序章② 公安の二人
「ッ痛~」
関門トンネル――九州エリアのフクオカと中国エリアのヤマグチを繋ぐ海底トンネルを歩きながら、小浪谷は全身を襲う筋肉痛に顔をしかめていた。
たった徒歩十五分程度の距離だが、タクシーを使えないことが恨めしい。越境――エリア間の移動はライセンスの所持が必須のため仕方ないが、今だけは特例を設けてほしかった。
この前の戦い――あの霊能力者を相手に文字通り全身全霊を使い果たした結果、小浪谷の身体は既視感機械戦記『ボロボロボ』に出てくる“油の乗っていないスカイフィッシュ号”のようなぎこちない動きしか出来なくなった。多少はマシになっていたものの、昨日の除霊で霊能力を使って痛みが戻ってきてしまった。杖がほしい。
寂然たる薄明かりの洞内に響くのは、二人の足音のみ。一つはもちろん小浪谷のモノだが、もう一つは……
「ねぇねぇ小浪谷」
突如、後ろから肩を叩かれ、首をわずかに振り向かせる。黒いストレートの髪に、目の下のクマと猫背の姿勢。見た目だけ見れば暗い印象の少女が、何かのパンフレットを広げて小浪谷に見せてきた。
「これ、一緒に参加しない?」
『U20学生お笑いコンテストinシブヤ』そう書かれたパンフレットを一瞥して、小浪谷は初めて梅干しを口に含んだ子どものような微妙な顔をした。
「は、無理、ダルい。そもそも俺ら学生じゃねーし」
「制服着てけばバレないって! ネタは私が考えるからさ」
「じゃあ黒歴史確定だから行かない」
小浪谷がつれない口調で言い捨てると、少女は拗ねたように口をとがらせた。
「……ケチ! たまには付き合ってくれてもいーじゃん」
「やっと関東に帰って休めんだ。溜まった映画消化すんのに忙しいんだよ俺は」
「映画なんかいつでも見れるじゃん」
「……ア? なんか……?」
プツンと、小浪谷の頭に中でスイッチが入る。少女もそれに呼応するように髪をかき上げた。互いの目線がぶつかり、中間地点で火花が散る。
映画がいかに高尚かわからせてやる。
熱弁合戦の幕が上がり、洞内に迫真のプレゼンが響き渡る。だが、議論は水掛け論に入り、あげくお互いに相手の揚げ足取りを始め、最終的には……
「お笑い好きの女って地雷しかいねーよな」
「映画好きの男って偏屈ばっかだよね〜」
「「フン!」」
という、いつもの形に収まった。
……はぁ。
むしゃくしゃして頭を掻きながら、内心またやってしまったとため息を吐いた。小浪谷はそっぽを向いたまま、目だけを少女の方へ向ける。
小浪谷と同じ、黒染めの喪服に身を包んだ公安霊媒師の少女――
公安に入ってから長い付き合いになるが、お互い譲れないモノが多すぎて、しょっちゅう喧嘩してしまう。
小浪谷はプリプリ怒る爻坂の声を受けながら、トンネルを再び歩き出した。監督との待ち合わせをしていたが……これはだいぶ遅れるな。
ああ、やはり痛い、骨身に沁みる……。
付かず離れず。
公安第九課霊障事件対策係に所属する二人の日常。
そんな彼らのいつもの日々は……
******
「……と! いうわけで、こちらが今日から見習いとして第九課に入ることになったアスマくんだ」
「ッ……あ、ああアスマです。い、よろしくおお願いします!」
今日、この日をもって変わっていった。
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