捜査 大詰め
住処
午後10時近く、中島は呼び鈴を鳴らした。
「中島さん? どうしたんですか、こんな時間に——」
戸を開けた人物は、中島の後ろにいる二人を見て表情が強張った。
「こんばんは、田原さん。
先日、うちの加藤捜査官が、札をあなたに渡して、そのときに結界の張り方と注意点を説明したそうですね。
『一度張った結界は、ある法則で札を破かない限り、破られる事はないから安心だ。そう言って実演して見せた』と、つい先程彼から伺いました。
結界を張ったのは、お婆様のお部屋ですか? 結界に綻びがないか、お部屋を確認しに参りました」
閉まるドア。中島を押しのけ、四辻はドアの隙間に片足を挟んだ。さらに片手でドアをこじ開けながら、玄関の中に体をねじ込んでいく。
「ひいっ」
べったりと笑顔を貼り付けた四辻に、田原は悲鳴を上げた。
「お婆様の部屋を見せてください」
「祖母はもう寝ました! お引き取りくださ——むぐっ」
四辻が田原を抑え込んだ隙に、逢が玄関から廊下の奥へ走り抜ける。
祖母の部屋の場所は、以前彼女を見舞いに訪れた中島から聞いていた。
(廊下の突き当り……あった!)
襖を開け放つ。
悪臭。
廊下から差し込む光が、部屋の中を仄かに照らす。腐った食べ物が床に散乱し、そこに沸いた虫の羽音が微かに聞こえる。掛け布団はめくれ、乱れたシーツの上に寝ているはずの人物は、見当たらない。
部屋の隅に置かれた机には、錆色の液体が流れた跡がベッダリとついていた。さらには、その下の床にも同じ色のシミが広がっている。
「……四辻さん。そのまま田原さんを押さえていてください」
——ゴトッ。
部屋の中を覗いた中島が、懐中電灯を取り落とした。
まるで電池が切れかけたおもちゃのように、ゆっくりと玄関の方を向くと、四辻に拘束されて連れてこられた田原に虚ろな目を向けた。
「田原、お前……梅さんをどうした?」
「……知らない。ここにはいない」
「知らないってお前、これは……」
「俺は悪くない」
俯く田原は、それ以上中島の質問に答えようとしなかった。
「四辻さん、机のシミからルミノール反応が出ました」
「田原さん、あれは誰の血ですか?」
田原は鼻で笑った。
「誰の血? ルミノール反応だけじゃ、人間の血かどうかまで分からないだろ」
「逢さん、他には?」
「靴を探します。
大野家の庭に、あたしと四辻さん、中島さん以外の足跡がありました。その足跡は泥濘を踏んでいるので、朝に機関の人間に付けられたものじゃありません。昼に降った雨があがった後につけられたもの……つまり、石を置いて札を剥がした犯人の足跡です。
その足跡と全く同じ足跡が、最初に調べた空き家にもありました。空き家に入ったのは4人、あたしと四辻さん、中島さんと、田原さんだけです。
あたし達を霊に殺させようとしたのは——田原さん、あなたですね?
この家を調べれば、あの足跡を付けた靴が見つかるはずです」
「田原——」
中島はふらふらとした足取りで、中島の前まで行くと、襟を掴んだ。
「田原。本当の事を言ってくれ。お前が殺しなんてするはずないだろ。ましてや、自分の婆さんを殺すなんてありえない。梅さんは、お前の育て親だろうが!
これも、悪霊の仕業なんだよな? お前は脅されて、仕方なく嘘を吐いているだけだよな? なあ……そうだろ? そうだと言ってくれ……」
「中島さん……。俺を、信じてくれるんですか?」
「田原さん!」
田原に向けられた逢の鋭い声が、中島の返答を押さえつけた。手には、スマホが握られている。
「加藤捜査官のタブレット、まだ見つかっていないんですよ。おそらく霊が持ち去って、まだ異界に残されているんです。
あれは機関が捜査官に配布している特別なもので、世界を隔てても通信できる優れものです。もしこの家の天井に霊が住み着いているなら、着信音が聞こえるはず!」
逢がスマホの通話ボタンを押すと、間を置いて着信音が聞こえ始めた。
「聞こえますか? 霊が住み着いているということは、この家には、何かが隠されているということです。天井裏を見せていただきます」
「そんなはずはない! あれは、壊して庭に埋め——」
田原は口を押えたが、遅かった。口を衝いて出た言葉に、中島は目を丸くしていた。
「ところで逢さん、僕らのタブレッドには、いつからそんな便利機能が?」
わざとらしい四辻の質問に、逢はとぼけた顔で自分のポケットを探り、激しく鳴動しているスマホを取り出した。
「あ、これ四辻さんのスマホじゃないですか~。間違えて四辻さんにかけちゃったみたいですね。
それによく考えたら、あのタブレッドには異界とこっちを繋ぐどころか、通話機能すらありませんでした」
田原は肩を震わせた。
「田原?」
喉の奥から込み上げる笑いは、遂に口から溢れ出した。
「悪霊が婆ちゃんを殺したなんて、そんな訳ないだろ」
田原は中島を睨み付けた。
「中島さん。俺はあんたも、村の人間も、大っ嫌いだった!
婆ちゃんが病気になんてならなければ、俺の人生はもっと自由だった。俺は疲れたんだよ。婆ちゃんの介護に!
食事の介助、オムツの交換、洗濯、掃除。ほとんど動けない癖に、ベッドから這い出して転ぶ……。仕事で疲れているのに、毎日毎日毎日毎日、俺は面倒を見続けた。
病気になってから婆ちゃんは、自分が囲の対象にされるんじゃないかっていう妄想に取り憑かれた。そのせいで家に引き籠るようになった。
あの馬鹿げた風習を、婆ちゃんはずっと怖がっていたんだ……。引き籠るせいで、婆ちゃんはどんどんボケていって、最後は俺の顔を見て『泥棒』と叫んだ。
俺を睨んで、ふらふらしながら歩いてきて、殴りかかろうとした。
俺の苦労が全否定された気分になった……。
でも、でも……殺す気なんか無かったんだ……」
田原は泣き崩れた。
「ついカッとなって、手を出しちまった……。倒れた婆ちゃんは、頭をそこの机の角にぶつけて、動かなくなった……。頭から血が溢れて、呼びかけても返事がなかった。死んでるって、すぐに分かった」
「そんなになるまで……どうして俺にまで黙っていたんだ。俺は……囲なんて、あんなものに加わった覚えは、一度もないぞ」
「信用できる訳ないだろ。村人はみんな、親切を装って探り合っているんだ。
あんただって、間違ってるって思っても、何も言わなかったじゃないか! 俺もあんたも、対象になるのを怖がって、豊美子さんを見殺しにしたんだから!」
「……梅さんが死んだことを黙っていたのも、囲のせいなのか?」
「……せっかく警察官になれたのに、こんなことで辞める事になるのが嫌だったんだ……。
そう思ったら、思わず体が動いてた。遺体をビニールシートに包んで、天井裏に隠した。時期が来たら遺体も証拠も処分しようって思っていたんだ。でも……」
「できなかったんですよね?」
逢は部屋の電気をつけると、再び部屋の中を眺めた。
「この部屋、事件があった日のままになっています。
証拠を処分できなかったのは、田原さんが、お婆さんを愛していたからなんじゃないでしょうか。
辛いできごとが多くても、この部屋にあるのは、お婆さんとの思い出が詰まったものばかりだから……」
「違う! 違う、違う! 何も思い出したくなかった! 隠していたかった! 全部なかったことにしたかったんだ! だから俺は婆ちゃんを天井裏に隠して、この部屋を……閉じておくことに、したんだよ……」
頭を抱えてうずくまる田原から、四辻は手を離していた。
頭上で膨れ上がる気配を警戒し、「やれやれ。本当の住処じゃこの程度か……。どうも結界は苦手だな」と、ぼやきながら、札を取り出した。
その横で、
「とにかく、まずは梅さんを天井裏から出してやろう。点検口はどこだ?」
中島は田原から天井裏への入り口を聞き出し、逢の横を通って部屋の中に入った。
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