4 ここでの生活
「キイロ、朝よ」
翌朝、クリに起こされた。
眠ったのか眠れなかったのか、よくわからなかった。
夢を見ているような気分がしたが、ボクの顔をのぞき込んでいるクリを見て、昨日の出来事を思い出した。
そうだ、ボクは知らない森に迷いこんだんだ。なんとかして元の世界に戻らないと。
外泊なんて初めてだし、父さん母さんも心配してるだろうな。
「眠れた?」
「っ、はぁー」
あくびが出てしまった。
「ふふ、顔を洗ったら調理場の前まで来てね」
優しく微笑んだクリの顔に少し安心した。
グリーンの瞳が本当にきれいで、吸い込まれそうになる。
「ワタシたち召し使いの仕事は、お屋敷の雑務全般よ。それぞれの部屋からの頼まれものもあるし、ミランダ様から直接仰せつかることもあるわ。
働いている人たちは皆良い人よ。いじわるな人が一人いたんだけど、この前……辞めてしまって。
あなたが来てくれて本当に助かるわ。召し使いの仕事はいっぱいあって、忙しいんだから」
廊下の先に行くと、クリが待っていた。
召し使いって、本で読んだことしかない存在だ。まさか自分がなるなんて。
でも今は言われた通りやるしかないか。様子を見て戻る方法を考えなきゃ。
「はい、これ。キイロの」
そう言って手渡されたのは、クリが着ているのと同じフード付きの上着だった。
薄くて軽くて、着てみるとあったかくて、生地の表面がツルツルしているので、少々の雨にも大丈夫そうだった。
「クリはいつからここにいるの?」
「ずっと」
「え?ずっと?」
「うん、物心ついた頃からずっとよ」
「ずっと、なんだ」
「森の中に捨てられてたんだって。それをミランダ様が拾って下さって、今日まで育ててくれたの」
「えー、そうだったんだ」
話したくないことを聞いたかなと後悔した。
「捨てられてたのが栗の木の下だったから、クリって名前なの」
そうなんだ。捨てられてたって、だったら父親や母親の顔を知らないのか。
クリ、かわいそうな子なんだな。
「じゃあ、まず山ブドウを採りに行きましょう。料理番のおばさんから頼まれてるの」
ボクはクリと一緒に森へと出た。
「キイロはどうしてここに来たの?」
森の中を歩きながらクリが聞いてきた。
「それがわからないんだ」
「わからない?」
「そう、自分でも説明がつかないんだ」
「迷子になったって言ってたよね」
「あ、聞いてた?」
「ごめんなさい。昨日聞こえちゃった」
クリが肩をすぼめる仕草をし、舌先をチョロっと出した。
「うん、別にいいけど。キャンプ場に来て林の中で足を滑らせて、小さな窪みに落ちたと思ったらここにいた」
「キャンプジョウ?って何?」
クリが不思議そうな顔をした。
「え?えーと皆でバーベキューしたり、テントで泊まったりするところ」
「バーベキュー?テント?キイロは不思議な言葉をいっぱい知ってるね」
「え?あ、そかな」
クリはあまり言葉を知らないのかな。
「ふふふ、何だか面白い」
そう言って笑ったクリの笑顔は、ボクの気分を明るくしてくれた。
クリの案内で森の奥へと歩く。
舗装された道などなく、人が通って踏み締められた道が、森の中を何本か交差していた。
「山ブドウなら、こっちの方よ」
そう言ってクリが先を進む。
「どうやって目的地がわかるの?標識とか全くないのに」
「ヒョウシキって何?」
ボクは説明に困った。
「森の中にはいっぱい目印があるわ。キツツキの子供がつつく練習をした跡や、アカリスがお昼寝に使ってる寝床とか」
「そんなのがわかるの?」
「うん、すぐに覚えられるわ。キイロにも少しずつ教えるね。ふふ」
クリがいたずらっぽく笑った。この子は何か違う能力を持っているのかな。
利発そうでしっかりとしていて、子供っぽいあどけなさも残っているし、年齢も性別もよくわからない、特別な存在感を持っていた。
「ほらほら、あったあった。こっちこっち」
クリが走り出した先には大きな葉をつけた低木が、周りの木にツルを巻き付けて何本も茂っていた。
大きな葉の下には赤紫色の大粒の実がたわわに実っている。
「ほら、食べてみて」
クリが一粒もぎ取って手の平に乗せてくれた。
「うん、あまーい」
口の中に甘酸っぱい味が広がった。スーパーで買って来るブドウよりもよっぽど美味しい味がした。
「でしょう?ワタシも好きよ、山ブドウ。このままでもいいし、料理番がジャムにもしてくれるわ」
そう言ってクリも自分の口に一粒放り込んだ。
「ふふ、美味しいね」
クリがそう言って笑った。
持って来ていた手編みの籐カゴに、山ブドウを摘めるだけ摘んだ。二つのカゴがいっぱいになった。
カゴを背負って二人でお屋敷へと歩き出す。
「ねえねえ、クリ。ユメカイ屋って本当に夢を買ってるの?」
「うーん、そうみたいだけど」
クリが言いにくそうに返事する。
「夢って、寝てる時に見る夢?」
「だと思う。人の見たものを買わなくても、夢なんて見たいように見られるのにね」
「え?クリは見たい夢が見られるの」
「え?キイロは見れないの?」
「見れないよ、そんなの」
「そうなんだ。ワタシだけなんだ。知らなかった」
クリが不思議そうな顔をした。
「いいな。見たい夢が見れるって」
「見る方法があるの。今度教えるね」
見たい夢を見られる方法があるのか。それは教えて欲しいな。
「お店の仕組みのことは詳しく知らないわ。それに」
「それに?」
「それに、ワタシたちは自分の仕事のことを、他人に話しちゃいけないって言われてるの。ミランダ様に」
「なんで?」
「理由はわからない。だから、そのことが聞きたいなら、あの二人に聞いて」
キクゾーとキロクか。
「うん、わかった」
「ごめんね。ミランダ様を怒らせちゃいけないから」
「謝らなくっていいよ。怒らせたらどうなるか、クリはいっぱい見てきたんでしょ?」
その問いにクリは何も答えなかった。
クリが言った言葉の意味は、ボクにも何となく想像できた。
元の世界に一日も早く戻りたいけど、今はまず言われたことをやってみることにする。
このクリがそばにいてくれたら、ここでの新しい生活もなんとかやっていけそうな気になっていた。
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