第一章 俺はこいつのこと、仲間とは認めねぇ!③


 いぶし銀な鉄骨のアーケードの下、買い物袋を掲げた人々が往来を賑わせている。

 コロッケたこ焼きメンチカツ、商店街には唾液腺を刺激する香ばしい匂いが満ちていて、つい買い食いしたい気分に駆られるが、あいにく今は見回り中で、そんな金もないのだった。

 アスマはついあちこちに泳ぐ視線を、三歩先を歩く小浪谷に向ける。公安局中国支部から出てきて一言「いくぞ」と言われたきり、無言で歩き続けていた。 

 ハカセからいきなり「小浪谷くんの見回りに連れて行ってもらえ」と言われ、何の準備もなしに外に出てしまったが……なんだか、見えない手錠をかけられて連行されている気分だ。

 このままずっと黙しているのは、アスマの性分的に耐えられない。とりあえず何か訊ねよう。


「……ッあ、あの!」


 開口一番、吃驚としたような声が飛び出た。


「こ、小浪谷さんって、毎日こういう見回り……とか、や、やってる……んすか?」

「……………………………」

「あっ、ぼ、ぼくこういうの初めてで……何か、こう気をつけた方がいいこととか、あ、あったり……?」

「……………………………」


 のれんに腕押し。小浪谷は振り返ることも返事をすることもなく、アスマの声は竜頭蛇尾なグラデーションのように尻すぼんでいった。

 会話をする気はさらさら無いらしい。色々あって、好かれてはいないと思っていたが……前途多難だ。

 だが、せっかく公安に入ると決めた以上、その仲間とは出来れば仲良くしたい、距離を詰めたい。アスマは意を決して一歩半分、小浪谷に近寄った。

 

「き、今日良い天気ですよねぇ? こんな日は辻占いの調子がよくて~……」


 そう、めげずにもう一度口を開いたところだった。


『――コード:#8F478D。対象ノ色彩二超過ノ濁りヲ感知。不適ノ為、直ち二この場ヲ離レテ下サイ』


 突如、無機質な機械音声と共にけたたましいアラーム音が辺りに鳴り響き、アスマの声が遮られた。

 びくりとして、反射的に音の方へ目を向ける。前方、街頭付近に設置してある生態スキャナーが、レンズを薄紫色に光らせながらアスマの顔を捉えていた。


 ――しまった! 瞬時に顔が青ざめる。

 

 初めての土地とギクシャクした空気……その興奮と緊張ですっかり失念していた。

 アスマの精神色相メンタルカラーは常に薄汚れている。ゆえに、日の当たりのいい繁華街や上品な施設等の一定水準以上のクリアないろが要求されるところに入れば、設置されているスキャナーに引っかかってしまう。

 だが、まさかこんな所にも置いてあるなんて。せめてもっと注意してバレないように歩いていれば……。

 周りの歩行者の差すような目が突き刺さる。アスマは金縛りにあったみたいに動けなくなり、あたふたと視線を泳がせる。いつの間にか小浪谷は視界から消えていた。


「ねぇ」


 突如、肩を叩かれ振り返ると、目の前でガタイの良い男二人組がアスマを見下ろして立っていた。


「君、色彩異常? ダメでしょ。ここにいちゃ」

「え、いや、あ……」

「向こうは学園都市だよ? 今は再開発中で立ち入りも制限されてるのに……知らないの?」


 正義感の強さを感じる彼らの表情に、思わず身がのけ反る。冷や汗を垂らして口ごもるアスマを不審に思ったのか、男の一人が生態スキャナーの方を見遣ると、薄紫色の表示に「あ!?」と声を漏らした。


「紫色って……。お前、九州の!?」


 その男の言葉で、座視していた観衆の間で一気にざわめきが広がった。色めきだった視線がどんどん集まり、アスマの下に収束していく。

 九州エリアの治安の悪さから、『紫茈バイオレット』は七色あるメンタルカラーの中で最も印象が悪い。その色相を持った者が、九州以外のエリアで色彩異常者として見なされたのなら……そいつの印象はもはや最悪でしかない。

 誰かが悲鳴にも似た声を上げた。男二人が警戒態勢を取り、彼らに加勢するように、また別の男達がアスマを取り囲む。


「お前、何でこんな所にいる!?」

「不法滞在か? おい、何か言ったらどうだ?」


 男達にジリジリと圧をかけられ、アスマはパニックから訳も分からず半笑いの表情を浮かべる。頭も口もまともに回らない。完全に犯罪者扱いだった。携帯を構えて撮影している者もいる。

 矢も楯もたまらず逃げ出したくなるが、足が動かない。腕を引っ張られ、どこかに連れていかれそうになる。

 めまいのような感覚がして、視界に暗がりが生じた……その時だった。


「ちょっといいですか?」


 涼しい口調ながら、確かに響く声がした。周囲の人間が一斉にそちらに振り返る。

 声の主――小浪谷は人並みから抜け出すと、にこやかに笑ってこちらを見た。


「スキャナーに引っかかったってのは君?」


 小浪谷は公安手帳を取り出して見せて歩み寄ってくる。

 いなくなったと思えば……張り付いたような笑顔の小浪谷さんが戻ってきた。

 困惑しながらも、ししおどしのようにカクンとアスマがうなずきを返すと、


「メンタルケアのために、公安局まで同行してもらってもいいかな?」


 やけに優しい言い方が空恐ろしかった。


「へ? ……え、ええっと?」

「いいかな?」

「あ、はい……」


 語気から圧を感じて、思わずもう一度うなずく。断ったらダメだと本能が告げていた。

 案内するからと、当惑する男達をしり目に小浪谷はアスマの手を引いて元来た道へズンズン歩を進めていく。

 観衆の奇異の目から離れるように商店街を抜け出すと、小浪谷は脇道に逸れて裏路地に入った。中ほど辺りで立ち止まるとアスマから手を離し、苛立たしげに舌打ちした。


「……ッムカつく」


 頭を掻いてクソと悪態をつき、それでもイライラが収まらないのか、小浪谷は空のゴミ収集庫を見つけると、あろう事か執拗に蹴りを入れ始めた。


「どいつも! こいつも! 人を! 色眼鏡で! 見やがって! キメーんだよ!」


 ――ガン! ゴン! ドガン!


 とても公安とは思えないチンピラ仕草に、アスマは絶句ドン引きして様子を見守る。

 ……え怖、ヤクザじゃん。怒りが沸点を大幅に超えたのか、治まる様子がない。今の彼に話しかけるのは蜂の巣をつっつくようなものだろう。

 数分後。

 やがて鬱憤晴らしが終わったのか、若干変形したゴミ収集庫を残して小浪谷は息をこぼすと、アスマの方にギロリと目を向け、


「お前」と見回りを始めてから、初めて声を発した。


「あのレベルのスキャナーに引っかかるとか。どんだけいろ濁ってんだよ」

「…………は、す、すみません」


 呆れたような声の調子に、アスマは首をすくめながら頭を下げ、


「……あ、あの。さっきは、助けてくれてありがとうございました」


 さらにもう一段階、首を前傾させて謝意を示した。

 先ほどの状況、小浪谷が助太刀に入ってくれていなかったら、今頃アスマはどこかの施設にぶち込まれて、何かしら前科的なものまで着けられていたかもしれない。

 てっきり見捨てられたと思った自分が恥ずかしかった。それと同時に、仲間として助けてもらえた気がして嬉しかった。


「勘違いしてんな」


 小浪谷はアスマから微妙に顔を逸らすと、独白のように言葉を続けた。


「俺はただ、あの気色悪い空間をぶち壊したかっただけだ。俺はお前を仲間だなんて一ミリも思ってないし……認めるつもりもない」


 アスマは言葉に引っかかりを覚えて、顔を上げた。

 ……え、認めるつもりもない?

 アスマの顔に書かれた文字を読み、小浪谷は監督ハカセからされたという話を要点だけカクカクシカジカ伝えた。

 小浪谷に仲間と認められなければ、アスマは正式に公安に入ることはできない。そして――俺はお前のことを仲間と認めるつもりはない。

 戸惑いながら項垂れるアスマに、小浪谷は最後に一言、


「無理に話しかけてこなくていいから」


 とだけ言い残し、見回りの続きに戻っていった。アスマは下を向いたまま、三歩半離れて追従する。

 結局、この日の見回りはこれ以降何の会話もなく終わり、ただ沈黙の重たさだけがアスマの腹に満ちた。



            







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