第一・五章 ソウルレス


「……逃げたな」


 園内の雑木林スペース。 

 木々の陰を隅々見て回り、茂みの中まで確認したところで小浪谷は小さく舌打ちして結論づけた。

 辺りに人の気配はなく、アスマ達を見ていたという謎の人物は既にどこかへ移動してしまったらしい。元々ここには不審な人影の目撃情報を聞いて来たのだが……小浪谷は何か見当がついてるのだろうか。

 小浪谷はおもむろに腕を前に突き出すと、


物賦もののふ


 自らが内に宿す守護霊の名を口にした。

 小浪谷の身体から腕を伝って半透明の煙が芝生の上に飛び出し、やがてそれは形を成して「ワン」と鳴き声を上げた。


「さっきまでこの辺にいた奴の気配ニオイ、追えるか?」


 手足の透けた半透明のプードル――物賦は自らの鼻を舌でぺろりと舐めると、周囲を歩いて匂いをクンクンと嗅ぎ始めた。

 ……前にも視たけどやっぱかわいいな。

 そういえば以前、小浪谷が誠央学園に居たアスマと叶守の前に突然現れたことがあったが、あの時もこうやって物賦に位置を特定してもらってたのかもしれない。

 物賦はまた鳴き声を上げると、小浪谷を先導するように雑木林を抜け出していく。匂いの元を特定したらしい。

 小浪谷に従ってアスマも物賦の後を追う。

 林を抜け急勾配の坂を登ると、すっかり錆びてしまったマスコットの看板やメルヘンな意匠の遊具が散見されるようになる。看板の案内に従う形で元は改札口らしきゲートを通り抜けると、メリーゴーランドやコーヒーカップや動物の乗り物等、どれも古びて稼働していないが、小規模な遊園地が目の前に広がった。

 中に足を踏み入れ、あまりの静けさに思わず虚しさを覚える。その廃墟然とした雰囲気から、平日の昼間だから……とか関係なくこの遊園地に足を運ぶ人なんて現在ほぼいないことが察せられた。管理する人もいないのだろう。

 物賦はスンスン鼻を鳴らしながら歩いて、ある小さな建物の前に立つと、小浪谷に振り返って「ワン」と鳴き声を上げた。「見つけた!」と言わんばかりの表情。

 小浪谷が頭を撫でてやると気持ちよさそうに首を垂らして、物賦は半透明の煙となって小浪谷の体に吸い込まれるように戻っていった。

 物賦が示した建物は、シアタールームと記されたプレハブ程度の小屋だった。木造の秘密基地感あふれる外観で、シアターというより休憩所っぽいおもむきがある。

 扉は開きっぱなしになっているものの、中は黒いカーテンで仕切られているのか、暗黒に包まれていて外からじゃうかがい知れない。

 ……なんだか不気味だ。誰かが潜んでいると考えると背中に鳥肌が立つ。

 臆病風に吹かれるアスマとは対照的に、小浪谷は入口の前に立って堂々と、


「おい。そこにいんだろ、出てこいよ」


 と暗闇に向かって声をかけるも、ゴールを失った声が虚しく響くだけで、聞いてる人の気配すら感じ取れなかった。本当にこの中に誰かいるのか? もしや幽霊……?

 表情を変えずに小浪谷はポケットをまさぐると一歩前に踏み出して、


が気になって見てたんだろ? 全部やるから、欲しいなら顔出せ」


 先ほどアスマに投げ渡したカロリーバーと同じ種類のものを数本、ポケットから取り出した。小浪谷は見せびらかすように前に突き出して静止する。

 固唾を飲んで見守ること数秒、ふいに暗闇の中でごそりと影がうごめく気配がした。

 何か来る――! 察して肩が跳ねる。

 毒が出るか蛇が出るか、アスマは身構えてそーっと小浪谷の後ろにピタリと陣取った。

 ……最悪やばくなったら身代わりにして逃げるか――? とか考えた直後、小浪谷の肘がアスマのみぞおちにくい込む。危うくゲロリーバーが大地に還りかけた。

 やがて布が擦れるような音が近づいて、暗闇の中からおずおずと――は顔を出した。


「…………ん? え?」


 アスマはあまりの予想外に目を見開いていた。情報の負荷に脳の処理が遅れる。本来ここに存在しないモノが目の前に現れたのだから。


「…………………………こ、子ども?!」


 警戒する獣のように腰を低くして、ボロボロの布切れみたいな服にぶかぶかのジャンパーを羽織ったが、小浪谷にジリジリと近づいた。雑に伸びた前髪から、こちらの敵意を確認しているようなその目つきはまるで人間というよりタヌキやキツネとかの野生動物のようで……。

 彼女は一気に間を詰めると土汚れた細腕を伸ばして小浪谷からカロリーバーをひったくると、駆け足で小屋の中へ戻っていった。


「ッな、ななんでこんなところに!? 普通、沖縄……というか、共育省の保護下にない子なんて……」


 あわあわと慌てふためいたことを口走るアスマに、小浪谷が落ち着けとまた軽く肘打ちを入れ、


「お前、そもそもなんでメンタルカラーによる色分けがあるか知ってるか?」


 突然、脈絡のない問いを投げかけてきた。


「……へ? た、確か……を禁ずるため?」


 「そう」小浪谷は頷いて、小屋の中に足を踏み入れた。背中にくっつきながらアスマも続く。

 暗がりの中、目を何度か瞬かせると並べられた椅子や音響装置の存在がうっすら確認できる。


姦淫かんいんってのは異なるメンタルカラーのモン同士が交わることだ。……色分けの制度はその姦淫によって産まれる子を防ぐために生まれたんだよ」

「そ、それって……」


 小浪谷の視線誘導に従って部屋の端に目を向けると、一際ひときわ濃い暗がりのなか幼女がうずくまりながらカロリーバーの包み紙に悪戦苦闘していた。

 小浪谷が近づいて、包装を破くのを手伝ってやると、


「無表情、無言で社会性がない……魂が抜けてるみたいな様だからって、一部じゃこいつらは『魂のない者ソウルレス』って呼ばれてる。

 ……左目でこいつのこと見てみろ」


 え? 出し抜けなオーダーに当惑する。

 ……左目。アスマは目蓋を指で揉んで幼女に照準を合わせる。ゆっくり目を見開く。

       ――◇――

 目の奥がチカッと光った感覚がして、義眼スキャナーが作動。虹彩に薄く光が帯びる。

 右目の肉眼と左目の義眼、併用することで、アスマは視界に映った相手にを見る。生命線の形や動き、大きさはその人の行動や心情を表しており、アスマはその情報をなんとなく読み取ることができる。

 ……のだが――あれ? 

 横にいる小浪谷を見れば、スキャナーが正常に作動しているのはわかる。

 だがカロリーバーを頬張る幼女の身体からは、無色半透明の細い一本の線が、消えかけの蛍光灯のように薄~くチカチカ光っているだけで……


「……な、なんか、うまく見えないです」


 「ああ」小浪谷が頷きを返す。


「スキャナーだけじゃなく、ソウルレスは人からも認識されずらい。直接見ないと視界に映らないんだ。寿命も短いうえに幽霊として化けて出ることもないから、存在自体あんま知られてねぇ」

「…………初めて見ました」

「本州の細民窟スラムじゃたまに見かける。……多分こいつは流れてきちまったんだ」


 九州は他のエリアと地続きじゃない分、姦淫が起こりずらいことも、アスマが今までソウルレスを見たことなかった要因かもしれない。……最も九州はスラムだらけなので、存在しないってことはなさそうだが。

 幼女はよほど腹が減っていたのか、最後のカロリーバーもほとんど噛まずに一口で飲み込んだ。口元も足元も食べカスまみれで、なんだか、さっきまでの自分を客観的に見ているような気分になった。……満腹になってウトウトしているところも含めて。 

 こちらへの警戒は解かれたらしい。

 考えるべきはこの子をどうするかだが、とりあえず……


「……警察とか呼んで保護してもらった方がいいですかね」

「保護なんかされねーよ。社会において、こいつらは幽霊以上に透明だ」


 人間を扱うのが警察やカラーズネット、幽霊を扱うのが霊媒師。だが、ソウルレスを扱う組織やシステムはない――と小浪谷は静かに続けた。

 ……じゃあ、この子はどうするんですか? 

 アスマの問いを汲み取ったのか、小浪谷は眠たげな幼女を支えるように抱えると、


「元いた場所に戻してくる。ここにいたら余計な火種を生みかねない」

「だ、だったらぼくも――」

「俺の足だけ使った方がはやい。……お前は今日はもう上がれ。どうせ昨日寝てねーんだろ?」


 小浪谷は幼女を抱えたまま小屋から出ると小さく何事かをつぶやき、次の瞬間にはアスマの視界からフッとかき消えた。霊能力を使ったのだろう。振り返った一瞬、口から犬歯がはみ出ていた。

 ……あれがソウルレス――こちらと全く目を合わせなかったし、一言も発さなかった。

 単なるコミュニケーションが苦手な子とは一線を画す雰囲気があって、まるで人間と相対してる気がしなかった。おそらく向こうもアスマ達を同じ人間だと認識していなかったのだろう。

 これから本州での活動の中、またああいう子と会う機会があるかもしれない。 

 いやぁ、それにしても……



「——ひさしぶりに見たなぁ、ソウルレス

 …………………………………………え?」

 


 突然、誰かの声が聞こえた気がして部屋の中を見回す。だが、小屋の中はもちろん、外に出ても誰もいない。真上にはいつの間にか曇り空が広がっており、昼だというのに重たい空気が辺りを包んでいた。

 ……空耳? やけに至近距離からだったような。

 その時、アスマの耳に「ザッザザ……」とノイズが走るような音が入り込んだ。

 音の方、小屋の中に戻ると奥のスクリーンに灰色の映像が映っている。数秒して画面が明るくなると、映画かドラマのワンシーンが映りだされた。

 年寄りの男同士が涙を流しながら再会のハグをしている。


「……映画の音か?」


 なんだ、びっくりして損した。

 アスマは勝手に起動したと思しきプロジェクターを見咎みとがめて電源を切ると、映像が消えたのを確認。

 そこでアスマの電源も切れたのか、緊張感が解けて眠気が急激に襲いかかってきた。

 小浪谷さんの言うとおり、昨日寝てない分はやく帰って寝よう。

 アスマはあくびを漏らして、公安待機宿舎への帰路についた。



         ――◆白昼夢の寝言……





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