第四章 モラトリアムボックス②


 購買は第三校舎の脇にある職業紹介所の隣という僻地にあるため、敷地の真ん中に座する食堂とは打って変わって閑散としている。

 狭い店内には一人だけ、学帽を被った少年が惣菜パンとカロリーバーを購入していた。

 凛々しい顔つきに低めの背丈。見覚えのあるような無いような……恐らく学年が一緒の別クラスの生徒だろう。珍しいな。

 彼はプログラムされたような動きで会計を済ませて、流れるように購買を出ていった。

 昼食はいつも購買ここで済ませているのだろうか。疲れた顔をした教員以外、誰も利用していないと聞いていたから、生徒がいたのは意外だった。

 自分はなんとなく彼と同じ焼きそばパンとその他もろもろを購入し、落ち着ける場所を探して校内を練り歩いた。 

 ……教室は他クラスの生徒に占領されてたし、屋上はこの時間閉鎖されてるし、どこで食べよう。

 もうこうなったら学食で立ち食いしてやろうか、そんなことをボーッと考えていると……

 

「あああああっ!! いたあああー!!!」


 突如、背後から耳を聾する大声が廊下に響く。何事かと首を巡らせる矢先、声の主は後ろからタックルするように自分に突っ込んできた。

 

「うわ!」


 肩がぶつかった勢いで思わずたたらを踏む。何事かと影から姿形へ目線を上げると、目の下に濃いクマのある、三つ編みの少女が興奮した様子で肩を震わせていた。


「ようやく見つけた……! アスマくん、私のこと……というか、今までのこと全部覚えてる?!」

「…………………………………………え?」


 彼女はこちらに近づくと、矢継ぎ早に意味のわからない質問を投げかけてきた。

 突然のことで困惑し、空返事にも満たないシャックリのような疑問符を喘ぐことしかできない。

 ……どうやら急いでいる様子だが、いきなり何なんだこの人。


「まあ、そうだよねぇ。私も蟒蛇うわばみが憑いてなきゃ『結界』の催眠に飲み込まれてただろうし。アスマくんはこういう状況も初見だろうし、自力で気づくのは不可能か……」


 彼女はブツブツとつぶやき、何か納得したように頷いたが、全く状況が飲み込めない。早とちりされているのか、自分が失念しているのかも不明だ。話を聞いているうちに、不思議とどこか見覚えのあるような気がしてきたが、やはり会ったことはないはずだ。彼女がさっきから言っている名前は、自分とは当てはまらない。


「人違いしてません? 自分はそのアスマさん? じゃなくて……――――――あれ?」


 ――■■■。

 名乗ろうとした瞬間、頭からすっぽり抜け落ちたように、その名前が思い出せなくなる。引っかかりすらない。

 ……嘘。自分の名前をド忘れするなんて、自分で自分が信じられない。

 あたふた言いあぐねていると、少女は声のトーンを落とし、言い聞かせるような口調になる。


「落ち着いて聞いて、アスマくん」


 彼女は左手で自らの首を絞めると、どういう因果か、彼女の制服の袖口から鎖が這い出て■■■の胴にとぐろを巻いた。

 途端、頭も含め身体全体がぼーっと痺れたようになる。

 全てが唐突で初めてのハズなのに、この感覚もどこか覚えがあるような……。


「君は公安霊媒師見習い。今日は私達と自殺オフを食い止めにここに来た」

「……いや、ぼ、ぼくは……」

「本来この学園は廃校のはずでしょ。ほら、お昼に観た映画とか覚えてる? その後にクレーンゲームで小浪谷と勝負してさ、監督から呼び出されたじゃん?」

「? ……?? ? ??? ??」

「……………………ダメか」


 少女は鼻からため息をついて「しょうがないか」とつぶやき、


「アスマくん、ちょい目を閉じて」

「……? な、なぜ?」


 と、口では言いつつも、鎖に縛られているからか、無意識に瞳を閉じてしまう。


「せい!」


 そして、閉眼して一秒も経たないうちに、パチンッという快音が響いたと同時に■■■の目の裏に星が瞬いた。「ぎゃ!」頬からの衝撃によろめいて、自分がビンタされたことに遅れて気づく。


「痛ッ! な、なにんすんで――――あ、」


 抗議の声を上げようとして、そのまま口を開けたまま数秒固まる。脳に直接電流が流されたように、怒りが疑問に変わり、疑問が覚りに変わる。

 目を瞬かせると、今まで鮮明だったはずの学園風景が、薄くモザイクがかかったように全てボヤけて見える。ただ、目の前にいる爻坂だけがハッキリと視認できていた。

 名前も立場も今までのことも……頭の栓が抜けたようにすっかり思い出した。

 どう? 思い出した?

 覗き込んでくる爻坂に、アスマはヒリヒリ痛む頬を撫でながら頷いた。


「お、おかげさまで……。爻坂さん」





******





「……じ、地縛霊?」

「そう、土地に憑く霊。その土地に人を招き入れて縛る悪霊――それが地縛霊」


 廊下を足早に歩きながら、爻坂は早口で今の状況とその原因について説明した。


「地縛霊は人に憑依しない分、霊能力は使えないんだけど、代わりにこういう特殊な領域――『結界』を張るの。結界内は独特なルールが設けられたりして、モノによっては超厄介なんだけど……今回の地縛霊は昔あった学園風景を繰り返し模倣エミュレートしてるだけっぽいね。入ってきた私達に催眠をかけて、学生のロールプレイなんかさせちゃって」


 ロールプレイと聞いて、そういえばアスマは自分と爻坂がいつの間にかここの学園の制服を着ていることに気づく。

 爻坂に至っては髪型も三つ編みにイメチェンされているが、これも地縛霊の催眠? によるもので、そういう風に見えているだけなのだろうか。


「私は今日たまたま守護霊を憑けてたから、すぐに催眠は解けたんだけど……。小浪谷とかオフの参加者達は、多分アスマくんみたいに催眠にかかっちゃってると思う」


 爻坂は校内のあちこちに目線を配りながら、説明を続ける。「あ、そうだ」と爻坂はついでとばかりにこんなことを尋ねてきた。


「アスマくんはどうして公安霊媒師わたしたちが守護霊を憑依させるか知ってる?」

「……え? れ、霊能力を使うため?」


 アスマは真っ先に思いついたことをそのまま口にする。公安霊媒師はイコール霊能力者なのだから、守護霊だってまず霊能力のために憑けるものだろう。

 爻坂は「まあ、それもあるけど……」と少し不承な顔をして、自らの頭を指さした。


「第一に。民間霊媒師だと、頭にヘルメットとか被ってる人いるでしょ? あんな感じで、公安霊媒師は頭部に守護霊を憑けることで物理的、精神的な攻撃から頭を守るの」

「……頭?」


 そう言われて、前々から疑問に思っていたことを思い出す。

 公安霊媒師が身につける喪服は、悪霊からの攻撃に耐えられるように頑丈なつくりになっているというのは有名な話だ。それならどうして公安霊媒師は人体で一番傷を被るべきではない頭部には何の装備も付けないのか。おかしいではないか。それこそ、ヘルメットでも付ければいいのに、と。

 ときに、爻坂は霊能力を発動する際、首や舌に特徴が現れていた。小浪谷も口から半透明の犬歯が剥き出しになっていた。

 アレは守護霊を頭部に憑依させていたから、そういう変化が頭の辺りに現れていたのだろうか? ……そういえば、あの時、アスマが叶守を憑依させた時にも……


「まぁ、詳しい説明はまたいつでも。今はとにかく小浪谷達を見つけよう。結界から出る時は全員一緒のがいいしね」


 爻坂はアスマを思考の渦から引っ張り出すと、辺りを見回すように促した。

 よーし。アスマは気を引き締めて、向こうの東側校舎へ目を向ける。


「二手に別れましょう! ぼくはあっちの方を探してきます」

「威勢いいねぇ。でも大丈夫? 一人で」

「ええ、今日のぼくの運勢は曇りのち晴れ。もしヤバくなったら声出して逃げます!」

「……そっか。まあ、地縛霊は直接人を襲ったりしないだろし……。うん、じゃあ、そっちは任せよっかな」

「はい! 行ってきます!」


 アスマは元気よく返事し、廊下を駆け抜け階段を三段飛ばしで降りていく。

 これはチャンスだ。ここで活躍すれば、あの小浪谷さんだって認めてくれるはず。

 真っ先に催眠を解いて、ぜったい恩を売ってやるぞぉ!










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