第四章 モラトリアムボックス③


 と、意気込んで校内を走り回ってみたものの、まるで手がかりがない。

 結界内だからか、開運方位ペンデュラムも一天地六ここ掘れダウジングも何の反応も示さない。

 先ほど洗脳が解けた際、ボヤけた校内風景の中で爻坂の姿だけは鮮明に見えていたことから、恐らく現実の人間だけはハッキリ描写されるのだろう。周りの生徒達の話し声は、今は耳栓を通したように聞こえる。

 玄関から中庭へ足を運ぶ。真っ白な雲が空一面を覆ってはいるが、辺りは昼の明るさに包まれている。

 結界の外は今おそらく夕方頃だろうか。催眠状態にあったからか絶対時間と体感時間が乖離しているような気がする。どうにもモヤモヤするし、あまり長居はしない方が良さそうだ。

 

「…………お?」


 ふと、両手に手応えを感じると、握りしめたダウジングが左右上下別々の方向にアングルロッドを向けていた。一方、手首に引っ提げていたペンデュラムは前方に強く反応を示している。他にも、開運方位を示すアイテムそれぞれがあっちへこっちへ東西南北バラバラの方向を指し示していた。


「な、な……!? え、ええぇ!?」


 おかしい。普段なら多少の誤差はあれど大体同じ方向を指し示すはずなのに……結界の中だからバグったのか? 急にラッキースポットがあちこちに生えてきたのか?

 いや、違う。これは……まさか、逆?

 ――ぼく……?

 凶兆。

 背筋を氷で撫でられたような寒気がして突如、胸の辺りから燃え上がるような黒い瘴気が湧き出した。

 視界がどす黒いモヤに覆われ、暑いようで寒いような不気味な風がわだかまる。

 その中で、


「ギギ鍄█ハハハ袮███軅ハハ閠ハ!!」


 ノイズがかった、高らかでありながら泥のように濁った哄笑が、アスマの身体全体に響き渡る。それに付随するように蟻走感に似た肌触りの黒雲がまとわりついて、気持ちの悪い閉塞感に襲われる。


「うわわわわわ!」この感覚、この耳をザワつかせる声は間違いない……悪霊だ!!

 

 無意識に呼吸が浅く早くなる。

 こいつが例の地縛霊か? まさかいきなり現れるなんて……。 

 どうする。どうしよう。武器も霊能力もないし、逃げようにも風が障壁となってどこにも進めない。弾かれる。

 ひた、と何かが迫ってくる気配がする。

 落ち着け、パニックになるなパニックになるな今日の運勢は曇りのちアレだから今にきっとアレでこれはきっと映画の撮影かなんかで実は全部モキュメンタリー的ドッキリで草場の影からハカセがそれか最新技術系ホログラムの夢を見てるだけでこんな大凶な筈が。

 

「うお■彁おおおおおおおおおはあ!!!」

「ひひぇーー! だ、誰かあああ!! 爻坂さあああああああん!! 小浪谷さあ――」

 

 最後の手段、大声を上げても風音とノイズでかき消されてしまう。

 終わるのか。こんな所で、公安霊媒師にも今話題の占い師にもなれないまま……運にもツキにも見放されて。

 嫌だ。それに、もう二度と……


「…………―――――――――叶守……」


 蚊の鳴くような呟きだった。視界が完全に黒で染まり、目を開けているのか閉じているのかも判らなくなったその時、「ん?」突拍子もなく思い出した。

 ……あれ? でも爻坂さんは地縛霊は直接人を襲ったりしないって言ってたような。

 それに、今一瞬だけ、風がアスマの声に反応したように揺らいだ気がした。


「……………………………………叶守?」


 急に風の勢いが弱まる。哄笑が止んで、黒煙が蜘蛛の子を散らすように吹き飛んで、視界が嘘みたいにクリアになった。

 黒々とした風はブラックホールのように一点に凝縮されると、小さく形を帯びて、ふわりと地面に着地した。


「えぇ~? 誰ですの? 今ワタクシの名を読んだのは~……って、あ、アスマか」


 黒いオーラを纏った、その二十センチ前後の可愛らしい綿人形は、嫌味ったらしく口元にシワを歪ませて、アスマの足元で煽るようにふわふわと跳ねた。ドッキリ大成功と言わんばかりのその小憎たらしい態度が、生前の姿と心なしか重なって見える。


「……………………いつから起きてたの?」

「ン~? え、な、うわわひひぇ~誰かぁ~さんがこの学園に入って、うびびびびボクは何処ニデモイル普通の学生って催眠った時には既に、……いや、あるいはこの世を影で操る極悪極秘秘密結社ダークソサエティによって爪楊枝の溝に隠された真実が明かされたあの瞬間にはもう……?」


 閉まっちゃう人形――もとい、叶守は要領を得ない世迷言いんぼうろんをブツブツと呟きながら、シンプルな人形の顔でやたら真面目な面構えをしてみせた。

 たしか、昼にハカセから受け取った後、服の中に忍ばせていた筈が、いつの間に飛び出したのやら。前半の話を聞く限り、この学園に入った時には既に起きていたようだが、


「……ずっと起きてたなら、いままで何してたの?」

「人生ですわ」

「ふらふらしてたの?」


 叶守は腕を組んで神妙に頷く。

 どうやら、催眠中のアスマに話しかけても何の反応も返ってこなかったので、暇を持て余して校内のあちこちを探索していたらしい。


「だったら叶守、どっかで小浪谷さん見かけなかった?」


 他の自殺オフの参加者も同様に探しているんだけど。と今の状況を軽く説明すると、叶守はすごく短い首をコテンと傾げて、


「あ? 粉? 誰です? ……あ、そういや、さっき体育館裏に独り黄昏たそがれてエモぶった顔した如何にもシネフィル臭くっさ~なガキならいましたわね。そんなことよりアスマアスマ、さっき鉄球部が部員募集してたんですけど、回転の熱で氷を溶かしててハンドスピナーの要領で、」


 間違いない、それは小浪谷さんだ。

 アスマはもうほとんど確信して、自分語りの止まらない叶守を小脇に抱え、体育館の方へ向かうことにした。





******





「……ところで、なんか随分馴染んでるね」

「んァ? 何がです」

「その体だよ」


 アスマは、頭の上に乗った叶守を指先でひと撫でする。つるんとした素体の肌触りの内に、柔らかい綿が忍んでいる感触がある。

 霊体とはいえ、以前まで人の体だったものが、体格も行動範囲も縮小した人形の体になってしまっては不便も絶えないだろう。

 だが、今の叶守は不思議とその体を受け入れて、楽しんでいるようにすら見える。

 そのことを疑問に思っていると、


「最初は発狂しましたわ。なんでワタクシがこんなマスコットみたいな体にって」

「…………あぁ~」


 生前、マスコットバットを振って大暴れしてたバチが当たったのでは、とアスマは内心ちょっと思った。


「まあ、でも可愛いしいいか。こういう形態もあった方が人気も出そうだし、と思って半分受け入れましたわ。もう半分は殺意」


 叶守は言っててムカついてきたのか、凄みをきかすように黒い瘴気を体に帯びた。

 アスマは落ち着かせるように、背中の部分を撫でながら、改めてよく出来たデザインだなと感心した。

 大きい丸顔、丸みを帯びた手足。それでいて、服の意匠や頭の髪飾りは本物以上にきめ細やかで、二・三頭身の人形のものとは思えない。

 元々、叶守がデフォルメ感のある見た目なのも相まって、今では脳が完全にこの綿人形を叶守だと認識してしまっている。

 たしか、ワタヌキという人が作ったらしいが、恐らく相当の技術者なのだろう。裏メンバー、とハカセは言っていたが、いつかその人にも会う日が来るのだろうか。

 そんなことを考えながら、アスマは体育館へと急いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る