9 書きかけ書物

 その日は一人で森に行き、山ブドウを採って来ることになった。

「本当に大丈夫?道に迷わない?」

 クリに何度も尋ねられた。

「大丈夫、平気。道もちゃんと覚えた」

 そう強がってお屋敷を出てきた。


 クリに連れられて何度か行った森の奥の山ブドウの場所には、まだまだ実がたくさんなっていて、その日も元々はクリと一緒に行くはずだった。

 しかしクリがミランダ様から別のお使いを言付かり、一緒に行けなくなった。

「まだ一人で森に出るのは心配だから、キイロはお屋敷で他のお手伝いをしてて。山ブドウは明日一緒に行きましょう。料理番には私から言っとくから」

 クリにそう言われたが、なんだかそれはイヤだった。

 こっちの世界に来て何日経っただろう。ボクだって一人で出来るようになったところを、クリに見せたかった。


 クリから教えてもらった森の中の目印は、本当はまだ区別がついていない。

 これがキツツキの跡だとか、あれがリスの寝床だと教えられたけど、ボクにはさっぱり見分けがつかなかった。

 でも前回通った時に、近くの枝に目印の布を巻き付けておいたから、ちゃんとわかるはずだ。

 クリには「大丈夫」と押し切って、一人でお屋敷を出た。


 正直不安だったが、目印のおかげで迷うことなく、山ブドウの場所に着けた。

 よしよし。

 ここまで一人で来れたことでボクは少し自信がつき、ゲームのステージをひとつクリアしたような気分になった。


 やれば、出来る。

 何年前だろう。母さんに頼まれて、近所のスーパーまで妹の離乳食用のリンゴを買いに、初めておつかいした日のことを思い出していた。

 あの時、母さんが「カイトはやれば出来る」と誉めてくれた。


 山ブドウを摘むのはさほど時間が掛からず、詰めたカゴを背中に背負って、お屋敷へと戻り始めた。

 ボクは少し得意げな気持ちになって、自然と鼻歌がついて出ていた。


 ところが、リスの寝床を通過してから様子がおかしい。

 キツツキの赤い布の場所がなかなか出てこない。

 あれ、おかしいな。

 周りを見渡すが、森の景色なんて三百六十度どれも同じに見える。


 しまった。

 布を見落としたか、外れてしまったか。

 道に迷ってしまった。

 まずい、クリになんて言おう。

 いや、それよりちゃんとお屋敷まで戻らないといけない。


 やばい、やばい、やばい。

 ドキドキしてきた。

 どうしよう。


 しばらく迷いながら歩いているうちに、小高い丘の少し開けた場所に出た。

 ちょうどドッジボール場ぐらいの広さで、そこだけ日が明るく差し込んでいた。

 広場のような真ん中辺りに古い大きな切り株があって、ボクにはそれがテーブルのように見えた。

 テーブルに見えたのには理由がある。切り株の上に、分厚い本が一冊置かれてあった。


 ボクはその本を手に取ってみた。

 表紙は木の皮を使ったしっかりとした作りで、手にずっしりと重かった。

 使い込まれた一本の羽根ペンが中に挟んである。その羽根は真っ白で光沢があり、とても立派だった。


 表紙をめくった一ページ目に、たった一行あった文章が目に飛び込んできた。


 -昔々あるところに森がありました-


 最初の一ページに、そう一行だけ書かれてあった。

 ボクは好奇心に突き動かされ、次のページをめくっていた。




 昔々あるところに森がありました。


 その森のある王国は、隣国との長年に亘る領土争いに終止符を打ち、大陸きっての栄華を極めていました。


 人々は長い戦いから解放されたことを喜び、平和へと導いてくれた王を称えました。

 商人たちはこぞって世界中の珍しい品々を集め、競うように王室へと献上しました。

 宝物、美術品などに加えて、生きた動植物たちも集められ、城の中には大きな動物園や植物園までもが造られました。


 城では毎日のように晩餐会が開かれ、貴族たちが優雅な時間を贅沢に過ごしていました。

 世界中から集められた食材を使った料理に舌鼓を打ち、酒を酌み交わし、ダンスを踊りました。


 王室には王子が一人おりました。


 父親である王にも負けぬ品格を若くして身につけ、勇猛果敢、頭脳明晰で、剣の使いも敵なしでした。

 人々は今の王国が末長く代々続くことを、心から願いました。

 数多いる貴族の娘たちは皆、そんな王子に憧れました。

 そして誰もが未来のお妃になることを夢見ていました。


 ある日、城で開かれた舞踏会の場で、王子は一人の娘を見初めます。

 その娘は、華麗なドレスを優雅に着こなし、ダンスの踊りも艶やかな、とても見目麗しい娘でした。

 王子と娘は会話を交わすようになり、互いに惹かれあっていきました。

 最初は戸惑っていた控え目な性格の娘も、次第に自分が未来のお妃となることを、密かに思い描いていきました。

 娘にとってさぞかしそれは、何ものにも代え難い、夢みるような時間だったことでしょう。


 王子は娘に幾つかプレゼントを渡しましたが、ある時一頭のバクの子供を娘に贈りました。動物好きな娘を喜ばそうと考えたのです。

 南の島から連れて来られた珍しいバクの子は、娘を大層喜ばせました。

 バクの性格はおとなしく、娘にとても可愛がられました。


 しかし、娘にとって幸せな時間はそう長くは続きませんでした。


 王子が別の娘をお妃に選んだのです。

 娘は深く傷つき、森の奥深くに移り住んでしまいました。

 そこで毎夜毎夜、嘆き悲しみ、千年分の涙を流しました。

 それはそれは、とても深い傷つきようで、流した涙がひとつの沼になりました。


 そして娘は変わってしまったのです。




 文章はそこで終わっていて、その先には白紙のページが続いていた。

 作者が誰かはわからないが、これはおそらく書きかけの本で、まだまだ続く物語のほんの序章なのかなとボクは想像した。


 -そして娘は変わってしまったのです-


 最後のページの最後の行が気になって、ボクはその後の物語の続きがとても知りたくなった。

 一体どう変わってしまったというのだろう。


 その時、木の上の方でバサリと鳥が羽ばたくような音がしたので見上げたが、姿は見えなかった。

 すると今度は、いつか聞いたあの気味の悪い声がまた聞こえてきた。


「チリチリチリチリチリチリ」


 こっちに近づいてくる。


「チリチリチリチリチリチリ」

「チリチリチリチリチリチリ」


 あまりの気味の悪さに本を投げ置いて、一気に駆け出していた。


「チリチリチリチリチリチリ」

「チリチリチリチリチリチリ」

「チリチリチリチリチリチリ」


 声がボクを追いかけてくる。

 夢中で走った。気味の悪い声から逃げたくてとにかく夢中で走っていたら、なんと運良く目印の赤い布を見つけた。


 やった。

 道がわかった。

 このまま右にまっすぐ行けばお屋敷だ。

 ホッとした。


 ボクは右の道をひたすら走った。振り返って何も追いかけて来ていないことを確認するまで、ひたすらに走った。

 しかし、なんだろうあの気持ちの悪い声みたいなもの。

 地面に近い場所から、ボクを追いかけるように聞こえていた。


 お屋敷に戻り、採って来た山ブドウを調理場に届けた。

 料理番のおばさんが温かいハーブ茶を出してくれて、隅のテーブルで一息ついていると、間もなくしてクリが調理場に顔を出した。  

 クリもお使いから帰ったようだ。


「キイロ!どうだった?」

「まあ、なんとか」

 ボクは正直に帰り道で迷ったことを話した。

「そうなんだ。でも戻って来れて良かったね。心配してたのよ」

「うん、ありがとう」

 あれだけ見栄を切ったので、ボクは少々バツが悪かった。


「それとね、クリ。聞いてくれる?」

 ボクは、森の中で広場のような場所を見つけたこと。そこに書きかけの本があってそれを読んだこと。変な声に追いかけられたこと。その変な声を聞くのは二回目であることを一気に話した。

「あらー、いろいろなことがあったのね。本は知らないけど、今キイロが話したことは大体見当がつくわ。ふふ」

「え、そうなの?」

「うん。そうね、キイロにはまだ教えてないことが幾つかあるから、明日にでも時間作って一度案内するわ。紹介しておきたい方がいるの」

「紹介しておきたい方?」

「うん、切り株の広場のね」

 クリはそう言ってニコッと笑った。

 切り株の広場って、多分あの本を見つけた場所のことなんだろうな。

 紹介しておきたい人って、一体何者だろう。


 ボクはその夜、明日のことを想像して、遅くまでなかなか寝付けなかった。

 窓から見える夜空が深い色をたたえていた。

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