辻 の おみとしさま

 大野家と空き家の間にある、辻の石の前に来ると、四辻は逢を見据え、


「逢さん、念のため離れていて。絶対に見ちゃ駄目だよ」


 と、釘を刺した。


 逢は頷くと、石とは反対側の土手でノートを取り出した。捜査の進捗や、破かれた札の事についてなど、書き記すことは山積みだった。


 タブレットを使わないのは、彼女にとっては効率より、読み返した時に自分自身が書き記したと納得できる方が重要だからだ。


 慣れた様子でサラサラとペンを走らせていた逢だが、ふと、視線に気付いて顔を上げる。


 何もいない。荒起こしが済んだ田んぼが広がっているだけだ。


 思わず辻に目を向けそうになり、慌てて視線を田んぼに戻す。


(集中……)


 目を閉じ、気配を辿る。


(気配は、辻の方にない。……さっきの霊が戻ってきた?)


 天井が無ければ、霊は能力を使えない。襲われる危険は少ない。


(霊の顔を見る事ができれば、正体が分かるって、四辻さんは言ってた……よし!)


 逢は覚悟を決めると、決められた法則で手を組んで窓のように覗いた。


 狐の窓——怪異を見るためのお呪い。


 覗き込んだ窓の先で、大きな目が覗き返していた。


「あ……」


 目が合えば、もう視線を逸らすことはできなかった。


 白眼に縁取られた黒目は分裂し、無数の目があるように見える。目付きも色も異なるそれらが、やがて自分を睨む個々人の目であることを認識した途端、逢の視界が真っ黒に染まった。


「眼目メめめめめめめめめめめめめめめめめめめめキャハハハハハハハハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」


 自分自身の甲高い絶叫が脳を震わし、爪が顔から喉を掻きむしるのを、逢はどこか遠いところで感じていた。


 ————————————


「気が付いた?」


 逢が目を開けると、四辻は安堵の表情を見せた。


 起き上がろうとした逢は、首に鈍い痛みを感じて指で触れた。絆創膏が貼られている。指を見れば、血が付いていた。


(あたし……自分で、血が出るほど引っ搔いたの?)


「おみとしさまが、君の精神に干渉したんだ。まさか、睨むだけで祟りを起こすなんて……機関の記録に書き加えておかないと」


「あたしが見たあれは、おみとしさまだったんですね……」


「おみとしさまが人間の精神に干渉する為には、人間に自分自身を見させることが必要と聞いていた……。

 だけど、祟る場合に限っては、ただ睨むだけで、認識くらいは簡単に書き換えることができるようだ……。ごめんね……僕の注意不足だ」


「四辻さんの所為じゃありません」


 逢は遠くで頭痛を感じながら起き上がると、四辻に向き直り、深く頭を下げた。


「ごめんなさい。捜査官退魔師として、自分の身は自分で守れるようにならないといけないのに……」


「顔を上げて」


 四辻は逢を安心させるように微笑んだ。


「無事でよかった。待たせてごめんね。おみとしさまとの話は時間がかかるんだ」


 辻に置かれた石を一瞥し、深い溜息を吐いた。


「さっき言ったとおり、おみとしさまは、たくさんの霊の集合体。縄張りを守るという執念で結び付いているけれど、言う事成す事は支離滅裂さ。捜査にきた僕達を歓迎しながら、『出てけ』って怒鳴る器用な奴だよ。


 そのせいで、なかなかこっちの質問に答えてくれなくてね」


「じゃあ、聞きたかったことは……」


「なんとか聞き出せた。答えは……『いいえ』だったよ」


『いいえ』は、霊がこの村に住み続けていた人間ということを示す。


「……容疑者が増えちゃいましたね」


 ふと違和感を感じて、逢が自分の腰の下に目を向けると、四辻の上着がレジャーシート代わりに敷かれていた。


「ごめんなさい!」

「気にしない、気にしない。どうせ埃塗れだしね。それより、空を見てごらん」


 見上げれば、満天の星が広がっている。街灯も民家も少ない村だから、僅かな星の輝きさえ明るく見える。


「星が綺麗ですね?」

「だね」


「……」

「……」


 逢はてっきり、今後の捜査についての提案があるものと思ったが、四辻は一向に話を進めようとしなかった。


「四辻さん?」


 視線を夜空から四辻に戻すと、彼は逢を観察するように見つめていた。


「この村での仕事を思い出す時はさ、あんな目玉じゃなくて、この星空のことを思い出しなよ」


 その言葉で逢は、四辻がおみとしさまを見せてしまったことに、強い罪悪感を感じているのだと気付いた。


「……平気、ですよ。だってあたし、きっとすぐ忘れちゃいますから。大事な事も、全部」


「嫌なことばかりを思い出すよりは、全部忘れていた方がいいんじゃないかな……」


「……四辻さんは、何であたしを巫女として傍においてくれるんですか? 

 自分の過去も思い出せないし、解決した事件もすぐ忘れちゃう……相棒なんて、絶対に務まらない出来損ないなのに……」


 ノートを握り絞めた逢は、泣きそうな顔をしていた。

 原因不明の記憶障害を抱えた彼女は、人生に関わるほど大切な事を忘れてしまっても、忘れた事にすら気付く事ができない。


 しかし、自分の筆跡で書かれたノートを読み返すことで、それが確かに自分の体験した出来事なのだと、理解する事ができた。


 逢の仕える祭神として、時に師匠として、長期にわたって行動を共にしてきた四辻は、彼女を慰めるように、そっと背中に触れた。


「何も思い出せないと言うけど、君は自分が思っている以上に、たくさんのことを覚えているよ。それに、とっても優秀だ。神無四辻の相棒は、逢さんにしか務まらないよ」


 しばらくして、逢が落ち着きを取り戻したことを確認すると、


「あの家について、ご婦人方から聞いたことを共有しておこう」


 そう切り出した。


 大野家の前の持ち主は、豊美子の母親、池田すゑ子だった。豊美子には精神的な問題があり、家に引き籠ることが多かった為、老いた母親が面倒を見ていた。


 しかし、一年前にすゑ子が亡くなり、豊美子は一人になった。彼女の兄、恵吾は豊美子を呼び寄せようとしたが、彼女は応じなかった。


 そして、半年後のある日、豊美子が首を吊って亡くなっていたのを、近所の人間が発見した。


「恵吾さんは、豊美子さんが亡くなってから、すぐに家を売る事を決断したようだ。よほど早く忘れたいできごとだったらしい」


「よくそこまで詳細に……。ご近所さん達、何でも知ってますね」


「豊美子さんの呪いだとか、悪意ある噂が広がっているようだけどさ……あの家には、何もなかったよ」


 捜査した結果、池田豊美子は天井下がり事象と無関係だと、四辻は結論を出した。しかし、逢はまだ、あることが引っかかっていた。


「呪いって……どうして、そんな噂が流れたんですか? 


 ボイスレコーダーに記録されていた村人の暴言は、あの家の近所に住む人達に向けられたものでした……。

 ご近所さん達が事情を知っていたのも、家の中を覗いたりしたのも、一人になった豊美子さんを心配する気持ちがあったからじゃないんですか?」


 四辻は少しだけ目を伏せ、


「さっきは、村人の手前、ああ言ったけどさ。……実は、おみとしさまが辻に目を置いている理由は、縄張りを守る為だけじゃないんだ。


 あの神は、村の中に目を向けて、人間を観察している。……村人だった頃の気質を、受け継いでいるんだよ」


 タブレッドを逢に差し出した。


「一部、閲覧許可が下りた。豊美子さんが亡くなった本当の理由は、きっとこれが関係していると思う」




 ————フィルターの一部解除に成功しました————


【みとし村事象についての報告】

(1939.6.2)

 みとし村の神:おみとしさま

 特徴:村人を見ている

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