16 夢を見る呪文

 ツカツカと歩み寄ったミランダ様が、玄関の前に大きく立ち塞がった。


「こんな時間に玄関を勝手に開けたら、わかるようになってんだよ。どこへ行こうとしてるんだい?答えなさい」


 静かだか有無を言わせない迫力で問われ、咄嗟に言葉が出ない。


「も、元の世界に帰ります」


 ボクは精一杯勇気を振り絞って答えた。語尾が震えた。

 まさか石にされてしまうかもと足がすくむ。


「なんだって?元の世界に帰るだと?ふん、そんな勝手は許さないね」

 ミランダ様がギロリと睨む。


 騒ぎを聞きつけて、キクゾーとキロクも起きてきた。

「なんだ、なんだ?」

「どないしたん、こんな時間に」

 二人とも眠そうな目をこすっている。


 ボクはすくんでしまって声が出せない。


「アタシに黙って行こうとしたって訳か!

 お前たちは何を考えてるんだっ、

 この生意気なーーーーっ!!」


 お屋敷中に響き渡るような怒気を含んだ大声がとどろき、窓ガラスが小刻みに震えた。

 烈火のごとく形相を一変させたミランダ様の目はつり上がり、怒りの炎がメラメラと燃えているのがわかる。

 キクゾーとキロクも縮み上がり、大きく目を見開いて固まっている。

 ボクはゴクリとつばを飲み込んだ。


「い、行かせてください」

 なんとかそれだけは絞り出した。

「ダメだと言ってるだろ。今まで世話になっといて、何勝手なこと言ってるんだっ!

 恩を仇で返すつもりかいっ!

 ルナ!お前もか!」


 ルナも固まって何も言い返せず、ミランダ様を見ることができない。


「キイロ、お前はまだまだ召し使いとして働いてもらうよ。ルナ、お前はまだ見習い中だろ?まだ何にもできないくせに!」


 ボクは言葉を返せず、ジリジリと後ずさった。


 ああ、ダメか。

 時間がない。

 せっかくのチャンスが間に合わなくなる。


「さあ、二人ともさっさと部屋にお戻り!」



 ガッシャーン



 ミランダ様が叫んだ時、鉄の扉が大きな音を響かせて開く音がした。

 そしてゾーイを連れたクリがホールに入ってきた。


「クリ!お前まで何やってるんだい!ゾーイを檻から出したらダメでしょ!」

 ミランダ様が驚きを隠せない。


 クリは何も答えず、ミランダ様をキッと見据えている。

 ゾーイが鼻をブルルルルッと鳴らした。

 ゾーイの目が怒っているのがわかった。


「さあ、早く!そいつを檻に戻しなさい!

 クリ!クリ!聞こえないのかい!

 クリ!後でお仕置きするよ!クリ!」


 その叫び声が終わるか終わらないうちに、ゾーイは鎖を引きずって突進し、彼女の目と鼻の先に立ちはだかった。

 そして怒りを含んだ瞳でミランダ様を見下ろす。


「ゾーイ!何をしてるの!

 ア、ア、アタシのことを忘れたのかい。

 ゾーイ、ゾーイ、

 ほらお前が小さかった頃、

 よく一緒に遊んだじゃないか。

 ほらアタシだよ、ゾーイ」


 ゾーイを目の前にして身の危険を察したのか、ミランダ様の声が急に子供をあやすような甘い声に変わった。

 さっき怒りの炎を燃やしたその目が、恐怖におののいている。


「ほら、ほら、ゾーイ、ゾーイ。

 そうだ、そうだ、

 お前は水遊びが好きだったねえ。

 プールで二人でよく遊んだよ。

 ホースの水を浴びて気持ちよかっただろ。

 ね、ゾーイ。覚えてるかい、ゾーイ」


 ゾーイの瞳からが涙が一筋流れた。


「ベッドで一緒に寝て、

 アタシが子守唄も歌ってやったよ。

 ね、ね、ゾーイ。

 お前はおねしょなんか一度もしなかった。

 お前は本当にいい子だ。

 いい子だよ。ゾーイ、ゾーイ」


 ミランダ様が一歩二歩と後ずさるが、もう後ろは壁だ。


「そうだ、そうだ。

 ゾーイはリンゴが好きだったね。

 リンゴ、リンゴ、赤いリンゴ。

 ほら忘れたのかい。リンゴだよ。

 檻に戻ってリンゴを食べよう。

 すぐに持って来させるから。

 ほら、ゾーイ、リンゴ、リンゴ。

 リンゴを食べに檻へ戻ろう。

 ね、ね、ゾーイ」


 ゾーイはブルルルルッと鼻を鳴らして、更に一歩二歩とミランダ様に近づいた。

 ブルブルと全身を震わせている。


「ゾーイ、また一緒に、あ」


 それがミランダ様の最後の言葉だった。


「バオーン」と初めて聞いた悲しげな声を上げ、ゾーイは一気にミランダ様を頭から飲み込んだ。

 それは一瞬のことだった。

 怒りなのか悲しみなのか、体を震わせたゾーイは無言でまた涙を流した。


 壁の鳩時計が壁から落ちて、飛び出た白い鳩が床に転がった。

 キクゾーとキロクは猟師の姿に戻って、目をパチクリさせている。

 ナゲキの沼の水が底に染み込んでいくように消えて、石にされていた人たちが元の姿に戻った。


 ホールが静寂に包まれた。


「さ、早く二人行って!」


 玄関の扉を開けて叫んだクリの言葉に我に返った。

 扉の外には三人の小人たちが来ていた。早くしろと言ってるようだ。


「クリもそこまで一緒に来て!」

「うん、わかった」


 小人たちに先導されるように三人で森の中を走った。

 東の空が更に明るくなっている。

 走りながら、この前カルラ様に聞いた話をボクは思い出していた。


「ミランダはの、お妃になれなかったことで王子を心底恨んでしまったんじゃ。

 まあそこはのお、婚約したわけでも約束したわけでもないから、一方的な思い込みなんじゃがの。

 で、毎晩毎晩泣き通して、ついには魔女になってしもうた。

 夢で王子と会うために始めたユメカイ屋で、王子と同じ天秤座の夢を特に欲しがった。

 自分が天秤にかけられた気になったのかのお。それはそれで悲しい話じゃろ?悲しい話なんじゃよ」


 ミランダ様のこれまでの人生を思うと、ボクは彼女のことが憎み切れなかった。

 叶わなかった王子への恋心。自分のした仕打ちで習性を変えたゾーイに、呆気なく飲み込まれてしまった最後。彼女が一人のかわいそうな弱い女の人に思えた。

 そしてクリの取った行動は、これまで魔女の行為を間近で見続けてきたが故の、辛く正しい決断だったとボクには理解できた。


 必死に走って、光の輪が見えてきた。

 何とか間に合ったか。


「キイロ、ルナ、急げ!」


 カルラ様が叫ぶ。

 光の輪は最初見た時よりも小さくなって、明るさも落ちている。

 時間が迫っているようだ。


 それでもボクは立ち止まり、クリを振り向いた。


「クリ。もう、クリに会うことはできないの?」


 クリと過ごした日々が蘇る。

 クリが近くにいてくれたから今日までやってこれた。


「キイロはこっちにいたらダメよ」


「でも……」

 それは、わかってる。

 元の世界に帰りたい気持ちが、今のボクを突き動かしている。


「ふふ、夢の中でなら会えるよ」

 クリがニッコリ笑ってそう言った。

「ボクにはクリみたいに、見たい夢が見れないもん」

「いつか教えるって言って、教えてなかったね」

 クリはそう言って、上着のポケットをまさぐった。


「あったあった。はい、これ」

 クリが手渡してくれたのは、小さな木の実だった。

「これは?」

「ユメグリの実よ。キイロにだけ特別にあげるわ」

「ユメグリのミ?」

 ドングリぐらいの大きさだけど、形はしっかり栗の形をしている。茶色というより、濃いオレンジ色だ。


「それを枕元に置いて、呪文を唱えてから眠ると見たい夢が見られるわ」

「どんな呪文?」

「オン ノゾミノユメ アラワシタヤ。これを三回心を込めて唱えてみて。きっと見たい夢が見られるから」


「オン ノゾミノユメ アラワシタヤ オン ノゾミノユメ……」

 ボクは口の中で繰り返した。


「会いたい人や体験したいことを、心の中で思い浮かべながら唱えてね」

「わかった。オン ノゾミノユメ アラワシタヤ オン ノゾミノユメ……」

 うん、絶対忘れない。


「ワタシはゾーイと一緒に森で暮らすことにする。キイロのおかげで森に戻るきっかけができたわ、ありがとう。

 キイロは元の世界に戻って。ルナも一緒にね」

 クリの顔はひとつの区切りをつけたように晴れやかだった。


「うん。クリ、本当にいろいろありがとう」

「間に合わなくなるわ。さ、早く行って!」


 ありがとう、そう言ってクリの手を初めて握った。

 小さくて温かい手だった。


「キイロ!」


 行こうとしたボクをクリが呼び止めた。


「会いに行っていい?」


 クリが笑顔でそう言った。


「うん、ボクも行く。必ず夢で会いに行く!」


 呪文を唱えて必ず会いに行く。


「また会いましょう!」


 クリの言葉に、最後の手を振った。


「さ、さ、早く!」

 天狗さまが促す。

「キイロのことも本に書いておくぞ。達者でな!」

 カルラ様が優しい顔でボクを見た。


「みんな、ありがとう!」


 ボクはそう叫び、ルナの手を取って光の輪の中へ飛び込んだ。

 まぶしい白い光りに全身を包まれ、川の中を流されていくような感覚だった。

 痛くもなんともない。だけど音が全く聞こえなかった。



 お屋敷を抜け出す時、ルナはジャム瓶のフタを開けて窓辺に置いた。

 四匹のトカゲはちゃんと逃げ出して、空になったジャム瓶がピンク色の空に染まっている。

 夜明けがもうそこに近づいていた。



次回、意外な結末へ

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