第7章 ロドヴィコとの出会い

或る日、ストゥディオーロの窓から、聖ジョルジョ橋を二人の少年が馬を駆ってやって来るのが見えた。よく見ると、弟のアルフォンソとフェランテだった。驚きと懐かしさでイザベラは階下に駈け下りた。ちょうど二人はお城の正面玄関で馬から降りたところであった。

「アルフォンソ! フェランテ!」

イザベラは我を忘れて駈けだした。二人は気がついて駈け寄って来た。

「お姉様、お久しゅうございます。」

イザベラは目頭を押さえた。

「ちょっと見ないうちに随分大きくなったわね。 みんな元気?」

アルフォンソとフェランテは顔を見合わせた。

「実は、お母様が御病気なんです。」

「えっ。」

「お母様はお姉様が行ってしまわれてから毎日泣き暮らしていらっしゃいました。そして、とうとう御病気に。」

「お姉様、どうか一度フェラーラにお帰り下さい。」

イザベラは胸がいっぱいになって今すぐ飛んで行きたかったが、はやる気持ちを抑え、その事をフランチェスコに話しに行った。フランチェスコは驚いて、すぐにフェラーラに行くよう勧めてくれた。

イザベラは弟たちと船に乗り、ポー川を下って行った。

「お母様、今行きます。」

イザベラは心の中で繰り返し母に呼びかけた。

船は夕方フェラーラに着いた。船着き場には馬車が迎えに来ていた。


「お母様・・・」

お城の正面玄関に駈け込んだイザベラは思わず立ち尽くした。母はガウンを羽織って、長持を運ぶ侍女たちに指示を与えているのだ。

「イザベラ・・・」

「お母様、御病気じゃなかったのですか?」

「だいぶ良くなったのでね、ベアトリーチェとロドヴィコ様の結婚式が間近だから、とても寝ている気がしなくて。」

イザベラはうつむいた。張りつめていた心が、空気が抜ける様にしぼんでいった。

次の日からイザベラまで駆り出されてミラノの大使の相手をしたり忙しく立ち働くこととなった。アルフォンソとフェランテは不満そうに口をとがらせ、イザベラの手前ばつが悪そうだった。


イザベラは或る夜フランチェスコに手紙を書いた。

「親愛なる殿、今日までお便り致しませんでしたのは、決して殿のことを忘れていたからではございません。ミラノの大使がいらっしゃって、時間が無かったのです。今やっと私はお手紙を書くことが出来る様になりました。

殿、私は気がつきました。殿から遠く離れて私は何の喜びも味わうことが出来ないということに。 殿は私にとって、自分自身よりも大切な御方です。」

数日後、フランチェスコから返事が届いた。

「貴女は、私から離れては幸せになれないとおっしゃいましたが、全く道理な事です。それは私たちがお互いに抱いている深い愛に気づかれたからだと信じています。

もう御両親も満足されたことでしょうから、今度は私たち二人の幸せのために一日も早く帰って来て下さい。貴女の帰りを首を長くして待っています。」


マントヴァに帰ると、ベアトリーチェの婚約者であるミラノの摂政ロドヴィコ・スフォルツァから手紙が届いていた。それは、翌1491年1月に行なわれる結婚式への丁重な招待状だった。何となくベアトリーチェをとられる様な気がしてイザベラは今までロドヴィコのことを好きになれなかったが、この手紙を見ると悪い人ではなさそうだと思った。

イザベラは階段を駈け下りるとフランチェスコの部屋に走って行った。

「殿、ほら。」

イザベラは元気よくフランチェスコの顔の前に手紙を突き出した。

「ロドヴィコ様が殿と私を結婚式に御招待下さってるんです。」

フランチェスコは嘆息をついた。

「殿、どうなさったのですか?」

フランチェスコは重々しく口を開いた。

「悪いけれど、僕は行けない。」

「えっ」

「本当は君にもやめて欲しいのだが。」

「そんな・・・何故ですか、殿。」

フランチェスコは顔を挙げた。

「ねえ、そこに座って。 よく聞いて欲しいんだ。」

向かいの椅子にイザベラを坐らせると、フランチェスコはイザベラの目を見て言った。

「実は、ベネツィアの長老が、この度のエステ家とスフォルツァ家の婚礼を疑惑の目で見ているんだ。これによってミラノとフェラーラが連合し、ヴェネツィアを窮地に追い込むつもりではなかろうか、と考えてね。

いや、当初は長老もそこまで考えていなかったのに、ヴェネツィアの貴族たちが騒ぎ出したんだ。 僕は、知っての通りヴェネツィアの総司令官を委託されているが、ヴェネツィアの貴族の中にも沢山希望者がいたのに長老が僕を抜擢したと言って、彼らは何かにつけて文句を言うんだ。」

イザベラは、すっかりしょげてしまった。その様子にフランチェスコは慌てて

「じゃ、まあ、君は行ってもいいや。」

と言った。


1491年が明けた。

イザベラはポー川を遡ってミラノに旅立った。今年の冬は特に寒く、川風は身に突き刺さる様であった。川はにび色で、三角の白い波頭が無数に立っていた。

船は雪のミラノに着いた。美しい教会も、宮殿も、全て真っ白に雪が積もり、イザベラはまるでおとぎ話の世界の様だと思った。

イザベラは、花嫁衣装に身を包んだベアトリーチェの神々しい美しさに強く心を打たれた。そのまつ毛の動きとともに、あたりの空気が震える様に感じられた。


ロドヴィコは、初めて会うイザベラに非常に礼を尽くしてくれた。イザベラが芸術に関心があることを知ると、すぐにロドヴィコは宮殿中を隈なく案内してくれた。絵画や彫刻やつづれ織り、宝石細工、名高い楽器、刀剣の名品、そして貴重な古文書の数々・・・イザベラはあまりの素晴らしさに目を見張った。


或る日、イザベラは、弟のアルフォンソと婚約者アンナ・スフォルツァの結婚式が今回の滞在中にミラノで行われることを初めて母から聞かされた。

「どう、びっくりした?」

「ひどいわ、お母様。」

「アルフォンソがね、貴女をびっくりさせたいからどうしても黙っていて欲しいって言ったの。」

母はそう言っていたずらっぽく笑った。

アンナ・スフォルツァはミラノ公爵ジャン・ガレアッツォの妹で、ロドヴィコの姪である。

1491年1月13日、アルフォンソとアンナの結婚式はスフォルツァ家の礼拝堂で行われた。アンナは優しくおとなしい少女で、イザベラはすっかり気に入った。 アンナもイザベラのことを尊敬していた。

1491年2月1日、エステ家の一行は、アンナを伴ってフェラーラへの帰途に就いた。イザベラもこれに同行した。

フェラーラに着くとすぐにアルフォンソの結婚のお祝いが盛大に始まった。

マントヴァからフランチェスコも駈けつけた。

その夜の舞踏会で、花嫁はフランチェスコと、花婿はイザベラと踊ることになった。アルフォンソと手を取って踊りながらイザベラは、弟のすました顔に必死で笑いをかみ殺していたが、どうしても我慢できず、とうとううつむいて笑い出した。

「いやだなあ、お姉様。」

アルフォンソは、うらめしそうにふくれて見せた。

それを見るとイザベラは踊っていても笑いがこみ上げ、笑い過ぎて涙が出て来た。

14歳の花婿は、とうとうべそをかいてしまった。

最後はイザベラとアンナが、集まった人々のやんやの喝采の中で田舎の踊りを披露して、お開きとなった。


マントヴァに帰って来るとイザベラは、手紙の山に仰天した。

「これ、全部ロドヴィコ様のだわ。」

読み始めてイザベラはさらに呆気にとられた。なんとロドヴィコは、ベアトリーチェとイザベラを喜ばせたい一心で、せっせと毎週楽し気に、ベアトリーチェの近況報告を書いていたのだ。

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