第5章 婚礼

数日後、マントヴァから正式な使者が優勝旗を携えて来た。

そして、エルコレ一世、エレオノーラ公妃と会見し、婚礼の日取りを1490年2月11日と決定した。

あと僅かな月日しか残されていないので、フェラーラでは婚礼の支度に上を下への大騒ぎとなった。

ヴェネツィアから取り寄せた黄金は、長持の装飾に使われた。

見事な彫刻を施した銀の個人祭壇、つづれ織りの壁掛け、典雅な馬車、黄金を貼った壮麗な船などが、婚礼のために新調された。

結婚式に花嫁が帯びるベルトは、名人フラ・ロッコの手により金銀で造られた。


しかし、イザベラはその間、全く違うことに専念していた。

あれ以来、あの4人の従弟たちが姿を見せないのだ。それまでは毎日、図書館かお城の廊下か中庭か何処かで出会ったのに、4人とも全くイザベラの前に現れなくなった。

イザベラは、一人一人に小さな壁掛けを作ってあげようと思った。イザベラは、母に教えてもらいながら、クリーム色の布に一針一針刺繍していった。慣れないので何度も指を針で刺したが、それでも一心に花かごの絵を刺繍し続けた。薔薇の花、百合の花、ひな菊・・・イザベラは一針一針心を込めて刺繍した。

「姫様、もうお休みになりませんと、御身体に障りますよ。」

侍女が言った。机の上の燭台の光が部屋中に柔らかく広がり、侍女を照らしていた。蝋燭の火のゆらめきとともに侍女の影も揺れた。

「有難う。でも、もう少しだけやりたいの。構わずに先に休んでちょうだい。」

侍女は静かに出て行った。イザベラは燭台を引き寄せ、空が白むまで続けた。

やっと4枚刺繍出来たのは、婚礼の日の2日前であった。

母に手伝ってもらって木の枠をはめ、ふさ飾りを付けると、小さな可愛らしい壁飾りになった。イザベラは、それを弟のアルフォンソに届けてもらった。


2月11日、結婚式はエステ家の礼拝堂で厳粛に行われた。

当時の王侯の結婚式は、花婿は本国で花嫁を待ち、決して出向いて来ないしきたりであった。花婿から遣わされた要人が「代理の花婿」として花嫁の両親の前で結婚式を挙げ、そして、花嫁をいざなって花婿のもとに連れて帰るのであった。

結婚式の後、イザベラは、金の布で飾られた新しい馬車で宮殿へと向かった。馬車の右にはフランチェスコの義弟であるウルビーノ公爵が、馬車の左にはナポリの大使が騎馬で従った。

その夜、宮殿で行われた祝宴は、フェラーラ公爵家始まって以来の盛大なものであった。壁には百年もかけて創られたという家宝のつづれ織りが飾られ、人々の目を驚かせた。今宵の宴に用いられるおびただしい数の金の食器類は全てヴェネツィアの高名な細工師の手になるものであった。水晶の葡萄酒入れは、グリフィンやいるかの小さな像によって支えられ、そして、名人たちが腕によりをかけて創った見事なお菓子の寺院やピラミッドには、エステ家とゴンザーガ家の紋章を描いた250本の小さな旗が飾られていた。

イザベラは神妙な顔をして坐っていた。朝、礼拝堂で行われた式の光景を思い出すたびに、イザベラは涙ぐんだ。

その時、弟のアルフォンソが息せき切って駈け込んできた。アルフォンソは晴着に身を包みながら汗びっしょりになって母エレオノーラに小声で言った。

「駄目です、お母様。ジョバンニたちは病気だと言って、来ません。」

エレオノーラは何も言わずに寂しそうな目をした。 横から父が

「それは気の毒に。しかし、4人が揃って病気になるとは。」

と驚きの表情で言ったが、誰も何も言わなかった。


祝宴は朝まで続いた。

そして、いよいよイザベラがマントヴァに発つ時が来た。

船着き場には大勢の人が見送りに来た。

これからイザベラは、両親と弟妹に付き添われ船でマントヴァに向かうのである。

ポー川の岸には、無数の彫刻を施され黄金を貼られた大きな船が停泊していた。その周りには4隻のガリー船と50艘の小舟が付き従っていた。

侍女たちは、皆泣いた。特にイザベラが生まれた時からいた侍女たちは、イザベラの首にかじりついて泣いた。イザベラも、どうしてよいのかわからないほど泣けてきて、一人一人抱きしめていった。

それからイザベラは、先生方や親戚の人々に挨拶をした。特にガルリーノ先生は涙が止まらない様子であった。イザベラはガルリーノ先生にお礼を言いながら涙で目の前が見えなくなった。

見送りの人一人一人に挨拶し終えた時、父が

「行くぞ。」

と促した。

イザベラは、もう一度あたりを見渡した。しかしジョバンニたちの姿は無かった。

「イザベラ、早く乗りなさい。」

父に言われてイザベラは船に乗った。

イザベラは船の窓から岸辺を見続けた。

しかし、ジョバンニたちは現れなかった。

船は岸を離れた。

イザベラは、ジョバンニたちがいつか必ず分かってくれると信じて、故郷の山をいつまでも見つめ続けた。




「さあ、行きましょう。」

フランチェスコは言った。 

15歳の花嫁イザベラは涙を拭くと

「はい。」

と言った。 

国境の船着場で花婿フランチェスコに迎えられたイザベラは、フェラーラから送って来てくれた父母や弟妹に今、別れを告げたのである。

イザベラは馬に乗った。フランチェスコとウルビーノ公爵グイドバルドも馬に乗り、イザベラを真ん中に門の前に三人並んだ。

いよいよ今からマントヴァの国に入るのだ。

イザベラは手綱を握りしめ、真剣な面持ちで待った。

花婿フランチェスコも緊張し、身を固くしていた。

「それでは。」

グイドバルドの声と同時に、三人は揃って馬を進めた。

その後に、フランス、ナポリ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ジェノヴァ、ピサ、その他あらゆるイタリア中の国々の沢山の大使たちが騎馬で従った。どの馬も美しく飾り立てられていた。

突然、大地を揺るがす様な歓声が沸き起こった。 沿道には、今まで見たことも無い沢山の人々が、なだれ溢れていた。一目イザベラの姿を見ようと、人々は恐ろしい勢いで道まで押し寄せた。地の底から湧き上がる様な熱狂的歓呼は町中に反響し、イザベラは気が遠くなった。

花嫁衣装に身を包んだ15歳の侯妃のこの世ならぬ美しさに、マントヴァの人々は魂を奪われた。

プラデラ門の前には、白い式服を着た聖歌隊の子供たちが並び、賛美歌でイザベラを出迎えた。

アルベルティ設計のサンタンドレア教会の広場、聖ヤコポ橋、公園の門、そしてお城の跳ね橋の前では、歓迎の野外劇や音楽会の準備が今、大詰めを迎えていた。

そして、七つの惑星と九階層の天使たちの彫刻が飾られ、お城の広い階段の下では天使の羽根を付けた金髪の少年たちが、今日のために作曲された結婚祝歌を合唱して歓迎の意を表した。

イザベラはそこで、フランチェスコの妹エリザベッタに迎え入れられた。

「国家の間」では、すぐに盛大な祝宴が始まった。


しかし、フランチェスコの喜びは、それでは治まらなかった。彼は広場でも盛大な祝宴を催し、誰であれ広場に来た全ての人に御馳走し、もてなしたのである。

広場の噴水からは葡萄酒が湧き出ていた。

フランチェスコは、マントヴァの全ての国民と、この耐え難い喜びを分かち合いたかったのだ。

お祝いは、カーニバル最終日まで続いた。騎馬試合や舞踏会、松明の行列が目まぐるしく続き、広場では連日連夜新たな祝宴が盛大に催された。

そして、お城や教会や町や動物、その他あらゆるものをかたどった名人芸の素晴しいお菓子が、喜びに沸く町中の人々に配られた。

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