第四章 モラトリアムボックス


 カッカッカッと白いチョークが黒板を叩く音が響く。

 黒板にはスペア語の文章が並び、エスだのブイだのオーだのシーだのが単語の下に添えられた。

 教師は教室に座った生徒たちを眺め、文章を指差し「これの意味がわかるか」と挙手を促す。

 自分は何もわからないので窓の外に目をやった。校庭では隣のクラスの生徒たちが和気あいあいとドッジボールをしていた。

 ……いいなぁ。体育。この後は昼休みだから、思う存分お腹を空かせられるし。

 お腹が空いてる時に教科書を読んでると自分がヤギにでもなってしまったような感じがして気が滅入る。しかも、このヤギ時間の間は時計の針がなかなか進んでくれないのだ。

 

「――おい、■■■。何ボーッとしてるの」


 突然、至近距離から声をかけられ、思わずびくりと肩が跳ねる。

 振り向くと教師が机の横に立っており、腰に腕を当てて自分の顔を睨んでいた。

 いつの間にこんなに肉薄されていたのか、いくらなんでも呆けすぎた。

 それだけ余裕そうなら当然あの文章は訳せるんだろうね、と自分は教師に起立を促される。

 Pleaseなんとかかんとかと書いてあるが、まるで意味不明のスペア文字列だ。

 自分は顔にダラダラ冷や汗をかきながら、

 

「えっと、ぷりぇーせ……ぴりー?」

「……Pleaseね」

「え? あ、ポイズン?」

「……ふざけてるのか? 君、なあ?」

「いや、痛ッノーノー! アイムストロベリーソーリーユースーン! Yeah!!」






******






 痛い。耳が痛い。

 自分は目尻に涙を浮かべ、机に突っ伏していた。何もあそこまで詰めなくてもいいじゃないか。

 授業が終わって昼休み。

 浮き足立った生徒たちはそれぞれの友人グループに集って昼食の準備をしている。

 さっきまで腹が空いていたのに、今はキリキリ痛くて食欲も湧いてこない。

 ため息をつくと、前の席の男子生徒がこちらに振り返って憐れみと嘲りの目を向けた。


「お前、本当にスペア語苦手なんだな」

「……アイムベスト。アイライクスシ」

「その調子じゃ、その面拝むのはあと一年が限界だな。良かった」

「……アイムファッキュー」

「ミートゥー。お前、今日も学食?」

「うん」

「じゃ食い行こうぜ」


 彼は席から立ち上がると、カバンから財布を取り出し、廊下を抜けて学食の方へ足を向けた。

 この生徒は自分の数少ない友達。席の近さから自然と仲良くなって、今では無遠慮に話せる仲になった。

 名前は……あれ? 名前はなんだっけ?

 ……まぁいいや、友達だよ。友達Aくん。

 痛んだ腹を撫でながら昼食は何にするか吟味していると、Aくんがまず何時もの如く、当たり障りのない世間話を振ってきた。

 

「お前知ってる? 学園都市の再開発計画」

「? 何それ?」

「情弱。学芸財団主宰の一つの巨大な学園をつくるって構想だよ。いつかここら辺も再開発区になるって噂」

「へぇ……。じゃ、ここ廃校になんの?」


 Aくん。彼は前を向いたまま頷いて、皮肉な調子でつぶやいた。


「俺らが財団に払う奨学金で、この学園は潰されんだって。いい話だろ?」

「ふーん。……まあ、その頃にはもう卒業してるでしょ。どーでもいいね」

「……今の成績じゃ、お前は廃校までずっと留年だろうけどな」


 彼は毒性な笑みを浮かべているが、スペア語以外の科目は自分と似たり寄ったりの成績だ。月に一回の進級相談会にも常連。留年の危機に瀕しているのはお互いさまでしょ。


「留年なんか御免だね。せっかく卒業しても心証悪くなるし。…………まあでも、」


 彼は何か言いかけたまま口を閉ざし、どこか遠くを見るような目をして、そのまま流し目に学食入口に提示された日替わり定食のメニューを興味なさそうに眺めた。

 テーブルやカウンター、テラス席。食堂は至る所すでに生徒たちでごった返しており、食券販売機の前にも長蛇の列ができていた。

 喧騒、人混み……待ち時間を予想するだけでうんざりな顔になる。


「列並ぶの面倒だし購買で済まさない?」

「いやだ。今日は唐揚げ弁当の気分」

「今日はって……毎日食べてるじゃん。よく飽きないね」

「一生食える。食ってたい」


 そう言うと、彼は列の最後方にズズンと立って財布の中からワンコイン取り出した。意志は固いらしい。……学食の唐揚げ弁当は値段が安い割に無難に美味しいからなあ。

 自分は腹が満たせれば何でもいいので、購買の(あんまり美味しくない)惣菜パンでも問題ない。ということで、


「じゃあ、今日は別々で」

「ん、またな」


 自分は軽く別れを告げ、踵を返して購買の方へ足を向ける。

 数歩歩き、早足でスパートをかけようところで、「なあ」と後ろから声がかかる。振り返った先にあったの顔はどこか改まった雰囲気を帯びていた。


「お前って、ホントに帰属意識とか持たない奴だよな」

「貴族? 何いきなり、どういう意味?」

「……いや、それ以上バカになる前に、たまには冷や飯以外も食えよってこと」


 その言葉を最後に、呆れた顔をして彼は列の方に向き直ってしまった。

 なんだよそれ。余計なお世話だよ、エブリデイ唐揚げマン。


 



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