新しい仮説

「おかえりなさい。異界の入口と遺体を見つけたんですか?」


「いや、どちらも見つからなかった。でも、だからこそ分かったことがある」


 子供部屋に戻ってきた四辻は、埃まみれのマスクとゴーグルを外し、天井を眺めた。


「天井下がり——妖怪の名を借りたこの事象。案外、的を射ているかもしれない。


 大昔、天井は異界視されていた。現在でも、天井裏というものは、普段見通す事のできない身近な異界だ。妖怪がぶら下がる天井は、天井の姿を借りた異界なんだよ」


「それが、霊が遺体を盗んだり降らせたりする犯行手段に、どう関係してくるんです?」


「霊は、この家に二度も遺体を降らせたはずなのに、僕が今通ってきた天井裏は埃塗れで、誰かが通った形跡はなかった。霊はともかく、遺体が通れば、埃が引きずられたりして、跡が残るはずなのに。


 そこに、天井からぶら下がる遺体が『天井から生えているように見えた』という目撃情報を組み合わせると、おそらくこの霊は——天井を異界に変える能力——を持っている」


「霊が天井から、遺体や物を降らせたりできたのは、天井をすり抜ける能力を持っていたからじゃなかったんですね……」


「そのようだ。あの霊は、遺体を落とす時はわざとぶら下げて、人間が目撃したことを確認してから遺体を落としていたんだよ。そうした方が、確実に恐怖心を煽れるからね」


「遺体を揺らしていたのは、揺らして見せ付けていたからなのかもしれませんね……」


 逢はノートに記入しようとして、あることに気が付いた。


「事故現場や走行中の車から遺体を盗んだ方法は?」


「同じ方法だよ。車にだって、天井はある」


「あ。天井に発生するから、遺体を運んでいるところを人に見られなかったんですね」


「いや、それは違うよ。怪異は天井を異界に変える力を持っているけど、天井がある場所に自然発生している訳じゃない。この家に入って来ようとしたのを見たよね? 怪異は外から忍び込んで、遺体を盗んでいるんだよ」


「霊が遺体を持って道を歩いているなら、遺体が動いているのを目撃した情報があっても、いいような気がするんですけど……。


 霊に遺体を消す能力があれば、隠したい遺体を異界に置いておく必要ないですもんね。どういうことなんでしょう……」


「天井が移動したんだよ」


 逢は天井を見つめ、首を捻った。


 ふと、遠くで車のエンジンの音が聞こえた。


 何かを思いついたらしく、逢は少し自信ありげな視線を四辻に向けた。


「もしかして、霊は遺体を移動させるのに、車の天井を利用しているんじゃないでしょうか?」


「いいね。聞かせてくれるかな?」


「村人達の主な移動手段は、車です。辻で正面衝突を起こした車から遺体を盗めたのは、霊があらかじめ事故を起こした車の天井に隠れていたからだと思います。


 霊は遺体を事故車の天井に隠した後、隙を見て、事故処理にやってきた車の天井に遺体ごと移動した。そこからさらに村人の車に乗り移り、住処に戻った。


 もしかすると、正面衝突の事故も、霊の仕業だったのかもしれません。霊には、人間を恐怖させたいって動機がありますから。


 霊は落下物を降らせて、運転手を驚かした。そのせいで、驚いた運転手は操作を誤って、対向車にぶつかってしまったんじゃないでしょうか」


「付け加えれば、驚いた運転手はハンドル操作を誤ると同時に、ブレーキとアクセルも踏み間違えていたんだろう。人が3人も亡くなるような、大事故だったからね……。


 あとは……天井から現れた霊が、車を操作してぶつけた可能性もあるね」


「うっ。そっちの方が正解っぽい……」


 ノートを記入し終えた逢は、視線を上にあげた。


「それにしても、ここに遺体も異界もないとすると、豊美子さんは、いったいどこに隠しているんでしょう」


 通知音が聞こえ、四辻は鞄からタブレッドを取り出した。しばらく画面をスライドさせた後、報告書が表示された画面を逢に見せた。


「池田一家についての報告書が届いたよ。


 ……豊美子さんは、容疑者から外れた。

 彼女に、親しい友人や恋人はいなかった。恵吾さんが事件に関わった様子もない」


「振り出しに戻っちゃいましたね……」


「いや、そうでもない。

 が、何の理由もなく怪異を見逃すはずがない。霊は、この村と縁がある人間で間違いないはずだ」


「豊美子さんの前に亡くなった人……と、いっても、おみとしさまの一部になった霊が犯人なら、容疑者を絞り込むのは困難ですね。何十人……いえ、何百人いるんでしょう?」


「霊は、自分の顔を見られることを恐れている。


 もしこれが、自分の顔を村人や捜査官に見られることを避ける為だったとすれば、顔を見られたら正体がバレてしまうことを、霊は理解している。


 過去を遡る前に、もう一つ、思いついた仮説を検証してみたい」


「聞かせてください」


「霊は、だった、というのはどうだろう。


 霊は、この村に住む誰かを、自分の命よりも大切だと思っていた。事故なのか、故意なのかは、わからない。でも、その大切な誰かに、殺されてしまった。


 だから霊は、自分を殺した相手を庇う為に、自分自身の遺体を隠した。


 顔を見られたくないのは、霊が自分自身の死を隠そうとしているから」


「確かに、それなら村人がいなくなっていないことも、説明できますね」


「きっと、その人が村に戻ってきた時、おみとしさまは、よく観察したはずさ。そしてそれが、帰ってきた元村人だと気付いた」


「なるほど……。後でその人が村の中で霊になっても、元村人だと気付いていたおみとしさまは、霊が新しく加わった自分の体の一部だと思い込んでしまって、自分の縄張りを荒らす怪異だということに気付けなかった、ということですね」


「でも、もしその人を見ていたら、おみとしさまは覚えているはずさ」


「……おみとしさまに、聞く質問が決まりましたね。『はい』か『いいえ』しか答えてくれないけど」


「でも、縄張りを荒らす事を、おみとしさまは許さない。必ず正しい答えをくれるはずさ。事故現場から遺体を盗んだのが——」


 突然、四辻は不自然に言葉を切り、天井に視線を向けた。目を上に向けたまま、何かを探るように部屋の出口へと歩みを進める。


「何かがおかしい」


「何かあったんですか?」


 四辻の方へ歩き出した逢の後ろで、小さな物音がした。


 振り返ると、出刃包丁が畳に突き刺さっていた。

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