第12章 イタリア戦争

1494年が明けた。

イザベラは、エレオノーラの洗礼が済むと、すぐロレトへの巡礼の支度にかかった。子供が授かります様に、と聖母マリアに願を掛けていたので、そのお礼のための巡礼の旅である。捧げものとして、有名なマントヴァの細工師バルトロメオ・メリオロに依頼しておいた黄金細工も立派に完成した。

3月10日いよいよ出発の日が来た。

「船着き場まで見送るよ。」

フランチェスコが言った。

「有難うございます。 でも、その前にちょっとごめんなさい。」

イザベラはエレオノーラの部屋へ行った。ゆりかごの中のエレオノーラは上機嫌で、もみじの様な手をかざしていた。イザベラは、エレオノーラを抱き上げると頬ずりしてそっと抱きしめた。そして柔らかなほっぺに何度もキスをすると、そっとまたゆりかごに下した。

フランチェスコは、その間中そばに立って、何とも言えない顔で見とれていた。

「それじゃあ、参りましょう。」

イザベラの目はうるんでいた。イザベラは、扉の所でもう一度エレオノーラを振り返ると、出て行った。

「もうすぐ白のダマスク織の服が届きますから、着せてあげて下さいね。似合うかどうか、お手紙で知らせて下さい。」

イザベラは船着き場までの道々フランチェスコにエレオノーラのことをいろいろ頼み続けた。フランチェスコは微笑みながら、うん、うん、とばかり言っていた。

「それでは殿、行って参ります。」

「気をつけてね。」

イザベラは捧げものの黄金細工が入った箱を大事そうに抱えながら船に乗った。川面は春の光を柔らかく反射していた。フランチェスコは手を振った。イザベラもいつまでも手を振り続けた。


ロレトまでの道は遠く、イザベラは道中ラヴェンナ、ペーザロ、アンコーナに立ち寄る予定だった。

イザベラはラヴェンナに到着すると、沢山の古い教会に参詣し、その見事なモザイクに目を見張った。

その夜、イザベラはフランチェスコに手紙を書いた。

「ロレトへの巡礼を終えたら、復活祭はグッビオで過ごします。そして、グッビオ滞在中にアッシジとペルージアにも参ります。これらの高貴な町を心ゆくまで見たいです。

アッシジでミサに参列し晩餐を致しましたら、その日のうちにグッビオに戻ることは無理でございますから、アッシジで一泊、ペルージアでも一泊致します。

アッシジからペルージアまでは美しい谷間を通ってほんの10マイル、そしてペルージアからグッビオまではさらに12マイルの道のりと聞いて居ります。」

朝になるとイザベラはラヴェンナを発ち、ペーザロとアンコーナを経由してロレトへと向かった。

ロレトには、聖週間の水曜日に到着した。

そして、翌日の聖木曜日、イザベラは告解の後に聖餐を受けた。

こうしてロレトでの巡礼を済ませると、イザベラはフランチェスコへの手紙に書いた通り、グッビオに向かった。


「まあ。」

「貴女がいらっしゃるのを、ここでお待ちしていましたの。」

なんと、グッビオに着くと、エリザベッタ夫妻が待っているのだ。

「どうして今日ここに参りますことがお分かりになりましたの?」

「お兄様が知らせて下さったんです。」

「それにしても、こんなところでお会いできるなんて・・・」

イザベラはエリザベッタたちと尽きせぬ話に花を咲かせた。

エリザベッタはあれからずっと今年(1494年)の1月までマントヴァにいてくれたのである。そして、クリスマスにマントヴァにやって来た夫(ウルビーノ公爵グイドバルド)と一緒に1月20日ウルビーノに帰って行ったのであった。


イザベラは、グッビオに落ち着くとすぐアッシジを訪れた。

イザベラは、神殿のジョットーの壁画に強く心を動かされ、その後聖フランチェスコのお墓に詣でて誓言を立てた。

イザベラはその足でカメリノの従弟たちを訪問した。初めて会う彼らは手厚くイザベラを迎えてくれ、別れる時はお互いに泣いて名残を惜しみ合った。


グッビオに戻るとイザベラは、勧められるままに10日間ここでエリザベッタ夫妻と過ごすことにした。エリザベッタ夫妻に案内されながらイザベラは、グッビオの風光の美しさと宮殿の見事さに賛嘆した。この宮殿は、エリザベッタの夫グイドバルドの母バチスタ・スフォルツァが愛した住まいで、グイドバルドが誕生したのも、そしてバチスタが亡くなったのもここであった。

3月30日イザベラはフランチェスコに手紙を書いた。

「この宮殿は、壮麗な建築であります上に、見事な調度品で飾られ、風光の美しさは比類がございません。この宮殿は、町と平野を見下ろす高みに建てられ、素敵なお庭の中程には泉が湧き出て居ります。」


ところが、グッビオでの滞在を終えエリザベッタ夫妻にウルビーノに伴われたイザベラは、宮殿を前に目を見張った。

「このウルビーノの宮殿は、想像を絶する素晴らしさです。風光の美しさは申すまでもなく、宮殿中は無数のつづれ織りや銀の壁飾りでうずめ尽くされています。そして、一つ一つのお部屋にはそれぞれ異なった趣の壁掛けがあつらえられ、決して違うお部屋に移動させたりなさいません。

ウルビーノ公爵夫妻は、私がグッビオに着きましてから、日毎に贅沢にもてなして下さいます。花嫁様でもこんなに歓迎していただけないのではないかと思うほどの御心遣いでございます。

私は何度も、私のためにこんなにお金をお使いにならないで下さいとお願い致しました。もっと家族的に気楽に待遇して下さい、と。でも、ちっともお聞きいただけませんでした。これは寛大なる公爵様のお考えだそうです。公爵様は現在、素晴らしい宮廷を司られ、ウルビーノには文化が開花して居ります。そして、公爵様は知恵と愛をもって国を治められ、人々は大変満足しています。」

一方フランチェスコはエレオノーラの育児日記を毎日書いて送ってくれた。

「昨日、エレオノーラの部屋へ行ってみたら、元気いっぱいで、生き生きしていて、僕まで嬉しくなってきた。君が言う様に白のダマスク織の服を着せてやったら、とっても可愛くて、よく似合って、エレオノーラもすっかり気に入った様だった。

今朝またエレオノーラの部屋に行ったんだが、眠っていたから起こさなかった。」

イザベラは夜、独り燭台のもとでフランチェスコの手紙を読んだ。そして、微笑みながら目をうるませた。


4月25日イザベラはウルビーノ公爵夫妻に別れを告げて北へと旅立った。

ところが、エリザベッタは悲しみのあまり、24時間以内に次の様な手紙を書いて送って来た。

「貴女の姿が見えなくなった時、私は、愛する妹を失った様な悲哀にとどまらず、自分自身の命までが身から飛び去って行ってしまった様に感じました。

私はもはやお手紙でこの胸の内をことごとくお伝えする以外に悲しみを癒すことは出来ません。でも、もし私の悲しみを全て表すことが出来ましたら、貴女はきっと私を憐れに思って今すぐ戻って来て下さるに違いありません。

そして、もし貴女を煩わせることを恐れないなら私はどこまでも貴女について行ったでしょう。でも、それは到底叶わぬことです。あまりにも貴女を大事に思うから。

ただ、どうか時々私のことを思い出して下さい。そして、私の心にはいつも貴女がいることを忘れないで下さい。」

イザベラは、心を込めてエリザベッタに手紙をしたためた。


イザベラはさらに旅を続け、ロマーニャ地方を通ってボローニャに到着した。

「お妃様、お妃様、ああ、間に合った。」

或る朝、マントヴァの執事が単身、馬で駈けつけた。

「もうボローニャをお発ちになったかと思いました。」

執事はそう言ったきり、喘ぐ様に肩で息をした。

「大丈夫ですか?  何事です?」

「これです。殿様からのお手紙です。」

いきなり執事は封筒を取り出すと、イザベラに渡した。

「親展・・・」

イザベラは不吉な胸騒ぎを覚えた。

部屋へ行って急いで封を切ると、それは長い手紙だった。

イザベラは食い入る様に読み始めた。

それには次の様に書かれていた。

ドビニュイというフランス人が、3人のフランスの大使および85騎の騎兵とともに4月23日マントヴァに到着。

ナポリへ出兵するためフランス王の軍隊の領内通過を許可して欲しい、と求めてきたのである。

そればかりか、フランス王シャルル八世の陣営に入る様、極秘にフランチェスコに要請してきたのであった。 もしもフランス王にくみすれば、大将および式部長官の位を進呈する、と。

しかしフランチェスコは、既にヴェネツィアの長老と契約しているのでこの申し出は断るつもりだ、と書いていた。

読み終わってイザベラはいつまでも身動きしなかった。

このイタリアに・・・ルネッサンスの花が咲き誇るイタリアに、今、運命の転機が迫りつつある。  イザベラはそんな思いを振り払うことが出来なかった。


イザベラは取るものも取りあえず、その日の夕方ボローニャを発ち、マントヴァへ帰った。

時は1494年。  15世紀は今終わろうとしていた。


「あっ、殿。」

廊下の向こうにフランチェスコの姿を見つけると、イザベラは駈け出した。フランチェスコもイザベラに気づくと駈け寄って来た。

「緊急のお話って?」

「そのことで君を探していたんだ。」

フランチェスコは自分の部屋へ入った。イザベラも続いて入った。

「悪いけど、ちょっとみんな席を外してくれない?」

侍女や執事たちは出て行き、部屋の中は二人だけになった。

窓の外の蝉しぐれがやるせなく部屋を包んだ。

「フランス王シャルル八世の軍隊がイタリアに侵入した。」

「えっ」

イザベラは息が止まりそうになった。イザベラは、体中の震えを抑えることが出来なかった。

「シャルル八世は3万の大軍を率いてアルプスを越え、ミラノのアスティに入場した。」

「アスティに・・・」

「この度のイタリア侵攻には、ロドヴィコ殿が手を貸しているらしい。」

イザベラは驚きのあまり声が出なかった。

「フランス王と結ぶことで権力の拡大を狙っているんだ。」

二人の間に沈黙が流れた。聞こえるものはただ、気の遠くなる様な蝉しぐれだけだった。

「殿、私たちの取るべき道は?」

イザベラは静かに口を開いた。

「そのことで君と相談したかったんだ。実は今しがた、フェラーラの父上から手紙が届いた。アスティでフランス王と会見されるため今日の夕刻フェラーラを発たれるそうだ。」

「それでは父はシャルル八世陛下を支持すると?」

「そのおつもりらしい。」

イザベラは一点を凝視した。

「殿は如何お考えでございますか?」

「わからない。まだ何とも言えない。しかし、当面はフランス王を支持する以外に道は無いのではないかと思う。」

イザベラは黙ってうなづいた。


シャルル八世はアスティでロドヴィコおよびエルコレ一世と会見した。

そして、ロドヴィコから、フランス軍がナポリを攻撃する際は妨害せず中立を守るとの申し出を受けた。


こうしてシャルル八世の軍隊は易々とイタリア半島を南下し、ナポリを目ざした。


「ただ今ミラノから早馬が着きました。」

書類を見ながら話をしていたフランチェスコとイザベラは驚いて立ち上がった。

廊下の向こうでものものしい音がしたと思うと、使者は両肩を二人の執事に抱えられて喘ぎながら担ぎ込まれた。

使者は全身で息をしながら、途切れ途切れに言った。

「駐ミラノ大使ドナト・デ・プレディ閣下からの御伝言を申し上げます。

昨日、ミラノ公爵ジャン・ガレアッツォ様がお亡くなりになりました。」

イザベラは息を飲んだ。政務室にざわめきが走った。使者は続けた。

「新公爵としては、叔父のロドヴィコ・スフォルツァ閣下が選ばれ、正式に発表されました。」

政務室の中はどよめきに変わった。


ストゥディオーロに戻るとイザベラは、夭折したミラノ公爵ジャン・ガレアッツォのために涙を流した。ジャン・ガレアッツォは病弱で、叔父ロドヴィコ・スフォルツァが全権を掌握し、ミラノの宮廷画家レオナルド・ダヴィンチも

「時と時のはざまに見捨てられしジャン・ガレアッツォ」

と詩に書いたほどの嘆きの日々を送っていた。その末の25歳での夭折。

イザベラは手を合わせ、一心に冥福を祈った。

イザベラはまた、アンナ・スフォルツァのために泣いた。アンナは弟アルフォンソの妻であり、ジャン・ガレアッツォの妹であった。あの優しくおとなしいアンナは今頃、兄の死を聞かされてどんなに嘆き悲しんでいるだろう。そう思うとイザベラは、胸が絞めつけられる様に痛んだ。

そして、ジャン・ガレアッツォの妃イザベラ・ダラゴーナの悲しみを思う時、涙で心が闇に暮れた。イザベラ・ダラゴーナはナポリのアルフォンソ二世(亡きフェラーラ公妃エレオノーラの弟)の王女で、従姉に当たった。当時、ヨーロッパの王侯は祖父母の名前を貰うのが慣例で、いとこであったイザベラ・デステもイザベラ・ダラゴーナも共通の祖母ナポリ王妃イザベラ・ディ・キアロモンテの名を貰ってイザベラと命名されたのであった。

イザベラは泣きながら、アンナ・スフォルツァとイザベラ・ダラゴーナに心を込めて手紙を書いた。


フランチェスコとロドヴィコの間には近年疎遠なものがあった。

ロドヴィコは、フランチェスコが自分の政敵であるナポリのアルフォンソ二世と極秘に文通を行なっているのではないかと疑惑の目を向けていた。

しかし、フランチェスコは、ロドヴィコのミラノ公位継承に際して丁重なお祝いの手紙を送った。 そして、ベアトリーチェがイザベラに死ぬほど会いたがっていると聞いて、ミラノに行ってくる様、勧めてくれた。


翌1495年1月、イザベラはミラノを訪れた。 

そして2月4日、ベアトリーチェに第二公子フランチェスコ・スフォルツァが誕生した。イザベラは、フランチェスコ坊やを洗礼盤に捧げる役を頼まれて、感激した。

「私も男の子が欲しいな。」

イザベラは、今までからもそう思ったことがあったが、フランチェスコ坊やを見ていると、急にそんな気持ちがこみ上げてきた。

ロドヴィコは連日連夜イザベラのために盛大な宴や野外劇を催してくれた。

また、あのニッコロ・ダ・コレッジオをはじめとするミラノの廷臣たちも数々の素晴しい催しをイザベラのために企画してくれた。

ところが、ベッドに寝ているベアトリーチェは、その様な催しのためにイザベラが枕元を立とうとすると、急に涙を浮かべて寂しがるのだった。

イザベラは、出来る限りベアトリーチェの枕元に坐ってお話し続ける様に務めた。

ベアトリーチェにマントヴァの湖の白鳥の事を話していると、急にロドヴィコが入って来た。

「お姉様、行ってしまうの?」

ベアトリーチェは目にいっぱい涙を浮かべた。

「お姉さんを困らせてはいけないぞ。」

そう言ってロドヴィコは笑いながらベアトリーチェの頭を撫でた。

「閣下、本当に有難うございます。 でも・・・」

「分かりました。分かりました。ベアトリーチェが寝てから出直しましょう。」

ベアトリーチェの顔がぱっと輝いた。ロドヴィコはもう一度ベアトリーチェの頭を撫でると、イザベラに会釈して出て行った。

ベアトリーチェはやがて眠ってしまった。

しかし、その手にはイザベラの手がしっかりと握られていた。イザベラはその寝顔を見ていると、何故か涙がとめどなく流れた。


ミラノは、宮殿も教会も寺院も、そして町中が素晴らしい建築と絵画でうずめ尽くされています、とイザベラはフランチェスコに書き送った。

イザベラの秘書カピルピは1495年1月28日フランチェスコに次の様な手紙を書いた。

「お妃様がヴェネツィア大使の御訪問をお受けになりました時の有様を、殿様にお見せ出来なかったのが残念でなりません。大使の御挨拶に対して、お妃様は優雅に堂々と、そして明晰な頭脳をいかんなく感じさせます様なお答えをなさいました。感激のあまり大使は、自分はこれより後お妃様の忠義なしもべとなります、とおっしゃいました。

この様にして、お妃様に会いにいらっしゃる方々は皆、すっかり魂を奪われてお帰りになります。

中でも最大の賛美者はミラノ公です。ミラノ公はお妃様を『我が愛する娘』とお呼びになり、いつも同じテーブルでお食事をなさいます。

お妃様は殿様のためにも、そして国のためにも、この上なく名誉を高められたと申せましょう。」

イザベラは、自分には不相応でもったいなく思えるほど皆様がよくして下さいます、とフランチェスコに書き送った。


ロドヴィコの切なる要請で、フランチェスコはイザベラに、カーニヴァルをミラノで過ごしてよい、と書いて来てくれた。しかし、次の言葉を添えるのを忘れなかった。

「君がいないものだから、マントヴァ中が不満だよ。」


2月22日、ナポリ王国は陥落した。若きナポリ王フェランテ二世が陣頭指揮で首都を留守にしている間に傭兵隊長が裏切り、門を開いてシャルル八世の軍隊を首都に入れたのであった。

フェランテ二世は一族とともにシチリアへ落ち延びた。


この報せがミラノに伝わると、イザベラは魂の凍える様な思いがした。イザベラにとってナポリは母の国であった。そして、フェランテ二世は従兄だった。華やかなカーニヴァルもイザベラの目には光を失った。

イザベラはナポリの荒廃とアラゴン王朝の悲劇に胸が引き裂かれる思いであった。


カーニヴァルは終わり、いよいよミラノを発つ時が来た。

ロドヴィコはイザベラのために沢山のお土産を用意してくれた。その中でも皆が目を見張ったのは、鳩の刺繍を施した華麗な金襴であった。


「お姉様。」

イザベラが船に乗ろうとすると、急に見送りの人の列からベアトリーチェが駈け出してきた。

「お姉様。」

ベアトリーチェはイザベラのかいなを捉えた。そして、唇を微かに震わせたが、みるみるその目には涙が溢れた。

「また、会いましょう。」

イザベラは涙ぐんでベアトリーチェの目を見て言った。

「本当に・・・本当に、また」

ベアトリーチェは悲痛な声で言った。

イザベラは静かにうなづいた。


1495年4月、対仏大同盟が結成された。

フランス軍が容易に目的を達成したのを目の辺りにして、法皇アレッサンドロ六世、ヴェネツィアの長老、そしてミラノ公ロドヴィコをはじめとするイタリア諸侯は、シャルル八世を不信の目で見る様になっていた。

そればかりでなく、シチリアの支配者を兼ねるスペインのフェルディナンド王、半島の北部に領地を持つ神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世等、外国勢力もフランスの進出に反対し、イギリスのヘンリー七世も長年の宿敵フランスに対抗する意味から、遂に対仏大同盟は全ヨーロッパ的規模に膨れ上がっていった。

そして、同盟軍の総大将にはフランチェスコ・ゴンザーガが選ばれた。


同盟の話を聞くや、シャルル八世は退路を遮断されることを恐れ、急遽北へと引き返しにかかった。

これを迎え撃つため、フランチェスコは25000の大軍を率いて出陣しようとした。

「どうか御無事で」

イザベラは消え入る様な声で言った。涙は見せなかったが、その顔は蒼白で、瞳は震えていた。

フランチェスコは黙ってうなづくと馬に乗った。

そして、二度と振り返らず城門を出た。 あとには25000の大軍が従った。

イザベラは身じろぎもせず、最後の一人が見えなくなるまで見送り続けた。


イザベラは、また政治の一切を任されることとなった。戦場にいるフランチェスコに、どんなことがあっても心配をかけてはならない、とイザベラは全身全霊で政務に当たった。

イザベラは、決して人前で涙を見せなくなった。今まで以上にもっと明るく、笑みを絶やさない様になった。そして、何か用があればいつでも会いに来てくれる様、絶えず人々に呼びかけた。

イザベラは、また、今までにも増して町の見回りに出かけた。そんな時、人々はイザベラに気づくとすぐに手を振ってくれた。口笛を吹いて振り向かせようとする子供たちもいた。イザベラは満面の笑みでそれに応えた。

時々イザベラが過労で熱を出すと、すぐ聞きつけて沢山の人々が手に手に花や果物を持ってお城にお見舞いに来てくれるので、イザベラは一日も寝ていることが出来なかった。

或る時、顧問官たちとの話し合いが長引いて夕方まで見回りに出かけなかったら、次から次へと町中の人々が心配してお城に様子を見に来てくれたので、それ以来イザベラは一日も見回りを欠かさなくなった。

それでも夜になってエレオノーラを抱きながら子守唄を歌っていると、ひとりでに涙が出ることがあった。

イザベラは星空を見上げ、この同じ星を陣営のフランチェスコも見ているのかと思った。


昇天日の前夜祭に小さな出来事が起こった。行列がダニエル・ノルサという銀行家の家の前を通りかかった時のこと、人々の目は家の外壁に描かれた一群の滑稽な絵に惹きつけられた。その絵の傍らには神に対する不敬な言葉が書かれていた。それは何者かの悪戯だったのだが、人々は一斉に叫び声を挙げ、その絵目がけて石を投げつけた。しかし、当局が即座に出動した御蔭で、大事に至らずに済んだ。

ところが、後日、この出来事を針小棒大に誇張して陣営のフランチェスコに手紙を送った人物がいたのである。

イザベラはフランチェスコに書いた。

「この様な悪質な作り話の考案者は、イタリアを守ることに邁進なさって居られます殿の御心をかき乱しても一向に平気でございます。そして、私ばかりでなく顧問官一同の名誉も全く無視して居ります。

どうか殿、御心を平らかにお持ち下さいませ。

私は人々の協力を得て、間違いが起こりません様、心がけで居ります。

そして、この国の人々にとって良いことは、可能な限りどんなことでも実践致して居ります。

もし、私が何も申しませんのに、誰かが殿に、騒動が起こったなどと申しましたら、それは虚偽と見なして下さいませ。

私は役人たちともよく話し合って居りますし、一般の人々にも『いつでも私の所へ来て下さい。』と申して居りますので、決して私の知らないうちに騒動が起こっている様なことはございません。」


3日後、フォルノヴォで最初の戦闘が行われたことがマントヴァに知らされた。

「我が敬愛する殿、今日までお便り致しませんでしたのは、何も申し上げることが無かったからでございます。でも今、私は殿が勝利を収められましたことをお聞きして、即座にお祝いのお手紙を書かせていただいて居ります。

この報せは私をこの上も無く狂喜させました。そして私は、殿がこの先もお勝ちになります様、神様にお祈り致して居ります。

本当にお手紙有難うございました。私がどんなに喜んで居りますか、筆舌には尽くし難うございます。

どうか、くれぐれも御身御大切になさって下さいませ。

私は殿が戦場に居られることを思いますと、いつも胸が張り裂けそうになります。

たとえ殿がそれをお望みになっても、私は心配のあまり死んでしまいそうです。

本当にお顔が見たくてたまりません。」

イザベラは、小さな金の十字架を同封した。

「どうか、この十字架をお首にかけて下さいませ。殿の信仰心と、この十字架に込められた祈りが、危険のさなかにあっても殿の御身をお守りするはずです。

私の心を思いやって、マントヴァ中のお坊様が殿のために日夜お祈りを捧げて下さって居られます。」

6月5日フランチェスコは陣営で短い手紙を書いた。この小さな十字架を、自分は死の瞬間まで離さない、と。

翌朝、フランチェスコはタロの戦いに出陣した。


6月7日夜、フランチェスコは、勝利に酔いしれるタロの谷間の同盟軍の陣営で、独り手紙を書いた。

「特使から聞いてくれているだろうが、昨日の戦いは大変激しいものだった。

そして、我が軍は多くの人を失った。その中に、我が叔父ロドルフォ卿と従弟のジョヴァンニ・マリア殿も含まれている。敵軍はより多くの兵士を失った。我々がどの様に戦ったかは全ての人が知るところであり、ここでは改めて触れない。ただ、これだけは言っておくが、我々は四面楚歌の窮地に陥っていた。神が我々を救って下さったとしか思えない。

この様な混乱が起こったのは、ヴェネツィアのギリシア人およびアルバニア人の傭兵たちが指示に従わなかったからだ。彼らは略奪を欲しいままにした上に、肝心の危機に瀕した折りには誰一人姿を見せなかった。

神の御蔭で我々は救われたのだ。

多くの兵卒が無為に敗走した。追われてもいないのに。

大部分の歩兵がそうだ。後に残った歩兵は僅かだった。

これらのことは、いまだかつて無かったほど私の心を暗然とさせた。

もし運悪く敵が立ち向かって来ていたなら、我々は玉砕していたはずだ。

フランスの貴族で我々の捕虜になった人もいる。

敵は今朝出発し、丘を越えてサンドミノ村とピアチェンツァに向かった。

我々は彼らの進路を見て、如何にすべきか考えるつもりだ。

もし、もっとまともな軍隊が我々の様に戦っていたなら、勝利は決定的なものとなり、フランス人は一人として逃げられなかったはずだ。

じゃあな。」

フランチェスコは重いため息をつくと、燭台の光を吹き消し、床に就いた。


その夜、フランス軍は行軍を続け、タロの谷をよぎってロンバルディア平原を退却し続けた。

空が白むと、フランチェスコは出陣した。


敵の将軍と剣が火花を散らした瞬間、不意にフランチェスコの馬がくず折れた。首を槍で刺されたのだ。あわや地面に投げ出されそうになった、そこを目がけて敵は剣を振り下ろした。とっさにフランチェスコの剣はそれを受け止め、渾身の力で跳ね返した。そしてひるまず二の太刀を浴びせかけると、敵は落馬。

フランチェスコは敵の馬の手綱を掴むと、ひらりと飛び移り一鞭当てた。

そこを目がけて第二の敵が突進して来た。フランチェスコは、はっとして身をかわし、激しく太刀を振り下ろした。敵はそれを受け止め、凄まじい一騎打ちが始まった。火花が散った。

「あっ」

フランチェスコが身をかわした瞬間、敵の刀が馬の首にぶち当たった。馬は血しぶき挙げて倒れた。しかし、フランチェスコの左手には敵の手綱が握られていた。敵は刃を振り下ろした。それを跳ね返し、フランチェスコは左腕に渾身の力をこめて敵の馬に乗り移った。敵は激しく太刀を浴びせかけたが、身をかわし、跳ね返し、フランチェスコは敵の首に腕を掛けると二人で落馬した。そこでまた死闘が繰り広げられた。刀は激しくぶつかり合い、恐ろしい音を立てて火花を散らした。しかし遂に、敵は血しぶき挙げて倒れた。

フランチェスコは肩で息をしながら、敵の馬の手綱を掴むと飛び乗った。

顔も手も服も返り血で真っ赤だった。

辺りは硝煙と土煙で地獄さながらだった。

「やられた」

馬は流れ弾に当たってくず折れた。フランチェスコは飛び降りて、太刀一つを握りしめ戦場を歩いた。

「あっ」

とっさにフランチェスコは受け止めた。馬上から敵が切りつけたのだ。敵は何度も振り下ろした。そのたびにフランチェスコは受け止めたが、徒歩と騎馬では目に見えていた。それでもフランチェスコは跳ね返し続けた。

敵は太刀を両手で持つと力任せに振り下ろした。その瞬間、フランチェスコの刀は折れた。とどめを刺さんと振り下ろされた第二の太刀をフランチェスコは手に残る半分の太刀で受け止めた。そして、敵が第三の太刀を振り下ろした瞬間、フランチェスコは目を閉じ、胸にかけた小さな十字架を鎧の上から押さえた。

フランチェスコは、はっとした。目を開けた瞬間、敵の姿は馬上に無かった。

「殿」

「アレッサンドロ」

「殿、これを」

アレッサンドロ・ダ・バエッソは自らの太刀をフランチェスコの手に握らせた。あっと思った瞬間、アレッサンドロは馬に一鞭、走り去った。


「お妃様、トロイのヘクトールの時代から今日まで、我が殿の様に戦った英雄はこの世に一人も居りません。

殿は御手ずから十人を打ち負かされました。

どうか詩編の一つもお妃様からお捧げ下さいませ。殿が生きて無傷で居られますのは、まさに奇跡そのものです。」

フランチェスコの救済に命を賭して駈けつけたアレッサンドロ・ダ・バエッソは、この様に書いた。


シャルル八世は間一髪、追手から逃れた。しかし、王を救ったバスタル・ド・ブルボンは自らが捕虜となった。

彼はマントヴァに送られた。イザベラは、礼を尽くしてバスタル・ド・ブルボンを迎えた。

敵と言えども、或いは、敵ならばなおさら、もののふには礼を払わねばならないという信念がイザベラにはあった。

そして、バスタルの顔を見た時、もう一つの思いが胸にこみ上げてきた。この方の御家族は、今頃どんなに心配し嘆き悲しんで居られるであろう、と。

イザベラは急に我が事の様に悲しみで胸がいっぱいになった。

そして、故郷を遠く離れ、囚われの身となったバスタルの心中を思うと胸が絞めつけられる様に痛んだ。イザベラは涙がこみ上げたが、急いで振り払い、笑みを浮かべた。もし涙を見せれば、この高貴な武人は傷つくに違いないと思って。

イザベラはどこまでもバスタルに礼を尽くし、心を込めてもてなした。

「お妃様は、このフランスの伯爵に何一つ不自由させなさいません。」

イザベラの秘書のカピルピは、フランチェスコにそう書いて送った。

2か月後、バスタルは帰国を許された。イザベラは、我が事の様に泣いて喜んだ。

「お妃様の御恩と、女神の様な御心は終生忘れません。」

バスタルは涙を浮かべ深く一礼すると、馬上の人となった。

イザベラはいつまでもたたずんで見送り続けた。


このイザベラの徳望は、たちまちのうちに伝え広まり、フランス人も、そしてイタリア人も感嘆した。

しかし、唯一つの例外があった。ベネツィアである。ヴェネツィア国内には以前からフランチェスコの栄光を妬む者が少なくなかった。自らが総司令官の地位を望んだ者はなおさら、そうでない者も、武勇の誉れ高く、人々から愛され、長老から格別の信任を得ているフランチェスコに激しい嫉妬を燃やす者が、貴族や政治家、軍人の中には少なくなかった。

彼らはこの度のイザベラの行いを、フランチェスコのフランス寄りの心の表れとして危険視する様、長老に讒言したのである。


フランス王の陣営から持ち帰られた戦利品には、王の刀と兜、国家の印形を入れた銀の小箱、数多の聖遺物などが含まれていた。

フランチェスコは、その殆どを礼を尽くしてシャルル八世に返した。

ただ、一揃いのつづれ織りだけは戦勝品としてマントヴァに送った。あの、戦場で折れた自らの刀と一緒に。

イザベラは、それらを押し戴く様にして受けた。

そして、フランチェスコの折れた刀は、彼の弟ジギスムントに譲った。聖職者である彼が持っている方が、刀にとっても供養になると思って。

ジギスムントはフランチェスコに手紙を書いた。

「僕にとってこの刀は、マントヴァの守護聖者ロンギヌスの槍と同じくらい尊い。

この刀がイタリアをフランス人の手から解放したのです。」


ヴェネツィアゆかりのフランチェスコの活躍に、ヴェネツィア中は狂喜乱舞し、国を挙げてのお祭り騒ぎになった。 長老は

「やっぱり、わしの目は高い。」

を連発して、喜びのあまりフランチェスコの年俸を2000ドゥカーティ増額。さらにイザベラにまで1000ドゥカーティの年金を約束した。

しかし、長老の周囲には、この栄光を嫉妬渦巻く目で見ている者が少なくなかったのである。


フランチェスコはイタリア全土で、いにしえのハンニバルやスキピオに例えられた。

詩人たちがこぞって褒め称え、フランチェスコがイタリアの解放者として全イタリア人から称賛されても、イザベラは恐怖におののく心を抑えることが出来なかった。

イザベラは、ノヴァーラでオルレアン公を包囲しているフランチェスコに手紙を書いた。

「あんなに何時も何時も危険を冒されて、いくら御手柄をお立てになっても私はちっとも嬉しくございません。どうか殿、くれぐれも御身御大切に。そしてもう、あの様な危ないことはおやめ下さい。

それから、大将は全体の形成を総括的に把握しながら絶えず指令を出さねばなりませんのに、そんなに最前線で戦っていらっしゃいまして、大丈夫なのでございますか?

殿の指揮一つに、何千何万という人々の命がかかって居りますことを思い、敢えて申し上げるのでございます。 お許し下さいませ。」

そしてイザベラは、1歳7か月のエレオノーラの名で、次の様な小さな手紙を同封した。

「大好きなお父様、強いお父様、私はゆりかごの中で寝ていても、お乳を飲んでいる時も、何時も何時もお父様の勝利を称える歌声を聞きます。

お父様はフランス軍を打ち負かし、追い払い、イタリアを怖いおじさんたちの手から解放して下さいました。

イタリア中の人々がお父様のことを褒めて下さるので、私はとっても嬉しいです。」


フランチェスコは殆ど時間が無く、8月28日にやっと短い手紙を書いた。

自分は日夜馬の背に揺られて行軍を続け、体がもっているのが不思議なくらいだ、と。

フランチェスコはまた、自分は戦ばかりでなく、同盟軍内に於けるイタリア人兵士とドイツ人兵士の絶え間ない争いに、断腸の思いを味わっている、と書いた。つい先日の小ぜりあいでは120人もが死んだ、と。

そして、どうかトランプを送って欲しい、今の自分には何一つ慰めが無い、と書いた。


遂にノヴァーラは陥落し、シャルル八世はミラノ公ロドヴィコと平和条約を締結した。

秋、フランチェスコはヴェルチェッリでシャルル八世と会見した。

シャルル八世はフランチェスコを丁重に迎え、見事な馬を送った。

その日フランチェスコに同行した詩人は、後日イザベラに手紙を書いた。

シャルル八世は名高いマントヴァ侯妃のことを心から知りたがっている様子で、その美しさや教養、人柄などを事細かしく尋ねた、と。

そして、是非親友になりたい、と25歳のフランス王は若者らしい率直さで言った、と。


イザベラは、頬を染めてその手紙を読んだ。

戦争が終わる。

熱いものが胸いっぱいにこみ上げてきた。

戦争が終わる。

イザベラは、何度も何度もこの言葉をかみしめた。


遂にフランス軍はアルプスを越えて帰って行った。

そして11月1日、フランチェスコはマントヴァに華々しく凱旋した。町中は大騒ぎになり、人々は一目フランチェスコを見ようと家々から飛び出して来て、手を振り叫び声を挙げた。

道には花が撒き散らされた。

「泣くなよ。」

いくらフランチェスコに言われても、イザベラは涙が止まらなかった。

後から後から涙が湧いて来て、とうとう顔を覆って泣き出した。

フランチェスコは乱暴にイザベラの頭を撫でた。

その途端、人々は万歳を叫んだ。

人々は、何度も何度も万歳を叫んだ。

その声はマントヴァの山野に広まり、いつまでもこだまし続けた。


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