


 逢が加藤を支えながら歩いて行く。二人を見送りながら、四辻は苦々しい表情で呟いた。


「……ごめんね。でも、今の精神状態じゃ、霊の住処には連れて行ってあげられない。後悔と罪悪感が穢れを呼び込んで、命を落としてしまうかもしれない。亡くなった太田捜査官の為にも、ここで君を死なせる訳にはいかないんだ……」


 深い溜息のあと、四辻は中島に視線を戻した。


「……これから、いくつか質問をします。僕の推理が正しいか、確認をするためです。どうか、正直にお答えください」


「当然だ」


「まず、消えた遺体は、全員発見されていますか?」


「間違いなく、全員見つけた。田原と俺で、全員を家族の元に帰してやれた」


「独居していて、最近見かけない方は?」


「いない。遺体が盗まれるようになってからは必ず毎日、俺とあいつで村人全員の顔を見るようにしているからな。日によって担当する場所も変えてるし、顔を見てない村人はいないはずだ」


「このひと月の間、あなたは、本当に、村人全員の顔を見たんですか?」


 中島の表情が強張るのを、四辻は見逃さなかった。


「本当に、顔を見ていない人はいませんか?」


 中島の顔から血の気が引いていく。


「心当たり、ありますよね?」


 中島は首を振った。


「そんなはずはない。だって、あいつはそんなこと、一度も相談しなかった……」


 受け入れがたい現実に、押さえた口から否定の言葉がとめどなく溢れ出る。


 中島の様子から霊の正体を確信した四辻は、自分の口角が上がるのを感じた。

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