第二章 せっかくの休み


「け、結局……昨日のあの子はどうなったんですか?」


 翌日の夕方。見回りを終えて公安局に戻る最中、アスマは頃合いだと思って昨日の件で気になってたことを質問した。

 一歩先を歩く小浪谷は前を向いたまま、用意してあった台詞を読むように答える。


「見た目からあのソウルレスが誰かに面倒見られてたのは分かってたから、その手のをハシゴして元いた村に返した」


 ほっと息をつく。良かった、あの子は元の住処に帰れたのか。

 安堵しつつ、アスマはこれはチャンスだと思った。

 見回り中は遠慮して話しかけるのを我慢していたが、今は会話の流れがある。今のうちに積極的に話しかけて仲良くなれば、後々仲間として認められるかもしれない。

 アスマは続けて口を開く。


「ああいう子には今まで結構会ってきたんですか? ずいぶん慣れてる感じでしたけど」

「お前に話す義理は無え」

「いやそんな義理っていうか……。せっかく仲間になる……かもですし、色々教えてくださいよ、小浪谷さんのこと」

「……じゃあ、」


 小浪谷はピタリと歩みを止め、アスマの方に振り返った。危うくぶつかりそうになって思わず仰け反る。

 夕日さす中、小浪谷はまぶしいものを見るような目でアスマの顔を見据え、


「俺と仲良くするコツ教えてやるよ」

「え? な、何です?」


 寄せられる期待を阻むように、生ぬるい風が二人の間を吹き抜けた。前髪が揺れて、小浪谷の寄せられた眉根があらわになる。


「馴れ馴れしくしてくんな」

「…………へ?」

「言ったろ、俺はお前のこと仲間とは思わない。認めるつもりもないって。今日ずっとそわそわ話題作りしやがって、意味ねーんだよバカ」


 「ッな」その強い口調に一瞬固まった後、辛うじて聞き取れた最後の言葉——バカってなんですか! とアスマが口を開けて、


「勝負事と同じだ。どんだけ劣勢でも、勝つ可能性が1パーセントでもあるなら必死に抗えばいい。……だが、0パーセントなら素直にすぐ諦めろ。それでも抗ってる奴は見ててイラつくし何より気持ち悪い」


 小浪谷はどこか投げやりな感じでそう言い捨てると、前に向き直って再び歩き出してしまった。ものすごい早足で。


「え、ちょ、え~…………?」


 独り残されたアスマは呆然と立ち尽くし、やがて肩をすくめて小浪谷の足跡をなぞる様に公安局へ戻り——いや、やっぱもう帰ろう、と公安待機宿舎へと足を向けた。ちょうど道端に落ちていた石ころを軽く蹴飛ばしてみる。

 ……なんだよそれ。

 こっちは小浪谷さんと仲良くしないと公安に入れないのに…………あ、でもああいうこと言うってことは小浪谷さんって将棋とか好きなのかな? 明日、話振って……いや、そういうのがダメなのか。

 道中ずっと悶々としながら、その日の疲れをすべて出し切るようにアスマはため息をついた。






******






 また翌日。

 早朝、アスマは眠い目をこすりながら公安局に向かった。出入り口のガラス戸に映る自分を見て、整い損ねた寝癖を指で整える。

 見回りは七時から始まる。あと数分で小浪谷は来るだろう。

 アスマはあくび混じりにため息をついた。

 返事してくれるようになったと思ったらアレだ。なんだか振り出しに戻った感じ。今日の運勢は曇りのち晴れだし、また共通の話題ハカセへの愚痴言ったら会話してくれるかな、とか考えていると……


「あれ? アスマくん?」


 聞き覚えのある女性の声がして顔を上げると、「こ、爻坂さん……」が目を丸くしてこちらに近づいていた。


「おはよ」

「お……おはようございます」


 手を振られて頭を下げる。

 前に会ったのは二日、三日前だったはずだが、ずいぶん久しぶりな気がする。そういえばちゃんと話すのは九州以来だったか。

 爻坂は警備の人たちに軽く会釈して、アスマに質問を投げかける。


「今日はどうしてこんな朝早くから?」

「あ、これから見回りで……小浪谷さん待ってるんです」

「え? 小浪谷なら今日休みだよ?」


 アスマは驚愕に声を漏らす。そんな話、小浪谷から聞いていない。

 本当ですかと尋ねると、爻坂は頷いて、


「私も今日休みだったんだけど、メンドーな仕事残しちゃってて……片付けに来た」


 爻坂は肩をすくめて恨めしそうな目を公安局に向けた。目の下のクマも合わさってどんより暗い雰囲気がある。


「め、メンドーな?」

「……書類整理、提出。サボってたぶん溜まっちゃってて、ホント猫の手も借りたい気分なんだよねぇ~。ね……アスマくん?」


 言いながら爻坂はどこか期待のこもったような流し目をアスマに向ける。

 「ッあ!」その言葉の区切り方から何か嫌な予感を感じ取り、八百万の嘘を騙るアスマの口は先手必勝とばかりに開いていた。


「じ、実は今日お昼から用事あって、見回りも途中で抜けるつもりで、ぼく……」

「え? そうなの?」

「は、はい。だから今日お休みでラッキーでした~……じ、じゃあぼくはこれで」


 尻尾を切り捨てたトカゲのように去ろうとするアスマの左肩に、爻坂は落ち込む人を励ますように、されどどこか力の籠った手を置いた。


「まだお昼じゃないし、はやくない? 中で休んどきなよ。お茶出すよ」

「い、いやそんなの迷惑になって……――」


 アスマがやんわりと断って振り切ろうとした瞬間、体全体にズシリと違和感が走った。

 気づいた時には遅かった。

 爻坂の喪服の袖口から伸びた一本の金鎖かなぐさりがアスマの腰に纒わって、蛇のようにとぐろを巻いている。

 痺れた体で目線だけ動かして爻坂を見ると、彼女の首は彼女自身の左手によって軽く絞められており、蛇の鱗のような痣が浮き出ていた。

 ――爻坂の霊能力。

 自身の首を絞めることを媒介に鎖を操ることができ、更には……


「ちなみに、その用事って具体的にはどういうの?」

「え……いや、それ…………は」


 アスマは必死にこれからの予定をでっち上げようとするが、


「……あ、あの、あれですよ。……ほら、ええっと……あれ、昼から……ッいや、もう……あの、えっと……あ、そのぉ……」


 頭がクラクラして、思考が空中分解する。

 どもるどころじゃない。何を言うべきかだんだんわからなくなってもはや何も言えなくなる。アスマは餌を待つ金魚のように口をパクパク開けることしかできなくなった。

 ――鎖を巻き付けた相手の身体と頭を金縛りにする霊能力を持つ爻坂を前に、言い抜けはあまりに分が悪かった。


「アスマくん」

「…………はい」

「本当は今日ヒマ?」

「…………………………はい」


 爻坂は実に満足そうな笑みを浮かべた。





******^^





「ぐぬ、うう~……」

 

 作戦会議室。アスマはパソコンの画面を睨みながら、頭を搔いて苦悶の声を上げた。

 パソコンは扱えるかと聞かれ、もう嘘はつけまいと、学園の授業で使ってたと正直に答えたら、このパソコン作業を手伝ってくれと頼まれた。

 ……こんなことになるなら、一縷の望みワンチャンに賭けて使えないって嘘つけば良かった。

 やること自体はシンプルだ。書類を読み込んで、パソコンにデータを打ち込むだけ。

 なのだが、アスマは学生の頃からこの手の課題が大の苦手だった。多分、提出率は十パーセント未満で、出した分も大体不可だったと思う。

 テーブルを挟んで真向かいの爻坂も苦手なのか、アスマ同様うめき声を上げながらタイピングしている。


「……アスマくん」

「な、なんです……?」

「進捗どう?」

「……ダメです」

「あ、作業そっちじゃなくて、小浪谷との方。どう、上手くやれてる?」


 アスマは手を止めて昨日までのことを思い返す。


「ダメダメです。拒絶されてばっかで……」

「……ふーん。『俺に馴れ馴れしてくんな!』みたいな?」


 正にそんな感じのことを昨日言われた。アスマは頷きを返す。


「私が最初会った頃も、そんな感じだったよ。一週間ぐらいかけてやっとまともに話聞いてくれるようになった」

「そ、それはどうやって?」

「とにかくダル絡んだら、諦めてポッキリ折れてくれた」


 爻坂はケロッと言ってみせたが、あんなにあからさまに拒絶の態度を示す小浪谷に対してダル絡みなんてしたら、二度と口聞けなくされそうなものだが。


「まぁ、人嫌いじゃないってのは分かってからね」


 爻坂はどこか懐かしむように宙に視線をやって、椅子の背もたれにもたれかかった。


「……小浪谷は他人ひとと仲良くなるのを怖がってんだと思う。前に監督も似たようなこと言っててさ。もしかして昔、沖縄の施設クラスで仲良くしてた子と色分けで離れ離れになっちゃったのかな~? とか思ったんだけど……、」


 昔、沖縄の施設で離れ離れになった。

 その言葉を聞いて、アスマはたるんでいた上体をむくりと起こして居住まいを正す。

 ……それって。

 あの沖縄での最初の記憶が蘇る。

 もしそうなら、その離れ離れになった相手は……——


「訊いてみたら、変な勘違いすんなって返されちゃった」


 俯いて、アスマは再びパソコンの画面に顔を向ける。

 九州で再会した時、小浪谷はアスマのことをすっかり忘れていた。二人が知り合いだったのは卒業までの数日間だけなのだから、仕方の無いことだが。

 あれから公安霊媒師になって色々なことがあったのだろうが、やはり認めてもらうにあたって、アスマは小浪谷について知らないことが多すぎる。

 本人の口は硬いが、爻坂だったら世間話ついでにもろもろ聞き出せるかもしれない。

 アスマはまず気になっていたこと——小浪谷を陰から見守る男女の集団がいた件について爻坂に訊ねると、


「多分それ、小浪谷のファンだよ」


 ファン? とアスマがオウム返しすると、爻坂はうんと頷いた。


「小浪谷、前にデカい霊障事件をひとりで解決したことがあるんだけど、それが大々的に報道されちゃって……。以来、動向を追われるようになって、ちょっとしたヒーロー扱いする人が出てきたの」

「……いますよね、公安を英雄視する人。それ、本人はどう思って?」

「めちゃ嫌がってた。サインくださいとか言ってくる子にウザそう~に対応してたら……いつの間にか陰から見守るファンばっかになっちゃってね」


 なるほど。彼らがたまにアスマに睨みを利かせてたのも、「なにお前小浪谷さんに近づいてんだよ!」みたいな意味合いがあったのかもしれない。


「爻坂さんにもファンいるんですか?」

「私? いないない。除霊じゃ全然活躍してないし、小浪谷みたいなヒーロー性もないしね」


 爻坂はため息をつくように視線を落とす。


「正直、九課の除霊はほぼ小浪谷のワンマンでさ~……。小浪谷は反対してるけど、私はどんどん仲間増えてほしいんだよね」


 爻坂がぼやきながらキートップを指先で撫でる。作業はすっかり止まっていた。

 話を聞く限り、小浪谷には何か仲間を増やしたくない、人と仲良くなりたくない理由があるのだろうか。

 本質的に彼が人嫌いではなさそうなのはアスマにも判るが……。


「——まったくだ。小浪谷くんはお堅くて困っちゃうね」


 その時、ガチャと部屋のドアの開く音が響いて、何者かが部屋の中に闖入してきた。

 その聞き覚えのある声にアスマは振り返る前から苦い顔をする。

 「監督」——ハカセは爻坂にただいまと返事すると、近くのアスマを見咎めておやと声を発した。


「奇遇だねぇ、アスマくん。良かった、ちょうど会いたかったんだ」






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