13 悲しきヒトミ
ジャラッ、ジャラッ、ジャラッ
檻の中の暗闇からゆっくりと姿を現したのは、子ゾウぐらいの大きさの一頭の動物だった。
全身が灰褐色で、ゾウほど長くはないが伸びた鼻先が「ブルッ」と音を立てた。
さっき聞こえたのはこの鼻を鳴らす音だった。
「ゾーイ、こんにちわ。今日も元気?何か変わったことはない?」
クリの優しい呼び掛けに頭を上下させて、また「ブルッ」と鼻を鳴らした。
「元気そうね。安心した」
クリはそう言いながら、近寄って来たその大きな体に手を伸ばし、鉄格子越しに鼻の頭を撫でてあげた。
「キイロ、この子がゾーイ。バクの子よ」
バクの子?
図鑑で見たものより随分と大きいな。ボクが知らない種類なのかな。
体はとても大きいが、クリに撫でられて嬉しそうに鼻を鳴らしている姿からは、おとなしそうな性格が伝わってくる。
それと、ゾーイの姿を見て思い出した。
ユメカイ屋の扉のドアノックに彫られていた動物はバクの姿だ。特徴のある鼻先でわかった。
「こ、こんにちわ」
ボクはそう声を掛けて、恐る恐る手を伸ばし、鼻先をそっと触った。
ゾーイはじっとしている。
「キイロは怖がらなくて大丈夫よ。ゾーイは良い人とそうじゃない人の見分けがつくから。キイロは大丈夫」
ゾーイは長いまつ毛をまばたかせ、小さな目でボクを見ていた。
「ゾーイ、この人はキイロさん。ワタシの大切なお友達。仲良くしてね」
ゾーイが返事するように、また「ブルッ」と鼻を鳴らした。
クリが言った「大切なお友達」という言葉が嬉しかった。
「クリ、すごいね。動物と話ができるんだ?」
「うん、そうね。ワタシには生まれつきそんな力があるみたい」
「クリは妖精だもんね」
「なんで知ってるの?」
「カルラ様に聞いたよ」
「そうか。カルラ様話したんだ」
クリは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「ゾーイはこんな檻に繋がれて飼われてるの?」
「そうよ」
「誰に?」
「ミランダ様」
ミランダ様が飼ってる?
でもこんな暗いジメジメとした場所はかわいそうだな。
「えらくかわいそうな場所なんだね」
「うん、そうなの。ゾーイがなんでここに繋がれているか、お話するわ。キイロ、聞いてくれる?」
そう言って話し出したクリの話にボクは耳を傾けた。
ゾーイは悲しい子なの。かわいそうな子なの。
以前、どうしてこのお屋敷に連れて来られたかを、ワタシに泣きながら話してくれたわ。
ゾーイは元々、遠い南の島で生まれたの。
青い海と緑豊かなジャングルがあって、この世の楽園みたいなところだったって。
そこでお父さん、お母さんと仲良く暮らしていたそうよ。
ところがある日、その島に人間が現れたんだって。
見たこともない大きな船で突然現れた大勢の人間たちは、いきなりジャングルに分け入ってきて、手当たり次第に動物たちを捕まえたり、植物を根こそぎ掘り起こしては、次々に船に積み込んでいったって。
ゾーイたち一家はジャングルの奥へ奥へと逃げ込んだけど、ついには捕まってしまい、港まで連れて行かれたそうよ。
そこで……
その港で、今にも船に積み込まれそうになった時、ゾーイだけでも逃がそうとして、お父さんとお母さんは最後の抵抗をしたそうよ。
激しく抵抗するお父さんとお母さんに手を焼いた人間たちは、寄ってたかって石や棒で激しく打ちすえたって。
そして、そして……
そして、倒れてぐったりとなってるお父さんとお母さんを、人間たちは「売りもんにならん」と桟橋から海へ放り捨てたんですって。
なんてひどいことをするんでしょうね。人間って。
まだ二人とも息をしていたそうよ。
海に落とされそうになりながらも、血の滲んだ赤い目で、最後まで心配そうにゾーイのことを見ていたって。
ゾーイはただただ驚いて声も出せず、震えながら檻の中で固まっていたって言ってたわ。
あまりの出来事に涙も出なかったって。
その後に、島を荒らし回った人間たちが、船に荷を積み込んでいる人間たちから、金色にピカピカ光る丸いものをもらって喜んでたって。
ああ、あの金色に光るもののために、お父さんとお母さんは殺されたんだって理解したそうよ。
それから王様への献上品として王国に着くまでの間、何度か船を積み替えられたそうだけど、その度に人間たちはあの金色のもの、そう金貨をやり取りしてたって。
だから、ゾーイは金貨のことが大嫌いになって、金貨のことしか考えていない人間や、悪い人間たちを心から憎んでいるのよ。
この国に連れてこられてからは、王子が誕生日のプレゼントとしてゾーイをミランダ様に贈ったの。動物好きだったミランダ様は大層喜んだって。
最初は本当によく可愛いがってもらったそうよ。
でも、王子が別の女性をお妃に選んだことが、ミランダ様を大きく変えてしまったの。
自分がお妃になることしか考えていなかったミランダ様にとって、王子の選択は許しがたい裏切りとして、ミランダ様の心を深く傷つけてしまったわ。
その嘆き、悲しみ、そして怒りの感情が総て、物言わぬゾーイに向けられてしまったの。
ある日を境に、それまでとは手の平を返したように辛く厳しい扱いを受けるようになったんだって。
そしてとうとう、「こんなに大きくなるなんて聞いてないわ」って疎まれ遠ざけられ、ついにはこんな暗い檻の中で鎖につながれてしまったの。
ミランダ様には、ワタシを育ててもらった恩義があるし、王子とのことは気の毒だったと思うけど、でもゾーイに対する仕打ちだけは本当に許せない。
ゾーイがかわいそうで、かわいそうで。少しでも力になってあげたくて、毎日ここに来てお話するようになったの。
クリの話を聞いて、ボクはカルラ様から聞いた話を思い出した。
聞いた話の内容と、今クリが話してくれた内容が一致する。
いくら悲しいことがあったにせよ、やっぱり動物をいじめたりするのは、ボクも許せない。
「それと、更に悲しい話をしないといけないわ」
「更に悲しい話?」
「そうよ。今から話すけど、驚かずにゾーイのことをちゃんと理解してあげてね」
続けてクリが話した内容を聞いて、ボクは恐ろしくなったと共に、ゾーイのことがとてもかわいそうに思えてならなかった。
たった一人ぼっちでずっとこんな所に閉じ込められてる時間は、ゾーイをすっかり変えてしまったの。
辛い出来事ばかりが思い出されて、心に負わされた傷が更に深まって、憎しみと怒りの感情がゾーイの中でどんどん増幅していったんだわ。
そしてそんな悲しい時間が、ついにはゾーイの習性まで変えてしまったの。
本来ゾーイたちバクの仲間は草木や果物しか食べないわ。
なのに、ゾーイは感情が高ぶると自分がコントロールができなくなって、人間を飲み込んでしまうようになってしまったの。
心底憎んでいる金貨のことしか考えていない人間や、悪い人間たちをね。
先日も作り話を売りに来た男の人がそうなったと聞いたし、実はキイロの前にいた召し使いの男も、辞めたんじゃなくてゾーイが飲み込んだのよ。
そいつがいつもワタシに意地悪したり、いじめたりするのをゾーイが見ていて、ワタシを守ってくれたの。
ね、ゾーイ。
クリの美しいグリーンの瞳にも、ゾーイの円らな目にも、光るものが見えた。
ボクは初めて聞く話にただただ驚き、言葉が出てこなかった。
あの時の痩せた男が戻って来なかったのは、そういうことだったんだ。
そしてその場面を目撃したから、見習いの少女たちは泣いていたのか。
「だからゾーイをそんな風にしてしまったのは人間たちなの。誰もゾーイを責めたりできないわ」
クリのその言葉にボクは何も言い返せなかった。
「ごめんね」
しばらく間をおいて、なぜかそんな言葉が口をついて出た。
「なんで、キイロが謝るの?」
「いや、なんとなく」
自分でもよくわからなかった。
よくわからなかったけど、一人の人間として居たたまれない気持ちになっていた。
「ゾーイ自身もコントロールできない自分を悲しんでいて、いつも人を飲み込む時には涙を流すのよ。かわいそう、ゾーイ。
本当は心優しい良い子なのに、ゾーイに罪はないわ。悪いのは人間よ。本当に、本当にゾーイがかわいそう」
クリの優しさと辛い気持ちが痛いほどわかった。
そしてボクも含めて誰にでも分け隔てなく優しく接するクリのことが、とても立派で愛しく感じた。
クリが優しくゾーイの鼻先を撫でると、ゾーイの方も鉄格子越しに、クリに体を擦り付けていた。
その潤んだ円らな瞳が、ボクには深い悲しい色に染まって見えた。
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