3 深き森の魔女

「おい、クリ!クリはおらんのか!」


 女が叫ぶと、奥の木の扉から小柄な少女が飛び出てきた。

「はい、ミランダ様、お呼びで」

「クリ、こいつ新入りだ。名前はキイロ。しっかり仕事を教えておやり」

「はい、かしこまりました」

 クリと呼ばれた少女はそう答えて、うやうやしく頭を下げた。

「しっかり働くのよ、キイロ」

 女はそう捨て台詞を残し、鉄の扉の奥へと消えた。


「いやー危なかったなあ。お前、命拾いしたで」

 女が部屋を出ていったのを見届けたアナグマが、食いつき気味にそう言った。

「息止めの術で済んで良かったがなー」

「息止めの術?」

「そうや。一番軽い、息止めの術や。いま息できひんかったやろ」

 確かに。

 今のは術をかけられたってこと?

「あの人、何なんですか?」

「あの人って軽々しく呼ぶな。あのお方の名はミランダ様。この深き森の魔女」

「ま、魔女?」

「魔術の力は相当強いで。命が惜しかったら、ミランダ様には逆らわんこっちゃな」

「そ、そんな……」

 ボクには何がなんだか訳がわからなかった。

「ワシもこいつも元は人間やねんで」

「えーっ!」

 目の前のアナグマと小さいキツネが元は人間だったなんて。だから言葉がしゃべれるのか。

「二人とも猟師やったんや。山で獲物を探してたらやな、二人して谷から落ちてもうて、気づいたらこっちの世界や。なあ」

「なあじゃねえよ。おめえが足滑らせて、俺が巻き添えくったんじゃねえか」

 小さいキツネがアナグマに言い返す。

「おいおいおい、何を言うとる。元はと言えばお前が道間違えたからやろ。人のせいにするんはええ加減にせえ」

「なんだと、この野郎」

 今にも取っ組み合いを始めそうな勢いだ。

「喧嘩はやめてください」

 慌てて仲裁に入った。

 谷から落ちて、気づいたらここだった?ボクと似たようなこと言ってる。

 でもなんで動物になっちゃったの?


「なんでその、そんな姿になっちゃったんですか?」

「ミランダ様に変えられてもうたんやがな」

「えーっ、変えられた?」

「そや。出会うた時のミランダ様のご機嫌が悪かったようでな。二人で反抗したら、この有り様や」

「そうそう、こいつがえれー態度でかく出ちまってよ」

「何を言うとる。お前も口答えしたやないか」

「バカヤロー。てめえの最初の口のきき方が逆鱗に触れたんだよ」

「何を言うとる。お前の余計な一言がなかったらこうはなってなかったわ」

「なに、てめえ」

「なんや、こら」

「まあまあまあまあ」

 もう本当にすぐ喧嘩始めちゃうなあ。


「ワシら猟師や言うたんや。そしたら動物の気持ちもわかってみろ言われてやな」

「一瞬だ。一瞬でこんな姿にされちまったんだよ」

 えっ、そんなに魔術の力が強いの。

「こんな体にされてもうてやな、夏は暑うて暑うてかなわんわ」

 確かに、全身毛皮だし、脱いだりできないもんな。

「こいつなんてイタチやからな。自分の屁の臭さで三回気絶しよったんやで」

「うるせえ、五回だ。もう慣れたわ」

 そうか、こっちはイタチか。

「このユメカイ屋の前の店番がよ、何やったかは知らんが、ミランダ様の怒りを買っちまったらしくてな。石にされてナゲキの沼に放り込まれたんだってよ。それでそいつの代わりに、俺たち二人が店番になったってわけよ」

 沼って、きっとあの沼のことか。変な形の石があったの、あれ、人だったんだ。

 人を石に変えちゃうのか。こわ。


「ワシが夢の聞き取り役やからキクゾー。こいつは記録係やからキロク。ミランダ様に付けられた名前や」

「そん時によ、元の名前は頭の中から消されちまったんだよ」

 姿も名前も変えられたって、そんな。

「さっきなんや、キャンプ場がどうしたとか言うてたな」

「はい!テング山キャンプ場です!知ってますか?」

「知らん知らん、そら知らんわ」

「聞いたことねえなあ。それに知ってたところでよ、そのなんだ、あー、おいちょっと説明してやれ」

「ほらまたいつものこれや。面倒なことは全部ワシ」

「何を言ってやがる。いいから教えてやれって」

「やれやれ。ほんまにいっつもいっつも。

 うーん、まあしゃあないかあ。最初に言うといた方がええな。

 あんな、キミもあっちの世界から来てもうたんやろ」

「あっちの世界?」

「そう、元の世界」

「元の世界?」

「そや、こっちの世界にはな、元からこっちの世界に住んでるもんと、キミやワシらみたいにあっちの世界から来てまうもんとおるみたいやねん」

 は?なんだかまだよくわからない。

「なんでそんなことになっとるんか、さっぱりわからんけどな。そうなっとんねん。

 そんでな、気落としなや。これは言うといたった方がええと思うから、ワシら善意で言うんやで。 

 あのな、あっちからこっちに来たもんで、元の世界に戻れたもんはおらんみたいやねん。知らんけど」

「えーっ!……」

「残念かもしれんけどな、こればっかりはワシらにどうしょうもないわ」


 そんな……

 戻れない?……


「もう何年なるかな。ワシら結構長いで。最初のうちはやな、やっぱり帰りたい思てたんやけどな。なんやかんややってたら、こっちの生活に慣れてもたわ」

「住めば都って言うしな」

「ここもそんな悪ないで。まあ贅沢言うたら、人間の姿に戻りたいけどな」

「そりゃ、そうだな。今の仕事続けてもいいから、俺も人間に戻りてー。いつか術を解いてくんねえかなあ」

「まあ、キミもすぐに慣れる思うで」

「よろしくな、キイロ」

 アナグマとイタチ、いやキクゾーとキロクがボクを見た。


 よろしくなって……

 そんな……


 元の世界に……

 戻れない、って……本当?


 それまでずっとホールの隅で控えていた、さっきの少女がボクの近くに来た。

「ワタシはクリ。よろしくね、キイロ」

 そう言って目深に被っていたフードを脱いだ。

 オレンジ色の髪と尖った耳。瞳は吸い込まれそうな濃いグリーンで、肌は透き通るように白い。

 小柄で華奢な体から少女だと思ったが、顔つきは少年のようにも見えて、不思議な雰囲気をまとっていた。

「仕事は少しずつ教えるわ。今日はもう遅いし、明日からね。あなたのお部屋はこっちよ。さあ、行きましょう」

 ボクは訳のわからない展開に戸惑ったが、木の扉の奥に入っていく、クリと名乗った少女の後について行くしかなかった。


 木の扉の向こうには、長い廊下に面して幾つもの部屋があった。

 巨大杉が入り口になって、こんな風に奥へつながっているなんて、外からは全く想像できなかった。

 クリがひとつひとつ案内してくれた部屋は、広い調理場、洗濯部屋、修理部屋、裁縫部屋に道具部屋などがあり、それぞれに大勢の人たちが働いていた。

 そしてここはとても大きなミランダ様のお屋敷の一部で、ミランダ様自身は、鉄の扉の奥にお住まいになっていると教えてくれた。


「キイロはこの部屋よ。今日はゆっくり休んで。ワタシは隣の部屋だから、何かあったら遠慮せずに言ってね」

 更に奥に進んだ廊下の先に、小さな扉が幾つも並んでいた。使用人たちの部屋のようだった。


 クリが扉を開けてくれた部屋に入り、窓辺に置かれたベッドに腰を下ろした。

 自分の身に起こっていることを、まだ受け止められない。


 どうしよう……


 ひょっとして夢でも見ているのかと考えているうちに、疲れていたのか、横になったボクはいつの間にか、深い眠りに落ちていった。

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