禍害降る

 さっきまで立っていた場所に、出刃包丁が突き刺さっていた。


「え……これっ」


「玄関に走って!」


 四辻に手を引かれ、逢は走り出した。すぐ後ろでは、落下物が絶え間なく床を叩く音が聞こえる。しかし、幸いにも、天井裏を這う霊は二人の足より遅い。逃げ切れそうだ。


 四辻が玄関のドアノブを掴み、押し開ける——ガツン。


「なにっ」


 ドアが外側から塞がれている。たった2㎝の隙間では、脱出できない。


 天井裏の気配が追いつくまで幾何もない。


 四辻は逢を姫抱きすると、落下物から彼女の頭を守るようにして、近くの部屋に走った。


 ——ドンッ メキメキ

 重い何かが廊下を砕いた。


 ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ


 落下物が廊下を破壊する音のあと、四辻は急に立ち止まり、逢を下ろしつつ天井に向かってふだの束を投げた。一枚一枚の札がほどけ、繋がり、まゆのように部屋の隅を覆う。


 窓を開けると、再び逢を抱え上げて先に外へ逃がした。その間にも、家の中にいる四辻を守る繭は落下物の雨でへこみ、傷つき、破れようとしていた。


 ダンベル、包丁、テーブル、ソファ、この家に残されていた大野一家の財産が、天井から降り注いで繭を壊そうとしている。


 窓枠を掴む四辻の上で、天井がミシミシ音を立てた。


「四辻さん!」

「離れて、逢さん!」


 外に転がり出ると同時に、天井そのものが落ちて部屋は押しつぶされた。


 素早く体を起こし、部屋の中に懐中電灯を向ける——木片と埃の中に影が見えた。それは屋根裏から下がり、ゆらゆらと揺れ、闇の中に溶けていった。


「気配が消えた。……そう簡単に、顔を見せてはくれないか……」


「四辻さん! 肩が」


 四辻の肩にはペンが刺さっていた。作業着に血が滲んでいる。


「ごめんなさい四辻さん。あたしを庇ったせいで……」


「大丈夫、大丈夫。作業着が頑丈だったおかげで、傷は浅いよ。ヘルメットも役に立った。装備は大袈裟に越したことはないね」


 逢の手当てを受けると、四辻は玄関の方へ歩いて行った。


 玄関の前にいくつも置かれた物をみて、逢は絶句する。


「ドアを塞いだのは、この石だ」

「これも、あの霊の仕業ですか?」


「いや」


 四辻は庭に回り込むと、窓に懐中電灯を向けた。


「窓に貼った札が破り捨てられている。そのせいで結界に穴が開いて、霊に入り込まれたんだ。しかしこの札は、あの霊には剥がせなかったはず……」


 浮かび上がった可能性にうすら寒いものを感じ、逢は後退った。何かに躓き、バランスを崩しかけたのを四辻に助けられる。


「すみません。何かがここに——あ」

 懐中電灯を向けた地面には、複数の大きな石が並べられていた。

「この石、玄関に置かれていたのと同じ……」


 さらによく見れば、地面が不自然に陥没している場所があることに気付いた。


「四辻さん、これって……」


「おそらく結界を破りに来た犯人は、この石を見て、これで玄関を塞ぐことを思いついたんだ」


「そんな……どうして……」


「当然、霊に僕達を殺させるためだよ。この石を置いた何者かは、霊の正体が暴かれる事を恐れて、僕達を消そうとしたんだ。


 しかし、不思議だな……何で犯人は、結界の壊し方を知っていたんだろう」


「でも、札が貼られていたら、剥がしたくなりませんか?」


「……いたずらで札が剥がされることは、多々あったよ。だから機関の退魔師達は総力を挙げて、ただ剥がすだけじゃ壊れない結界を編み出した。結界を壊すには、札を剥がした後、決められた手順で札を破かないといけないんだ」


 逢は改めて窓を見た。窓には、まだ幾重にも札が貼られている。


「こんなにいっぱい貼られているのに、たった1枚破き捨てられただけで、壊れちゃうんですね……」


 彼女の何気ない一言に、四辻は膝から崩れ落ちた。


「僕にだって、不得意なことは、ある……」


「よ、四辻さん?」


「結界は苦手なんだ……。『でも、今の四辻さんは攻撃すらできないですよね?』って追い打ちはナシにしてほしい」


「思ってません! 思ってませんよ!」


「僕は守るより攻める方が得意なんだ。確か、太田捜査官もそうだったと思うな~。


 それに、結界は怪異に破られたんじゃなくて、人間によって壊された。それまではちゃんと機能していた。つまり僕の結界は、しょぼく、ない!」


「……ごめんなさい。気にしてたんですね……」


「…………ノートには書かないでね」


 ノートを取り出そうとした逢は、その手を下に下ろした。四辻が結界を張るのが苦手と知っていれば、今後何かサポートできるかもしれないという親切心からくる行動だったが、四辻本人に懇願されたので、やめた。


「えっと……お、太田捜査官も守りが苦手なら、この家に入る前に、札を四辻さんみたいに沢山貼っていたかもしれませんね」


「落下物を警戒していれば、貼っていたかもしれないけど……。霊が攻撃してきたのは、あの時が初めてだったから、もしかしたら、貼っていなかったかも——」


 四辻は言葉を区切り、窓を注視した。


 逢は首を傾げた。行動を見守れば、四辻は窓に貼られた自分の札を剥がし、その下に隠されていた物を露わにした。


「太田捜査官の札だ……。今朝、この窓を担当した退魔師は、横着して彼の札の上から僕の札を貼ったのか……」


「じゃあ、太田捜査官はこの家を調べる前に、結界を張っていたんですね!」


 何かに気が付いたのか、四辻は険しい顔をして頭を押さえた。


「……逢さん、病院に連絡して、加藤捜査官が目を覚ましたか聞いてくれるかな?」


 数回のコールのあと、病院の交換台を通し、加藤が入院している病棟に繋がった。


「お世話になっております。加藤かとう滋郎じろうの同僚の日暮逢です。加藤は、目を覚ましましたでしょうか?」


「少しお待ちください。今、担当看護師に……——え!?」


 急に電話が聞こえづらくなった。後ろの音が、やけに騒がしい。誰かが叫んでいるような音が聞こえたあと、保留音に切り替わった。


 電話機による長いクラシック演奏の後、別の女性の声が聞こえた。


「お電話かわりました。師長の村田です。実は……」


 加藤捜査官が、病院から姿を消した。

 出入り口にある防犯カメラにも、それらしい男性は映っていなかったらしい。


「彼も捜査官だからねぇ。カメラを警戒して、変装して病院から脱走したんだろう」


「起きたなら、どうして連絡をくれないんでしょうか」


「……相棒を殺され、捜査からも外された若い捜査官が考えることは、何となく予想できる気がするよ」


 四辻は溜息を吐いた。


「彼はここに来るはずだ。でも、ただ待っていてもしょうがない。先におみとしさまに話を聞きに行こう」


「『事故現場から遺体を盗んだのは、昔この村に住んでいて、外に出ていった人間でしたか』って聞くんですね?」


「うん。おみとしさまの答えが、


『はい』なら、霊は他の土地に移住して暮らしていた元村人。


『いいえ』なら、霊はこの村に住み続けていた人間になる」

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