17 ユメグリの実

 二人、細い山道に立っていた。


 苔むしたお地蔵さまがすぐそこで手を合わせ、笑みをたたえている。周囲の風景はいつか見た景色のような気がした。

 ルナは目を瞬かせて、辺りをキョロキョロ見回している。


「ここ、どこかな。元の世界に戻って来れたかな」

「随分と山の中みたいだね」


 植林されたとわかる、整然と並ぶヒノキの木立の隙間から、お日様がまぶしく差し込んでいる。せわしげにさえずる甲高い鳥の声が聞こえる。

 朝のようだ。


 突然目の前のクマ笹の薮から、男の人がぬっと顔を出してボクと目が合った。


「あっ!」


 そう声を上げた男の人は 、目を大きく見開いてしばらく絶句した。


「き、君!……」


「君、ひょっとして、カ、カイトくんか?」


 男の人はボクの顔をマジマジと見て、慎重そうにボクの名前を聞いた。


「は、はい。カイトです」

「上の名前は?」

「ユメノです。ユメノカイトです」

 ボクはしっかりと返事した。

 男の人はゴクリと喉を鳴らし、驚いた顔で何度かうなづいた。


「ケガは?ケガはないか?どっかケガしたりしてないか?」

「はい、大丈夫です」

「そうか、無事だったか。いやー無事で何よりだ。いやー良かった。良かったな!」

 男の人はボクの顔や服装を見直して、何度も肩を叩いた。

「今までどこにいたんだ?昨日もこの辺りは捜索したんだぞ」

「……」

 ボクはなんて説明していいか、わからなかった。

「うん、まあいい、まあいい。よく頑張ったな、よく頑張った。落ち着いてからゆっくり話せばいいから。とにかく無事で良かった」

 多分話しても信じてもらえないんじゃないかな。


「で、君は?」

 男の人は怪訝そうにルナを見た。

「ツキノ 、アカリです」

 ルナは初めて聞く名前をはっきりと答えた。そうか、そうだよな。ルナはあっちでミランダ様に付けられた名前だもんな。

 アカリっていうんだ。


 ルナの言葉を聞いて、男の人の顔色が変わった。


「えっ!なんて!なんて言った?まさか!今、ツキノアカリって言った?嘘じゃないよな!本当にツキノアカリちゃん?本当に?本当に?」

「はい、本当にツキノアカリです」

 ルナ、いや元ルナがきっぱり答えた。

「こりゃあ、たまげたわ。えーっ、一体何が起こってるんだか。信じられん。と、と、とにかく、えらいこっちゃ」


 一度手にした無線機を落とすぐらい慌てた男の人は、ボクたちにここを動かないように言い、マイクを口に当てて叫んだ。


「えー、本部!本部!行方不明者発見!行方不明者発見!繰り返します!行方不明の少年を発見しました!

 身長、服装などの特徴からも本人に間違いないと思われます。

 発見時刻は午前七時十五分。場所はキャンプ場より北東に約一キロ、テング山南側斜面、ワサビ沢のほとり、ミマモリ地蔵付近。

場所をもう一度繰り返します……」


 男の人は警察官のようだった。

 ここの場所説明を繰り返した後、こう続けた。


「本部!本部!更にもう一名、更にもう一名、少女を保護しております。

 えー、本人が三年前の失踪者の名を名乗っております。もう一度繰り返します。三年前のテング山キャンプ場失踪者らしき少女を保護しています。

 至急、応援お願いします。大至急、応援をお願いします。場所を繰り返します……」


 お地蔵さまの横の木陰に二人並んで座り、捜索隊の到着を待った。

 警察官のおじさんは着ていたヤッケを、ルナの肩に掛け、リュックから出したお茶のペットボトルを渡してくれた。

「男の子だから大丈夫だな」

 ボクにはそう言ってヘルメットを被せてくれた。うん、大丈夫。寒くはない。

 木立の間から差し込む日射しがキラキラとまぶしい。下の沢の方でトンボたちが飛び交っているのが見える。


「三年も向こうにいたんだ。長かったね、かわいそうに」

「うううん、おかげで私泣き虫じゃなくなったもん」

「強くなったんだ」

「ふふ、そうかも」


 ルナが微笑んだ。年齢は十一歳だと言った。てっきり歳上だと思ってたら、ボクと同い年だった。


「家に帰ったら何したい?」

「とにかく早くパパとママとお姉ちゃんに会いたい」

「そうだね。間もなく会えるね」

 ルナにそう答えながら、自分自身にもそう言い聞かせた。

 父さん、母さん、ヒマリの顔が浮かんだ。

「それと、ママが作ったグラタンが食べたいかな」

「グラタンかあ」

「うん。キイロ、いやカイトくんは何食べたい?」

「そうだな、えーと、ボクはカレーかな」

 母さんが作る甘口のシーフードカレーが久々に食べたかった。


 見上げると青い空が広がっている。静かに吹き抜けるひんやりとした山の空気が心地いい。

 ルナが木の葉を一枚左手に乗せて、右手の指をパチンと鳴らした。

 木の葉は葉っぱのままだった。

 二度三度と指を鳴らしたが、何も起こらなかった。

「ふふふ、魔術が消えちゃった」

 意外にもルナは嬉しそうに笑った。

「だって、そんなもの持ってても何の役にも立たないもんね」

 そうか、役に立たないか。

 そうだね。誰しもそんな魔術なんか使わずに、自分の力で生きていくんだもんね。


 ルナは、ある時から現実に立ち向かおうと切り換えて強くなったんだ。

 クリは、自分の信念や価値観に基づいて行動していた。

 二人の姿がボクにはまぶしく映っていた。彼女らに学ぶところがいっぱいあった。


 警察官のおじさんは、ボクが行方不明になってから、今日が三日目、四十四時間が経ったと言った。

 とても信じられない。

 もっともっと長い時間をボクは向こうで過ごしてきた。優に一カ月は過ぎた感覚だ。

 時の狭間というものは時間の流れを歪めてしまうのか、そこのところがボクは不思議でしょうがなかった。


 さっき自分の本名を久しぶりに呼ばれたのが、妙に新鮮で心が踊った。

 これまであまり好きじゃなかったけど、自分の名前が好きになった。

 だけど、向こうの世界で付けられた「キイロ」という名前も、まんざら悪くもないなと思い始めていた。


 キイロ。


 それはボクのもうひとつの名前。

 そして向こうの世界の記憶がいっぱい詰まった大切な名前だ。


 ふと思い出してポケットをまさぐった。

 大丈夫。ちゃんとユメグリの実がひとつ入っていた。


 ボクはその実を指先で掴み、朝日に向かってかざしてみた。

 まぶしい逆光の光の線と濃い影が交差する中に、クリの笑顔が一瞬浮かんだような気がしたが、それはすぐに消えた。

 ボクは口の中で、教えてもらった呪文の言葉を、忘れないように繰り返していた。


 寂しくはなかった。

 根拠はないけど、クリにはまた必ず会える気がしていたから。


 捜索隊の足音だろう。遠くから聞こえる音が段々と近づいてきた。




      *




 目覚まし時計が鳴っている。


 枕元を探すように伸びた手がアラームを止めた。

 カイトはタオルケットから顔を出し、しばらくボーッとしている。


 家族でバーベキューに行って遊び疲れたのか、昨夜は早めにベッドに入った。

 ぐっすりと眠っていたが、随分と長い夢をみていたようだ。

 ぼんやりとした頭で今まで見ていた夢を思い出している。


「夢か……」


(そういえば一昨日、ヒマリにつき合ってまた観たな)


(あれ観るの、もう何回目だっけ)


(魔女に名前を変えられて、働かされるなんて話……)


(一緒じゃん)


 天井を見つめたままだ。


「いや……」


 カイトはつぶやいて、思い直したように頭だけを起こし、何かを探すように机の上を見た。


 勉強机の上には、昨日拾った珍しいオレンジ色の木の実がひとつ。


(それは夢じゃないんだ)


 不思議そうな表情でまた天井を見つめる。


(……呪文……なんだっけ)


 何かを思い出そうとして思い出せないのか、困ったような顔。


(どうせ、夢だもんな)


 カイトはふっと小さく笑って、頭からタオルケットを被った。




 夏の日の朝。


 カイトの部屋にもカーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。

 今日もいい天気だ。


 しばらくして本棚の隅から、小さな影がそっと顔をのぞかせた。


 カイトは二度寝をして気づいていない。


 影は寝ているカイトを確認するかのように、じっとして動かない。

「ふふ」という微かな笑い声が漏れた。

 オレンジ色の頭をした、とても小さな影だった。



 


続編に続く

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ユメカイの森 コロガルネコ @korogaru_neko

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