15 走れ光の輪へ

 次の日。


 コツン、コツンと、小さな音で目覚めた。

 また、コツン、コツンと音がする。

 音はベッドの横の窓から聞こえる。

 窓ガラスに豆粒ほどの小さな石が何度も当たっている。


 ボクは窓越しに裏庭の方を見た。

 外はまだ暗い。

 しばらく、どこからそれが飛んでくるのかわからなかったが、目を凝らすと月明かりの下に三つの小さな影を見つけた。


 小人たちだ。


 窓を開けてボクが顔を出すと、三人の小人たちが「おいで、おいで」と手招きしたように見えた。

 ボクは目をこすってもう一度よく目を凝らしたが、三人が小さな体を目一杯使って、やっぱり「おいで、おいで」をしている。


 なんだろう。

 ボクはとにかく裏庭へ出てみることにした。下着の上から素早く服を着て、そっと部屋を出た。

 裏庭には料理番たちの部屋から行けるが、朝が早い人たちを起こしてしまうのはまずい気がした。

 仕方なく表玄関から回ることにした。


 なるべく音を立てないよう、抜き足差し足でホールを抜け、玄関の扉の内鍵をそっと外した。

 ガチャリと音がホールに響き、壁の鳩時計もカチリと小さな音がした。

 ボクはビクリとして、しばらく様子を伺ったが誰も起きて来る気配はない。

 お屋敷はシーンと静まり返っている。


 表に出ると三人が玄関先に回って来てくれていた。

 まだ夜明け前だ。東の空が微かに白み始めている。


「チリチリ!」

「チリチリチリ!」

「チリチリ!」


 三人が口々に叫ぶが、何を言ってるかわからない。

 ボクはしゃがみ込んで三人に顔を近づけるが、彼らの言葉はさっぱり聞き取れない。

 三人は必死の形相で、ボクに身振り手振りで何かを訴えている。


「なに?なんて言ってるの?」


 三人がそれぞれポーズで何かを伝えようとしているのはわかる。

 でもその意味がボクにはわからない。

 なんとか理解しようとしたが、何が言いたいかさっぱりわからなかった。


「ごめん、やっぱりわかんないよ」


 諦めて立ち上がろうとした時、三人が足元に駆け寄り、つっかけて来たスニーカーの紐や爪先を掴んで離さない。

 森の方を指差して、さっきよりも更に強く何かを訴えている。


「あっちに来いってこと?」


 ボクが森の方を指さすと、三人は小躍りしてウンウンとうなずいた。


 理由がわからないまま、ボクはとにかく行ってみることにした。

 先を走って行く三人の後を追って、森の中に入っていく。

 夜明け前の森の空気はシンと澄んでいて、とても静かだ。


 森の中を進むと木々の中に明るく光っている場所が見えた。

 何の光りだろう。

 これまでこんなの見たことがない。

 光りがまぶしくて直視できない。

 ここは切り株の広場のすぐ近くだ。


 光りに近づくと、その前にカルラ様が立っていた。

「おう、よく来た!こっちじゃ!こっちじゃ!」

「カルラ様、こんな時間に何してるんですか?」

「キイロ、元の世界に帰れるぞ!」

「えっ?今なんて言いました?」

「帰れるんじゃ。元の世界に」

「ほ、本当ですか?!」

 いきなりのことに、すぐには信じられなかった。


「やっと、あちらの世界のワシのような力を持つ者と繋がったんじゃ。向こうでもワシを探していたと申しておる」


 その時、まぶしく光っていた場所が一段と明るさを増し、光の輪の中から人の姿が現れた。


 て、天狗?


 現れたのはまさに空想図鑑で見た天狗の姿だった。

 真っ赤な顔に高い鼻、真っ白の装束に身を包み、手には確かシャクジョウというのか、先端に金属の輪っかが付いた長い杖を持っている。

 図鑑で見た通り、本当に一本歯の下駄を履いている。


「少年よ、やっと見つけたぞ」


 天狗がしゃべった。

 やっと見つけた、って?

 ボクのことを探していたの?


 声に出していないボクの心を読んだかのように、天狗が言葉を続けた。


「そうじゃ、ずっと探しておった。あの林の中には昔から時の狭間があってな。時々人がそこに落ちる。

 あの日も小さな女の子が蝶を追いかけておったから、落ちはしないかと見ておったのよ。そうしたら少年、後から来たお主が足を滑らせ狭間に落ちてしもうた。

 女の子に姿を見られてしまい、お主と同時に姿を消したので、拙者がお主をどこかに連れ去ったと思うたようじゃがな」

 天狗が話を続ける。

「そこからは念力を使って、こちらの世界と交信しておった。そうしてやっと、このカルラ様と繋がれたのじゃ」


 あの足を滑らせた時に一瞬見えた人影は、この天狗、いやこの天狗さまだったのか。

 そうか、妹を見守ってくれてたのか。


「時の狭間を繋ぐには、こちらとあちら双方から力を合わせんと繋ぐことはできん。今やっとそれが繋がったということじゃ。

 そう長い時間繋いでおくことはできん。

 さあさあ、早く光の道を通って元の世界へ帰りなさい」


 カルラ様がそう話し、天狗さまも早く来るよう光りの中を手で示した。


 思ってもいない急な展開に、頭が混乱した。

 帰りたい。早く帰りたい。一刻も早く帰りたかった。


 でも、ちょっと待って。

 ボクはできる限り冷静になろうと努めた。


「カルラ様、天狗さま。ボクに時間をください。世話になったクリに挨拶したいし、一緒にルナも連れて帰りたい。お願いします!」


「時間がないんじゃ。無理を言うでない!」

 カルラ様が厳しい口調だ。

「すいません!でもボクやっぱり、自分だけ帰れません!お願いします!」

 そう叫んだ時には、ボクの足はもうお屋敷に向かって走り出していた。

 カルラ様は一瞬、羽根をバタつかせてあたふたと足踏みをしたが、すぐに思い直したようだった。


「待てて、夜明けまでじゃぞー!お日様が顔を出すまでじゃ!急げ!キイロ、急げ!」


 カルラ様が叫んだのが聞こえた。


「やれやれ、あの子らしいわい」

 カルラ様が小さく笑った。

「間に合えば、二人までなら何とか通れるでしょう」

 天狗さまがカルラ様と顔を見合わせた。


 全速力でお屋敷に走った。


 家に帰れる。

 家族と会える。

 父さん母さん、そしてヒマリに会える。

 学校の友達にも会いたい。


 だけど、クリに黙って行くわけにはいかない。

 誰も知らないこっちの世界で今日までやってこれたのは、間違いなくクリがいてくれたからだ。


 クリはボクにいろんなことを教えてくれたし、助けてくれた。

 そして何よりボクの話し相手になってくれた。

 だから寂しさに負けることがなかった。

 吸い込まれそうになる深いグリーンのクリの瞳は、いつもボクを安心させ、ボクを勇気づけてもくれた。


 それと、僕と同じ世界から来たルナのことも放っては行けない。

 ボクだけ一人帰るわけにはいかない。

 クリ、ルナ、待ってて。


 杉の巨木が見えてきた。

 当然、部屋の灯りは消えているし、ランタンのロウソクも点っていない。

 暗い扉の前に座っている小さな影があった。


 クリ?


 小さな影が立ち上がった。


「クリ!?」

「キイロ?戻って来たの?なんで?」

「はー、はー、はー、クリ、はー、はー」

 息が整うボクを待たずにクリが続ける。

「元の世界に帰るんでしょ?いつかこの日が来ると思ってたわ」

 クリはなぜか事態を把握しているようだった。


「クリ、クリに一言も挨拶せずに行けなかったから」

「それで戻って来たの?時間は大丈夫なの?」

「いや、あまり時間はない」

「もう、何やってるの、キイロ!」

「あと、ルナも一緒に連れて行こうと思って」

「ああ、そうね!そうして!間に合う?」

「わからない。急がないと」

「うん、わかったわ。ルナを呼んで来る」


 二人でそっとホールに入り、クリが鉄の扉を音を立てないように開けた。

 魔女見習いの少女たちの部屋は二つ目の部屋だ。

 クリがベッドまで行ってルナを起こして来てくれた。


「ルナ、元の世界に帰れる。一緒に行こう」

「本当なの?信じられない」

「うん、だけど急がないとだめ」

「わかったわ」


 さあ、と二三歩行きかけて、


「ごめん、ちょっとだけ待って」


 ルナがそう言い、一人で部屋に戻った。

 もう早くして、時間がない。

 忘れ物でも取ってきたのか、すぐに戻ったルナとホールへと出て、玄関の扉に手を掛けようとした時だ。


 後ろから声が響いた。


「お待ち!あんたたち」


 ミランダ様が鬼のような形相で立っていた。


「こんな時間に何をこそこそやってるんだい!」


 ボクたちはヘビににらまれたカエルのように、その場で固まってしまった。

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