みとし村を見ている

 異界が消え、天井裏から田原梅の遺体が降ろされた。


 冷たい祖母の体を、田原稲男は強く抱きしめた。たった一度の過ちで、永遠に奪い去ってしまった祖母の温もりを、追い求めるように……。


 その姿を見た逢は、稲男が自分達を殺そうとしたのは、保身の為じゃなくて、機関から悪霊になった祖母を守ろうとしたからだったんじゃないか、と思った。


 サイレンの音が近付く中、一瞬——生きていた頃の姿を取り戻した梅が、稲男を抱きしめている光景を見た。

 瞬きをすると消えていたその光景を、逢は、稲男の祈りが通じたのだと考えることにした。


 悪霊となった田原梅は祓われ、犯した罪の報いを受けた。

 だから彼女は、もうこの村に縛られず、田原稲男が罪を償う時も、その先も、ここではない別の世界で安らかに見守ってくれるはずだ。


 警察車両が到着すると、中島は稲男に寄り添うようにして玄関へ向かった。


 四辻と逢は責任者に報告を済ませると、村へ来るときに乗っていた車に乗り込んだ。


 二人が乗ったことを確認すると、

「おつかれさまでした。あとで加藤君にも、事の顛末を説明してあげてください……」

 運転手はそう言いながら、エンジンをかけた。


 四辻が電話で本部に報告をしている間、逢は隣でノートに書き記していた——みとし村で起きた事象について、仲間の命を奪った悲しい怪異と、その結末を。


 忘れないように、思い出せるように。


 ふと、手を止めて耳を澄ませる。


「笑い声?」

「おみとしさまだよ。今、辻を一つ通り過ぎたから」


 いつの間にか報告を終えていた四辻が、呆れた顔を窓の外に向けていた。


「事件の全貌を知ったおみとしさまは、しばらく話題に困らないだろうね」


「……どうして人の不幸を、こんなに笑えるんでしょう」


「さあね。……でも、確かな事が一つある。あの村は、変わらなくちゃいけない」


 逢は、何となく四辻の言いたい事が分かった。


 おみとしさまの正体は、村人達の魂。

 よそ者を嫌うのも、仲間外れを作りたがるのも、あの村の人間の習性だ。


 おみとしさまが村人を見ているのも、囲を行ってきた村人の習性を引き継いだから。


 囲が廃止されたはずの今も、村人達は囲に縛られている。仲間外れを攻撃するのが、結束を高める行為だと信じている。憂さ晴らしの為に、どれだけ追い詰めても良いと思い込んでいる。


 間違いに気付いても、次の標的にされるのが怖くて、言い出せずにいる。


 豊美子さんや、梅さんを追い詰めたのは、みとし村の因習だ。


 あの村は、変らなければならない。


 もしそれができないなら……きっといつか、あの村は……。


「5年以内ってところかな」


 ポツリと四辻が呟いた。


「今まで機関がおみとしさまを見逃していたのは、おみとしさまが、あの霊が溜まりやすい土地を縄張りにすることで、社会を脅かすような怪異があの土地から生まれるのを防げると考えていたからだ。


 でも、いくつか懸念事項があって、機関は、みとし村を調査し続けていた。その一つが穢れの量。梅さんが悪霊になる前から、あの村は、尋常じゃない量の穢れに覆われていた。


 そして、今回の件で、おみとしさまの弱点が明らかになった。おみとしさまは、村人の霊を自分の一部と認識してしまうため、村から悪霊が出ても見逃してしまう」


「おみとしさまは、悪霊になった梅さんに気付きませんでしたもんね……」



「え?」


「天井下がり事象に関わっていなかっただけで、ずっと見ていたんだよ。


 ……さっきの電話で、【みとし村事象についての報告】の閲覧許可に制限がなくなったと聞いた。

 これで君に隠されていたものが、全部見せられるようになった——外を見ていて」


 車は、もうすぐ村の境に差し掛かる。窓の外には、木々に覆われた暗闇が広がっている。


 四辻が逢の肩に触れた。


「え……」


 木々の間に人影が見えた。それも一人や二人じゃない。子供や大人、老人、赤ん坊を抱えた女性、あばら骨が浮き出るほどやせ細った男。たくさんの人達が、逢達の乗る車を視線で追っている。


 村の境界を過ぎた途端に人影は途絶えた。


 おそるおそるリアウィンドウに目を向ければ、さっき通った道の上に、人影が見える。林の中からぞろぞろと、何十人もの人間が、村を去る車を睨んでいた。


 その中には、捜査資料を通して顔を知った人物——池田豊美子——の姿があった。


「囲に殺された人間が、みとし村と自分を殺した人間達おみとしさまを恨んでいないなんて、そんな都合のいい話はないよ。彼らはおみとしさまの一部になりすまして、時が来るのを待っているんだ」


「じゃあ、まさか……今の人達は……」


「みとし村の因習——囲——が生んだ悪霊だよ。


 あの村に住む人間がいなくなって、信仰という糧を失ったおみとしさまの力が弱まるのが先か、悪霊になった人達の力が、おみとしさまの力を上回るのが先か。


 そのどちらかが起こる前に、機関は手を打つ——全部食えと言われたら、僕はありがたく頂戴するよ」


(そっか……。四辻さんは、怪異なら何でも、好き嫌いなく食べちゃうから……)


【みとし村事象についての報告】に、『おみとしさまへの信仰が途絶える前に、神虫しんちゅうを招く』という記載があったのは、機関が——悪霊が村を滅ぼして社会に放たれる前に、神虫に食べさせること——を計画しているからだった。

 さらに、その時がきたら、機関は残り少ない村の住人達を、二度と囲が行われないようにバラバラに移住させ、みとし村を消し去るつもりでいる。


「そしたら、おみとしさまは……?」


「廃村になった村に、村の神はいらないよね」


 舌なめずりをする四辻に、逢は苦笑した。


 神虫は悪鬼を食らう為、善神として祀られている。だけど、神無四辻にとっては、悪鬼も悪霊も、おみとしさまも、同じ——食料——のようだ。


「四辻さんには、悪霊達やおみとしさまが、どんな御馳走ごちそうに見えているんです?」


「悪霊はともかく、おみとしさまって、舐めたら美味しそうじゃない?」


「グロイ目玉を飴玉みたいに言わないでくださいっ」


「ははは! 新しい神があの土地に招かれるまで、僕は食事に困らないだろうし、楽しみだな~」


 四辻からノートに目を戻した逢は、ふと、思い付いた事を口にした。


「大野さん達は、どうなるんですか?」


「大野さん一家は、捜査に協力してくれたからね~。機関も悪いようにはしないさ。事象を口外しない代わりに、新しい生活を始めるのに十分な援助を受けられるだろう」


「もしかして、その為に大野さんに、引き続き捜査協力を要請したんですか?」


「いやいや。まさか、そんな」

 四辻は笑って誤魔化した。


「……四辻さんって、実は何者なんですか? 人間を気遣ってくれたり、退魔師を名乗ったり……ただの怪異じゃないですよね」


「何者って、僕は僕だよ。


 僕は、悪鬼が目に見えるところにいなくなったから、辻に出る辻神を食べていた。それも出なくなったから、こうして怪異を探しに出向いてやることにした。


 僕は、ただのしがない仮称・辻神の、神無四辻だよ」


「……じゃあ、どうして四辻さんは、機関に入ったんですか?」


 何かが引っ掛かる。そう思うのは、ほんの一瞬、四辻が目を虚空に滑らせ、考える素振りを見せたからだ。


「機関の中でも、四辻さんの正体を知る人はごく僅かです。しかも、四辻さんを神様として祀るのは、あたしだけじゃないですか……。


 どうしてあたしを、巫女として傍においてくれるんですか?」


 自分の過去を、四辻は知っている。でも彼は、それを教えてくれない。

 彼の態度の理由を、自分は知っている。そのはずなのに、何も分からない。思い出せない。覚えていない。


 逢はノートをペラペラ捲り始めた。しかし当然、その中に答えは無い。このノートは、捜査内容をまとめる為に、今回新しく作ったものだった。


(このノート、何冊目だっけ?)


 地に足を着けたいのに、その地面がない。記憶がない彼女にとって、それはいつもの事。正気を保っていられるのは、四辻が導いてくれるからだった。だけど……。


「あたし達って……いつからコンビを組んでるんでしたっけ?」


 四辻は優しく微笑んだ。答えるつもりはないらしい。


 逢は拗ねたようにノートを閉じた。




【終わり】



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 最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。


 四辻と逢の関係についてなど、謎が残りましたが、続編が書けたら徐々に明らかにしていきたいと思います。


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旧【天井下がり事象】についての捜査記録 木の傘 @nihatiroku

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